岸信介内閣総理大臣刺傷事件 通称: 岸信介襲撃事件
| 発生日 | 1960年7月14日(昭和35年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から66年 1962年5月24日の確定から64年2か月 |
| 発生場所 | 東京都 千代田区 |
| 種別 | テロ・無差別襲撃 |
| 状態 | 判決確定 |
| 被害 | 死者 0人 負傷者 1人 |
1960年7月14日午後、東京都千代田区の首相官邸で開かれた自民党総裁交代の祝賀会からの退出時、岸信介首相(当時)が男に登山用ナイフで左尻・大腿部を6回刺され重傷を負った。日米安保条約改定を巡る混乱が続くさなかの事件で、犯人は現場で取り押さえられた。岸首相は翌日総辞職を表明し、傷害罪に問われた犯人には懲役3年の判決が確定した。
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事件の経過
1960年7月14日午後2時20分ごろ、自民党臨時党大会で池田勇人が新総裁に選出された祝賀会からの退出時、岸信介首相は待ち構えていた男に刃渡り約13センチの登山用ナイフで背後から左尻・左大腿部を6回刺された。全治約2週間の傷を負った。
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政治的影響と裁判
岸首相は事件翌日の7月15日、日米安保条約の自然成立を見届けた形で総辞職を表明した。犯人は現行犯逮捕され、東京地方裁判所は傷害罪により有罪判決を言い渡し、1962年5月に懲役3年の刑が確定した。
犯人の経歴
犯人は当時65歳の荒牧退助(あらまき たいすけ)である。荒牧は1920年に清水行之助が結成した国粋主義の右翼団体「大化会」に所属し、幹事長を務めた経歴を持つ人物だった。大化会は道場を設けて会員に剣道・柔道を錬成させる活動でも知られた団体である。荒牧はのちに自由民主党副総裁・大野伴睦の院外団にも出入りするようになったが、昭和31年(1956年)10月ごろに上京して以降は定職に就かず、無職の状態が続いていたとされる。事件当日、荒牧は祝賀会の招待客ではなく、首相官邸周辺で岸の退出を待ち構えていたとみられる。犯行直後、その場に居合わせた警備の警察官らに取り押さえられ、傷害罪の現行犯として逮捕された。
事件の背景と政治的緊張
事件が起きた1960年は、日米安保条約改定に反対する運動(60年安保闘争)が全国的な高まりを見せていた年である。同年6月15日には、衆議院南通用門から国会構内に突入したデモ隊と警官隊が衝突し、東京大学の学生だった樺美智子が死亡する事態が発生した。取り調べに対し荒牧は、樺美智子とその父・樺俊雄への同情が犯行の動機であると供述し、「岸に反省を促す意味でやった」と述べたとされる。一方で、岸を殺害する意図や大野伴睦との共謀関係については一貫して否定した。なお、この事件の約3か月後の同年10月12日には、日比谷公会堂で日本社会党委員長の浅沼稲次郎が右翼の少年に刺殺される事件も起きており、安保条約改定をめぐる政治的対立が右翼による要人襲撃という形で相次いだ時期であった。
経過
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1960年7月14日
昭和35年事件・事故 岸信介首相が首相官邸で刺される
自民党新総裁就任祝賀会からの退出時に、ナイフで背後から6回刺された
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1960年7月14日
昭和35年逮捕 犯人・荒牧退助を現行犯逮捕
首相官邸周辺で岸信介首相を刺した荒牧退助(65歳、元右翼団体「大化会」幹事長)は、現場に居合わせた警備の警察官らに取り押さえられ、傷害罪の現行犯として逮捕された。
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1960年7月14日
昭和35年逮捕 犯人を現行犯逮捕
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1960年7月15日
昭和35年その他 岸内閣が総辞職を表明
安保改定の成立を受けての退陣表明
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1962年5月24日
昭和37年判決 傷害罪で懲役3年の刑が確定
出典・公的資料
一次資料 2件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。
- 判決文・裁判記録
- その他
- その他
- 調査報告書
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レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。
「岸信介内閣総理大臣刺傷事件」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1960-kishi-nobusuke-stabbing/
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更新履歴
- 2026年7月12日 本文を増補(「犯人の経歴」「事件の背景と政治的緊張」の2セクションを追加)
- 2026年7月11日 初版公開
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