五・一五事件 通称: 5・15事件
結末 1934年2月、民間側に東京地裁が無期懲役などを言い渡し、上訴した3人を除き刑が確定。軍人側は前年に禁錮15年〜4年
| 発生日 | 1932年5月15日(昭和7年) 1932年(昭和7年)の事件 / 5月15日に起きた事件 |
|---|---|
| 経過 | 発生から94年5か月 |
| 発生場所 | 東京都 千代田区(首相官邸) |
| 種別 | その他 |
| 状態 | 判決確定 |
| 被害 | 死者 1人 |
- 戦前・戦中の政治事件とクーデター現職の首相が殺害されながら軍人には比較的軽い刑が科され、世論の同情も相まって政党政治への不信が広がった。この事件を最後に戦前の政党内閣は途絶えた。
事件の経過
背景と裁判
事件の影響
動機の背景と裁判の詳細
歴史的評価
経過
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1932年5月15日
昭和7年事件・事故 海軍青年将校らが首相官邸などを襲撃
犬養毅首相が銃撃を受け翌日死亡
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1933年9月19日
昭和8年判決 陸軍軍法会議判決
陸軍士官学校生徒11名に対し、反乱罪で禁錮4年の判決。検察官の求刑(禁錮8年)を下回る軽い量刑となった。
陸軍第1師団軍法会議
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1933年11月9日
昭和8年判決 海軍軍法会議判決
死刑を求刑された主犯格の古賀清志・三上卓ら3名に禁錮15年〜13年、無期禁錮を求刑された3名に禁錮10年など、検察側の求刑を大きく下回る判決となった。被告への減刑を求める嘆願書が全国から多数寄せられたことが背景にあるとされる。
海軍東京軍法会議
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1934年2月3日
昭和9年判決 東京地裁が民間側の被告に判決
愛郷塾を率いた橘孝三郎に無期懲役など、殺人罪などで軍人側より重い刑を言い渡した。
東京地方裁判所
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1935年10月24日
昭和10年判決 大審院が民間側3被告の上告審で判決
内乱罪の適用を否定し、一・二審の判断を支持した。
大審院
出典・公的資料
一次資料 3件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。
- 調査報告書
- 調査報告書
- その他
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調査報告書
防衛省防衛研究所3つの裁判の分担、陸軍・海軍軍法会議の判決内容と求刑、民間側の求刑、大審院判決(昭和10年10月24日)を確認
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その他
コトバンク(小学館・ブリタニカ・ジャパン)大川周明ら3人を除き1934年2月3日までに刑が確定したこと、民間側で橘孝三郎が無期懲役となったことを確認
さらに調べるには
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「五・一五事件」事件JP、2026年10月31日閲覧。https://jiken.jp/cases/1932-go-ichigo-incident/
更新履歴
- 2026年10月19日 民間側の東京地裁判決と大審院判決、各判決の確定の経緯を追記し、重複していた判決の項目を整理
- 2026年9月23日 重複していた出典(同一URL・同一資料)を削除(データ品質修正)
- 2026年7月12日 本文を増補(「動機の背景と裁判の詳細」「歴史的評価」の2セクション、経過2件、出典2件を追加)
- 2026年7月11日 初版公開
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