雅樹ちゃん誘拐殺人事件
| 発生日 | 1960年5月16日(昭和35年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から66年2か月 1967年5月25日の確定から59年2か月 |
| 発生場所 | 東京都 世田谷区等々力(誘拐現場)/杉並区上荻窪(監禁先) |
| 種別 | 誘拐・監禁 |
| 状態 | 判決確定 |
| 被害 | 死者 1人 |
1960年(昭和35年)5月16日、東京都世田谷区で小学2年の男児(当時7歳)が誘拐され、身代金が要求されたが、犯人は都内の自宅で男児を殺害していた。犯人は同年7月17日に大阪府内で身柄を確保され、1961年3月31日に死刑判決を受け、1967年5月25日に最高裁で確定、1970年10月29日に執行された。本事件を契機に、誘拐事件の報道のあり方をめぐる議論が始まった。
事件の経過
1960年5月16日午前、東京都世田谷区等々力に住む私立小学校に通う2年生の男児(当時7歳)が、登校途中に見知らぬ男から「お母さんに頼まれたので病院に行こう」などと声をかけられ、連れ去られた。同日午前11時過ぎ、男児の自宅に「200万円を用意しろ」という趣旨の電話がかかり、以後、犯人は指定場所を何度も変えながら電話をかけ続け、父親に対して「お子さんは眠っています。睡眠薬を飲ませたので」などと伝えた。犯人は連れ去った男児を杉並区上荻窪の自宅で睡眠剤により眠らせて監禁していたが、身代金の受け渡しは警察の張り込みに気づかれて2度にわたり失敗した。事件の詳細を伝える過熱した報道によって犯人が追い詰められたことに加え、薬の影響で衰弱していく男児の様子にも動揺し、5月18日、犯人は都市ガスを吸引させるなどして男児を殺害した。犯人は同年4月にフランスで実業家一族の孫が誘拐された事件の報道を見て着想を得ており、金銭に困窮していたことから身代金目的の誘拐を計画したとされる。
裁判の経過と報道協定
犯人の男(当時32歳、元歯科医師)は新潟県の農家に生まれ、東京歯科大学を卒業後、1956年に実家の援助を受けて自身の歯科医院を開業していたが、交際関係で生じた借金が膨らみ、別居していた妻からも金銭を求められるなど生活に困窮していたとされる。犯人は身代金の受け渡しに失敗した後も身元を隠して逃走を続けたが、1960年7月13日ごろ大阪府布施市(現・東大阪市)で不審な男として工員から通報を受け、17日に営利誘拐・恐喝未遂・殺人・死体遺棄の容疑で逮捕された。東京地方裁判所は1961年3月31日、死刑判決を言い渡し、被告側の上訴等を経て1967年5月25日、最高裁判所が上告を棄却して死刑が確定した。死刑は1970年10月29日、東京拘置所で執行された。この事件を機に、報道機関の間では「誘拐事件発生時は犯人逮捕か人質の安否確認まで実名報道等を自粛する」という方針が意識されるようになり、後の1963年の吉展ちゃん誘拐殺人事件で正式に「誘拐報道協定」として確立された。身代金目的誘拐において被害児童の生命が最優先されるべきだという教訓は、その後の誘拐事件報道のあり方に大きな影響を与えた。
経過
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1960年5月16日
昭和35年事件・事故 男児が誘拐され、身代金が要求される
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1960年7月17日
昭和35年逮捕 大阪府内で犯人の身柄を確保
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1961年3月31日
昭和36年判決 東京地方裁判所が死刑判決
東京地方裁判所
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1967年5月25日
昭和42年判決 最高裁判所が上告を棄却し死刑確定
最高裁判所
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1970年10月29日
昭和45年その他 死刑執行
出典・公的資料
- その他
- 公的発表・広報
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「雅樹ちゃん誘拐殺人事件」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1960-masaki-kidnapping-murder/
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更新履歴
- 2026年7月17日 初版公開
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