戦前・戦中の政治事件とクーデター 13件/1879〜1945年
- 収録件数
- 13件
- 対象期間
- 1879〜1945年
- 死者数の合計
- 7人
- 最多の種別
- テロ・無差別襲撃
表1 戦前・戦中の政治事件とクーデターの一覧
| 発生年 | 事件 | この事件がもたらした政治的変化 |
|---|---|---|
| 1879年 | 藤田組贋札事件 | 薩摩閥による長州系政商の追い落としという政治的思惑が背景にあったとされ、藩閥政治のもとで捜査・訴追が政争の手段になりうることを示した。 |
| 1891年 | 大津事件 | 政府がロシアへの配慮から死刑適用を求めたのに対し、大審院が法にもとづく判断を貫き、司法権の独立をめぐる近代日本法学史上の重要な先例となった。 |
| 1921年 | 第一次大本事件 | 皇室の権威に関わる教義を理由に宗教団体が国家権力による大規模な捜査・訴追を受けた戦前期の代表的事例。 |
| 1921年 | 安田善次郎暗殺事件 | 同年11月の原敬首相暗殺をはじめ、昭和初期にかけて相次いだテロ・クーデター事件の先駆けとされる。 |
| 1921年 | 原敬暗殺事件 | 現職の内閣総理大臣が暗殺された憲政史上初の事件で、政党内閣の指導者が政治的暴力の標的となりうることを示し、昭和初期にかけて相次ぐ要人テロの先駆けとなった。 |
| 1923年 | 虎ノ門事件 | 摂政宮が狙撃される事態を受けて内閣が総辞職した。関東大震災後の社会不安を背景に頻発したテロ事件の一つとされる。 |
| 1928年 | 三・一五事件 | 治安維持法が初めて大規模に適用された事件で、戦前日本における思想弾圧の起点として知られる。 |
| 1930年 | 濱口雄幸首相狙撃事件 | ロンドン海軍軍縮条約をめぐる対立のさなかに現職首相が狙撃され、傷がもとで翌年死去した。軍縮政策と政党内閣が暴力にさらされることを示した。 |
| 1931年 | 柳条湖事件 | 関東軍参謀らが計画した謀略を中国側の犯行と偽って軍事行動が始まり、満洲全域を占領する満洲事変に発展した。 |
| 1932年 | 五・一五事件 | 現職の首相が殺害されながら軍人には比較的軽い刑が科され、世論の同情も相まって政党政治への不信が広がった。この事件を最後に戦前の政党内閣は途絶えた。 |
| 1935年 | 天皇機関説事件 | 政府が「国体明徴に関する政府声明」を発表して憲法学説を排撃し、美濃部達吉の著書は発禁処分となった。軍部・右翼の圧力による学問・言論への統制強化を象徴する事件とされる。 |
| 1936年 | 二・二六事件 | 内大臣・大蔵大臣・陸軍教育総監らが殺害された。反乱は鎮圧されたが、この事件を境に軍部の政治的発言力が強まり、戦時体制への転換点となった。 |
| 1945年 | 緒方竹虎襲撃事件 | 戦争末期、国家主義思想に基づき現職閣僚を狙った襲撃事件で、当時の政治的緊張の高まりを象徴する。 |
図1 年代別の収録件数
収録している事件
-
藤田組贋札事件
1879年(明治12年)9月15日、大阪の政商・藤田組本店に家宅捜索が入り、藤田伝三郎ら7人が贋札製造の疑いで拘引された事件。証拠不十分で釈放されたが、3年後に神奈川県の熊坂長庵が真犯人として逮捕された。薩摩閥による長州系政商追い落としの政治的思惑が背景にあったとされる。
-
大津事件
1891年(明治24年)5月11日、日本を訪問中のロシア帝国皇太子ニコライが、滋賀県大津町で警備の巡査に切りつけられ負傷した事件。司法権の独立をめぐる近代日本法学史上の重要な先例となった。
-
安田善次郎暗殺事件
1921年(大正10年)9月28日、神奈川県大磯町の別邸で、安田財閥の創設者・安田善次郎が、右翼活動家の朝日平吾に刺殺された事件。朝日は犯行後、その場で自殺した。この事件は、同年11月の原敬首相暗殺をはじめ、昭和初期にかけて相次いだテロ・クーデター事件の先駆けとされる。
-
原敬暗殺事件
1921年(大正10年)11月4日、東京駅の乗車口(現在の丸の内南口)で、内閣総理大臣・原敬が、鉄道院山手線大塚駅の転轍手・中岡艮一(当時19歳)に短刀で刺殺された事件。現職の内閣総理大臣が暗殺されたのは憲政史上初めてで、原の死去により立憲政友会内閣は総辞職し、後継には高橋是清が就いた。
-
虎ノ門事件
1923年(大正12年)12月27日、東京府東京市麹町区虎ノ門外(現・東京都港区虎ノ門)で、摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)が第48回帝国議会の開院式に向かう途中、無政府主義者の男から狙撃された暗殺未遂事件。親王に負傷はなく、同乗していた東宮侍従長が顔に軽傷を負った。
-
濱口雄幸首相狙撃事件
東京駅で濱口雄幸首相が右翼活動家に狙撃され重傷を負い、傷がもとで翌年死去した事件。
-
第一次大本事件
1921年(大正10年)2月12日、宗教団体「大本」の本部(京都府綾部市)に警察官約200人が家宅捜索に入り、教主・出口王仁三郎ら幹部を不敬罪・新聞紙法違反の容疑で検挙した。大本の教義が皇室の権威を脅かすとみなされたことが背景にあり、王仁三郎は保釈後の一審で懲役5年の判決を受けたが、…
-
柳条湖事件
1931年(昭和6年)9月18日夜、中国・奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖付近で、南満洲鉄道の線路が爆破された事件。関東軍参謀の板垣征四郎・石原莞爾らが計画した謀略で、関東軍はこれを中国側の犯行と偽って軍事行動を開始し、満洲全域を占領する満洲事変に発展した。
-
五・一五事件
1932年(昭和7年)5月15日、海軍青年将校らが陸軍士官学校生徒らとともに首相官邸・警視庁・日本銀行などを襲撃し、内閣総理大臣・犬養毅を殺害したクーデター未遂事件。実行犯らは軍法会議・一般裁判で裁かれたが軍人には比較的軽い刑が科され、世論の同情も相まって政党政治への不信が広がった。
-
緒方竹虎襲撃事件
1945年(昭和20年)2月24日、東京・霞が関の大政翼賛会本部会議室で、国務大臣・緒方竹虎が短刀を持った男に襲撃された。男は皇民化教育の影響を受けた朝鮮出身者で、弱体化した小磯内閣の打倒を狙ったとされる。
-
三・一五事件
1928年(昭和3年)3月15日未明、田中義一内閣のもと、治安維持法違反の容疑で日本共産党員・支持者ら千数百人が全国で一斉に検挙された。前年に制定されたばかりの治安維持法が初めて大規模に適用された事件で、その後488人が起訴された。
-
天皇機関説事件
1935年(昭和10年)8月3日、岡田啓介内閣が「国体明徴に関する政府声明」を発表し、東京帝国大学名誉教授・美濃部達吉の憲法学説「天皇機関説」を国体に反するとして排撃した事件。同年2月、貴族院で菊池武夫議員が天皇機関説を「謀叛」と非難したことに端を発し、美濃部の著書は発禁処分となり、…
-
二・二六事件
1936年(昭和11年)2月26日未明、国家改造を唱える陸軍皇道派の青年将校らが約1,500人の兵を率いて蜂起し、首相官邸・陸軍省・警視庁など永田町一帯を占拠したクーデター未遂事件。斎藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監らが殺害された。
この記事を引用する
レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。
「戦前・戦中の政治事件とクーデター」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/theme/prewar-political-incidents/