東京都の殺人事件一覧(93件)|テロ・無差別襲撃、その他、事故(4ページ目)
東京都で発生した事件を発生日の新しい順に掲載しています。
93 件
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八丈島東方沖地震
1972年(昭和47年)2月29日午後6時23分ごろ、八丈島東方沖を震源とするマグニチュード7.0の地震が発生し、八丈島で震度5を観測した。家屋の一部破損271棟、道路の破損258か所、崖崩れ16か所などの被害が出た。同年12月4日にも同じ海域でマグニチュード7.2の地震が発生し、八丈島で24年ぶりとなる震度6を観測した。
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新宿クリスマスツリー爆弾事件
1971年(昭和46年)12月24日午後7時過ぎ、東京都新宿区新宿三丁目の警視庁四谷警察署追分派出所付近で、クリスマスツリーに偽装した手製爆弾が爆発した事件。臨場した警察官が重傷を負ったほか、通行人6人が重軽傷を負った。新左翼系グループによる犯行で、民間人を巻き込む無差別テロとして警視庁が異例の警戒態勢をとる契機となった。
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三島由紀夫事件
1970年(昭和45年)11月25日、作家・三島由紀夫が自ら主宰する民兵組織「楯の会」のメンバー4人とともに陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地(東京都新宿区)を訪れ、東部方面総監を人質に取って自衛隊員に決起を呼びかけたのち、割腹自殺した事件。三島と会員1人が死亡し、他の会員3人は逮捕された。戦後日本を代表する作家による衝撃的な最期として、国内外に大きな衝撃を与えた。
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よど号ハイジャック事件
1970年(昭和45年)3月31日、日本航空351便「よど号」が、共産主義者同盟赤軍派を名乗る9人にハイジャックされた。犯人グループは福岡空港・ソウルの金浦国際空港を経由したのち、北朝鮮の平壌に着陸し、そのまま亡命した。運輸政務次官が人質の身代わりとして同行し全乗客が解放された、日本初のハイジャック事件である。
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三億円事件
1968年(昭和43年)12月10日、東京都府中市で白バイ警察官を装った男が現金輸送車を停止させ、東芝府中工場従業員のボーナス約2億9,430万円を積んだまま車ごと奪って逃走した事件。暴行・脅迫を用いない計略による犯行で、法的には窃盗罪にあたる。警察は延べ17万人を動員したが犯人を検挙できず、1975年12月10日に公訴時効(7年)が成立し、戦後を代表する未解決事件として知られる。
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新宿騒乱事件
1968年(昭和43年)10月21日、国際反戦デーに合わせて新宿駅に集結した新左翼党派の学生・活動家ら約4,600人が駅構内に乱入し、電車への放火や信号機への投石を繰り返した事件。約2万人の野次馬も加わって騒乱状態となり、734人が検挙され、戦後初めて騒擾罪(現・騒乱罪)が適用された。
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永山則夫連続射殺事件
1968年(昭和43年)10月11日から11月5日にかけて、東京・京都・北海道・愛知の4都道府県で、警備員やタクシー運転手ら男性4人が拳銃で相次いで射殺された事件。犯人は事件当時19歳の少年で、在日米軍基地から盗んだ拳銃を使用していた。少年は翌1969年4月、東京都内で逮捕された。
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第一次羽田事件
1967年(昭和42年)10月8日、佐藤栄作首相の南ベトナム訪問阻止を掲げる学生ら約2500人が東京都大田区の羽田空港周辺で機動隊と衝突し、京都大学生の山﨑博昭(当時18歳)が死亡した事件。戦後の学生運動が実力闘争へと転じる象徴的な事件として、その後の運動に大きな影響を与えた。
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全日空羽田沖墜落事故
1966年(昭和41年)2月4日午後、全日空60便(ボーイング727型機)が千歳空港から羽田空港への飛行中、東京湾の羽田沖に墜落し、乗客乗員133人全員が死亡した。運輸省の事故調査団による調査が行われたが、原因は特定できず「不明」と結論づけられた。当時世界最悪の単独機事故となった。
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草加次郎事件
1963年(昭和38年)9月5日、東京都中央区の地下鉄銀座線京橋駅に停車中の列車内で時限爆弾が爆発し、乗客10人が負傷した事件。「草加次郎」を名乗る人物による1962年からの一連の爆発・脅迫事件の一つとみられ、犯人は特定されないまま1978年に公訴時効が成立した。
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岸信介内閣総理大臣刺傷事件
1960年(昭和35年)7月14日、東京都千代田区の首相官邸で開かれた自民党新総裁(池田勇人)の選出祝賀会からの退出時、すでに退陣を表明していた岸信介首相が、元右翼団体幹部の男(当時65歳)に登山用ナイフで左臀部・左大腿部を6か所刺され、全治約2週間のけがを負った。日米安保条約改定をめぐる混乱が続くさなかの事件で、犯人は現場で取り押さえられた。岸内閣は翌15日に総辞職し、傷害罪に問われた犯人には懲役3年の刑が確定した。
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安保闘争死亡事件(樺美智子さん)
1960年(昭和35年)6月15日、新安保条約批准に反対する全学連主流派のデモ隊が国会構内に突入し、警官隊と衝突した。この混乱の中で東京大学生の樺美智子さんが死亡した。
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雅樹ちゃん誘拐殺人事件
1960年(昭和35年)5月16日、東京都世田谷区で小学2年の男児(当時7歳)が誘拐され、身代金が要求されたが、犯人は都内の自宅で男児を殺害していた。犯人は同年7月17日に大阪府内で身柄を確保され、1961年3月31日に死刑判決を受け、1967年5月25日に最高裁で確定、1970年10月29日に執行された。本事件を契機に、誘拐事件の報道のあり方をめぐる議論が始まった。
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墨田区花火問屋爆発事故
1955年(昭和30年)8月1日、東京都墨田区厩橋で玩具用花火の卸問屋が経営する花火工場の倉庫が爆発し、18人が死亡、80人以上が重軽傷を負った。周辺の13棟385坪が全焼し、半径300メートル以内の建物にも窓ガラスや屋根瓦の被害が及んだ。
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東大ポポロ事件
1952年(昭和27年)2月20日、東京大学本郷キャンパスで開催された劇団「ポポロ」による演劇発表会に、私服警察官4人が観客として潜入していたことが発覚し、東京大学の学生が警察官に暴行を加えた。学生の行為が正当防衛にあたるかが争われ、最高裁判所大法廷は1963年、大学における学問の自由・大学の自治の憲法上の意義を示す判断を示した。
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日大ギャング事件
1950年(昭和25年)9月22日、東京都千代田区で、日本大学の給料運搬車に同乗した運転手の少年が、同乗の職員をナイフで脅して現金190万円を奪い、日大教授の娘の少女と逃走した強盗事件。少年が逮捕時に発した「オー・ミステーク」という言葉が流行語となり、戦後の若者犯罪を象徴する事件として文化人による論評も相次いだ。
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人民広場事件
1950年(昭和25年)5月30日、占領下の東京・皇居前広場で開かれた「人民大会」の際に起きた、占領軍兵士への暴行事件。進駐軍が検挙した8人は占領軍の軍事裁判にかけられた。事件後、総司令部(GHQ)の指示により警視総監は6月2日から都内の集会・デモ行進を全面的に制限し、同様の措置は国家地方警察を通じて全国に広がった。政府は翌1951年、この事件を動機として国民公園管理規則を改正し、皇居前広場での政治的・宗教的な目的の集会を許可しないこととした。事件は1951年のメーデーの会場使用が許可されなかった大きな理由ともされた。国会では「五月三十日事件」とも呼ばれた。
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三鷹事件
1949年7月15日夜、東京都三鷹町(現・三鷹市)の国鉄三鷹駅構内で、三鷹電車区に停車中だった無人電車が暴走し、車止めを突破して駅前商店街に突入・脱線した。6人が死亡、20人が負傷し、下山事件・松川事件と並ぶ「国鉄三大ミステリー事件」の一つとされる。関係者10人が起訴されたが、裁判所は元運転士1人の単独犯行と認定した。最高裁判所大法廷は1955年6月22日、8対7の1票差で上告を棄却し、同年12月23日に元運転士の死刑が確定した。
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昭和電工事件
1948年(昭和23年)、化学メーカー・昭和電工の社長・日野原節三が、復興金融金庫からの融資獲得などをめぐって政官界に賄賂を贈ったとされる贈収賄事件。同年6月に日野原が逮捕されたのを皮切りに、9月には大蔵省主計局長の福田赳夫らが、10月には前副総理の西尾末広が逮捕され、芦田均内閣は総辞職に追い込まれた。12月には芦田本人も逮捕され、逮捕者は64人に及んだ。裁判では日野原ら一部が執行猶予付きの有罪となったが、芦田・西尾・福田を含む多くの政官界人は無罪となった。
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渋谷事件
1946年(昭和21年)7月19日夜、東京都渋谷区の渋谷警察署前で、警察官・暴力団関係者の連合隊と、武装した在日台湾人グループとの間で銃撃戦が発生した。警察官1人と在日台湾人が死亡し、双方あわせて多数の負傷者を出した。同年12月、占領目的阻害罪により関係者に有罪判決が言い渡された。
出典: https://jiken.jp/pref/tokyo/?page=4(2026-10-30 取得)/ 事件JP