東京都の事件
東京都で発生した事件を発生日の新しい順に掲載しています。
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三越事件
1982年(昭和57年)8月29日、大手百貨店・三越が開催した「古代ペルシャ秘宝展」の出展美術品の大半が贋作であると新聞報道で発覚した事件。同社の岡田茂社長は経営の私物化が問題視されており、この報道を機に取締役会で解任された。岡田は女性実業家への便宜供与などをめぐり特別背任罪で逮捕・起訴され、控訴審で懲役3年の判決を受けたが、上告中の1995年に死去し公訴棄却となった。
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新宿西口バス放火事件
1980年(昭和55年)8月19日午後9時ごろ、東京都新宿区の新宿駅西口バスターミナルで、発車直前の路線バス車内に男(当時38歳)がガソリンをまいて放火し、乗客ら6人が焼死、14人が重軽傷を負った事件。男は事件直前、通行人に注意された際「世間をあっと言わせてやる」と口にしていたとされる。
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ロッキード事件
1976年2月、米上院チャーチ委員会でロッキード社による対日工作が発覚し、同年7月27日、東京地方検察庁特捜部は外国為替及び外国貿易管理法違反の容疑で田中角栄前首相を逮捕した。田中は全日空へのトライスター機売り込みに絡み丸紅を通じて5億円を受け取ったとされ、8月に受託収賄罪等で起訴された。1983年、東京地方裁判所は懲役4年の実刑判決を言い渡したが、田中は上告審係属中の1993年に死去し公訴棄却となった。共犯とされた秘書や丸紅側の被告については、1995年に最高裁判所で有罪が確定した。
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三菱重工爆破事件
1974年(昭和49年)8月30日、東京・丸の内の三菱重工業本社ビルで時限爆弾が爆発し、8人が死亡、376人が重軽傷を負った。過激派組織「東アジア反日武装戦線」による一連の企業爆破テロの一つで、主犯格には死刑判決が確定した。
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三島由紀夫事件
1970年(昭和45年)11月25日、作家・三島由紀夫が自ら主宰する民兵組織「楯の会」のメンバー4人とともに陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地(東京都新宿区)を訪れ、東部方面総監を人質に取って自衛隊員に決起を呼びかけたのち、割腹自殺した事件。三島と会員1人が死亡し、他の会員3人は逮捕された。戦後日本を代表する作家による衝撃的な最期として、国内外に大きな衝撃を与えた。
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三億円事件
1968年(昭和43年)12月10日、東京都府中市で白バイ警察官を装った男が現金輸送車を停止させ、東芝府中工場従業員のボーナス約2億9,430万円を積んだまま車ごと奪って逃走した強奪事件。犯人は特定されないまま1975年に公訴時効が成立し、戦後最大級の未解決事件として知られる。
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永山則夫連続射殺事件
1968年(昭和43年)10月11日から11月5日にかけて、東京・京都・北海道・愛知の4都道府県で、警備員やタクシー運転手ら男性4人が拳銃で相次いで射殺された事件。犯人は事件当時19歳の少年で、在日米軍基地から盗んだ拳銃を使用していた。少年は翌1969年4月、東京都内で逮捕された。
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岸信介内閣総理大臣刺傷事件
1960年7月14日午後、東京都千代田区の首相官邸で開かれた自民党総裁交代の祝賀会からの退出時、岸信介首相(当時)が男に登山用ナイフで左尻・大腿部を6回刺され重傷を負った。日米安保条約改定を巡る混乱が続くさなかの事件で、犯人は現場で取り押さえられた。岸首相は翌日総辞職を表明し、傷害罪に問われた犯人には懲役3年の判決が確定した。
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雅樹ちゃん誘拐殺人事件
1960年(昭和35年)5月16日、東京都世田谷区で小学2年の男児(当時7歳)が誘拐され、身代金が要求されたが、犯人は都内の自宅で男児を殺害していた。犯人は同年7月17日に大阪府内で身柄を確保され、1961年3月31日に死刑判決を受け、1967年5月25日に最高裁で確定、1970年10月29日に執行された。本事件を契機に、誘拐事件の報道のあり方をめぐる議論が始まった。
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墨田区花火問屋爆発事故
1955年(昭和30年)8月1日、東京都墨田区の花火問屋が経営する花火工場の倉庫で爆発が発生し、18人が死亡、80人以上が重軽傷を負った。爆風は周辺の建物にも被害を及ぼし、住宅密集地における花火の保管・製造の危険性を浮き彫りにした。
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三鷹事件
1949年7月15日夜、東京都三鷹町(現・三鷹市)の国鉄三鷹駅構内で、三鷹電車区に停車中だった無人電車が暴走し、車止めを突破して駅前商店街に突入・脱線した。6人が死亡、20人が負傷し、下山事件・松川事件と並ぶ「国鉄三大ミステリー事件」の一つとされる。関係者10人が起訴され、最高裁判所大法廷は1955年、元運転士1人の単独犯行と認定し、8対7の1票差で死刑判決を確定させた。
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昭和電工事件
1948年(昭和23年)9月13日、復興金融金庫からの融資をめぐる贈収賄事件「昭和電工事件」で、大蔵省主計局長の福田赳夫が収賄容疑で逮捕された。同年6月、化学メーカー・昭和電工の社長・日野原節三が政官界への贈賄容疑で逮捕されたことに端を発し、捜査は経済安定本部総務長官や芦田均内閣の前副総理にまで及んだ。事件の影響で同年10月、芦田内閣は総辞職に追い込まれた。
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渋谷事件
1946年(昭和21年)7月19日夜、東京都渋谷区の渋谷警察署前で、警察官・暴力団関係者の連合隊と、武装した在日台湾人グループとの間で銃撃戦が発生した。警察官1人と在日台湾人が死亡し、双方あわせて多数の負傷者を出した。同年12月、占領目的阻害罪により関係者に有罪判決が言い渡された。
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二・二六事件
1936年(昭和11年)2月26日未明、国家改造を唱える陸軍皇道派の青年将校らが約1,500人の兵を率いて蜂起し、首相官邸・陸軍省・警視庁など永田町一帯を占拠したクーデター未遂事件。斎藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監らが殺害された。反乱は4日後に鎮圧され、首謀者らは特設軍法会議で裁かれた。この事件を境に軍部の政治的発言力が強まり、戦時体制への転換点となった。
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天皇機関説事件
1935年(昭和10年)8月3日、岡田啓介内閣が「国体明徴に関する政府声明」を発表し、東京帝国大学名誉教授・美濃部達吉の憲法学説「天皇機関説」を国体に反するとして排撃した事件。同年2月、貴族院で菊池武夫議員が天皇機関説を「謀叛」と非難したことに端を発し、美濃部の著書は発禁処分となり、美濃部は9月に貴族院議員を辞職した。軍部・右翼の圧力による学問・言論への統制強化を象徴する事件として知られる。
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五・一五事件
1932年(昭和7年)5月15日、海軍青年将校らが陸軍士官学校生徒らとともに首相官邸・警視庁・日本銀行などを襲撃し、内閣総理大臣・犬養毅を殺害したクーデター未遂事件。実行犯らは軍法会議・一般裁判で裁かれたが軍人には比較的軽い刑が科され、世論の同情も相まって政党政治への不信が広がった。この事件を最後に戦前の政党内閣は途絶え、軍部主導の政治体制への転換点となった。
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虎ノ門事件
1923年(大正12年)12月27日、東京府東京市麹町区虎ノ門外(現・東京都港区虎ノ門)で、摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)が第48回帝国議会の開院式に向かう途中、無政府主義者の男から狙撃された暗殺未遂事件。親王に負傷はなく、同乗していた東宮侍従長が顔に軽傷を負った。犯人は現場で群衆と警官に取り押さえられ、大逆罪で起訴された。判決からわずか2日後に死刑が執行され、事件の責任を取り内閣は総辞職した。関東大震災後の社会不安を背景に頻発したテロ事件の一つとされる。