新宿騒乱事件
| 発生日 | 1968年10月21日(昭和43年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から57年9か月 |
| 発生場所 | 東京都 新宿区(新宿駅周辺) |
| 種別 | その他 |
| 状態 | 終結 |
| 被害 | 死者 0人 |
1968年(昭和43年)10月21日、国際反戦デーに合わせて新宿駅に集結した新左翼党派の学生・活動家ら約2000人が駅構内に乱入し、電車への放火や信号機への投石を繰り返した事件。約2万人の野次馬も加わって騒乱状態となり、743人が検挙され、戦後初めて騒擾罪(現・騒乱罪)が適用された。
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事件の経過
1968年(昭和43年)10月21日、国際反戦デーに合わせて、中核派・ML派・第四インターなどの新左翼党派が「新宿米タン闘争」と称する実力行動を計画した。前年に起きた米軍燃料タンク車の爆発事故を捉え、燃料輸送に使われていた新宿駅を占拠する狙いだった。明治公園・日比谷野外音楽堂での集会の後、ゲバルト棒などで武装した学生・活動家約2000人が新宿駅に集結し、午後9時ごろ、駅東口での決起集会を経て駅構内に乱入、電車の座席への放火や信号機への投石を繰り返した。
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騒乱の拡大とその後
騒動に加わった約2万人の見物客(野次馬)も混乱に拍車をかけ、新宿駅を利用する約150万人の乗客に影響が及ぶ事態となった。警視庁公安部は10月22日午前0時15分、事態を重く見て騒擾罪(現在の騒乱罪)の適用を決定し、この時点で743人を検挙した。戦後の学生運動・労働運動の歴史の中で騒擾罪が適用されたのはこの事件が初めてで、社会に大きな衝撃を与えた。翌1969年、東京地方裁判所で進められていた刑事裁判で、東京地方検察庁がNHKとTBSの放映したテレビニュース録画映像を証拠として提出したことをめぐり、同年10月24日、両局の報道局長が「報道の自由を侵害する」として証拠申請の取り下げを検察に申し入れる事態に発展した。検察側はこれを受け入れず、この一件は、報道機関が取材で得た映像が刑事裁判の証拠として扱われることの是非をめぐる、法律上の重要な先例となった。新宿騒乱事件から半世紀が経過した後も、当時学生・活動家として現場にいた人々の証言や回顧が新聞・雑誌でたびたび取り上げられており、戦後日本の学生運動史における転換点の一つとして位置づけられている。前年の第一次羽田事件で死者が出て以降、学生運動の実力闘争化が急速に進んでいたが、新宿駅という日常的な交通の要衝が占拠・破壊の対象となったことは、一般市民の生活にも直接的な影響を及ぼす形で運動の過激化を印象づけた。
経過
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1968年10月21日
昭和43年事件・事故 新宿駅で学生らが騒乱、電車放火や投石
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1968年10月22日
昭和43年逮捕 743人を検挙、戦後初の騒擾罪適用
出典・公的資料
- その他
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「新宿騒乱事件」事件データベース jiken.jp、2026年7月30日閲覧。https://jiken.jp/cases/1968-shinjuku-riot/
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更新履歴
- 2026年7月30日 初版公開
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