三鷹事件

結末 1955年12月、最高裁で元運転士の死刑が確定(ほか9人は無罪)。男は1967年に獄中で病死した

発生日 1949年7月15日(昭和24年) 1949年(昭和24年)の事件 / 7月15日に起きた事件
経過 発生から77年3か月 1955年12月23日の確定から70年10か月
発生場所 東京都 三鷹市
種別 その他
状態 判決確定
被害 死者 6人  負傷者 20人
1949年7月15日夜、東京都三鷹町(現・三鷹市)の国鉄三鷹駅構内で、三鷹電車区に停車中だった無人電車が暴走し、車止めを突破して駅前商店街に突入・脱線した。6人が死亡、20人が負傷し、下山事件・松川事件と並ぶ「国鉄三大ミステリー事件」の一つとされる。関係者10人が起訴されたが、裁判所は元運転士1人の単独犯行と認定した。最高裁判所大法廷は1955年6月22日、8対7の1票差で上告を棄却し、同年12月23日に元運転士の死刑が確定した。
三鷹事件を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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事件の経過

1949年7月15日午後9時23分ごろ、三鷹電車区の車庫1番線に停車していた7両編成の無人電車が暴走し、発進した場所から約660メートル先の三鷹駅南口改札口前、下り1番線の車止めに時速60キロメートルを超える速度で衝突した。電車は車止めを突破して脱線し、付近に居合わせた6人が轢かれて死亡した。確定判決の認定によれば、前日の7月14日に国鉄の第2次人員整理で罷免された元運転士が、電車事故を起こして全国的なストライキのきっかけにしようと考え、運転台のコントローラー・ハンドルを針金で開錠して紐で固定し、パンタグラフを上げて電車を発進させた。元運転士は電車区の構内出口で脱線させて入出庫を妨害するつもりだったが、電車は予期に反して駅構内まで暴走した。
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捜査と裁判

国鉄労組の関係者ら計10人が、共謀による電車顛覆致死罪等で1949年8月23日に起訴された。東京地方裁判所は1950年8月11日、共同謀議を認めず元運転士の単独犯行として無期懲役とし、他の9人を無罪とした。検察官と元運転士の双方が控訴し、東京高等裁判所は1951年3月30日、事実認定は維持したうえで量刑不当を認めて一審判決を破棄し、元運転士に死刑を言い渡した(他の9人に対する検察官の控訴は棄却)。最高裁判所大法廷は1955年6月22日、8対7の1票差で上告を棄却し、同年12月23日に判決訂正の申立てが棄却されて死刑が確定した。元運転士は1956年2月3日に再審を請求したが、1967年に獄中で病死し、再審請求の手続は同年6月7日に終了した。

その後

死刑確定後も竹内元死刑囚および遺族による再審請求が続けられており、死後も含めて複数回にわたり審理が行われてきた。

竹内景助元死刑囚と単独犯行をめぐる論争

事件発生当時、日本国有鉄道では大規模な人員整理(行政整理)をめぐり労使関係が緊迫しており、国鉄労働組合や日本共産党の関係者が捜査の対象となった。起訴された10人のうち、無人電車の運転士だった竹内景助は取調べで犯行を自白したが、公判では一貫して単独犯行を否認した。弁護側は自白の任意性や、一人で無人電車を暴走させることが技術的に可能だったかという単独犯行説の合理性に疑問を呈し、下山事件・松川事件と並ぶ「国鉄三大ミステリー事件」として真犯人をめぐる論争が今日まで続いている。竹内元死刑囚は死刑確定後の1956年から再審請求を行ったが、死刑判決の効力が取り消されないまま、1967年に東京拘置所で脳腫瘍のため病死した(45歳)。

死後も続く再審請求

竹内元死刑囚の死後、2011年11月10日に長男が東京高等裁判所に再審を請求した(第2次再審請求)。東京高裁は2019年7月31日、弁護側が提出した電車の発車方法に関する新証拠などを確定審の全証拠と併せて検討しても、確定判決の事実認定に合理的な疑いを抱かせるものとはいえないとして、請求を棄却した。2024年4月15日、最高裁判所は第2次再審請求に対する遺族の特別抗告を棄却する決定を出した。同年9月、元死刑囚の長男は暴走した電車の写真を分析した鉄道工学者の鑑定書などを新証拠として提出し、第3次再審請求を東京高等裁判所に申し立てた。しかし2025年5月に申立人であった長男が死去したことを受け、東京高等裁判所は同年10月21日、審理を終結する決定をした。2025年時点で再審開始の決定には至っていない。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1949年7月15日
  2. 起訴 1949年8月23日 +39日
  3. 公判 1950年8月 +353日
  4. 公判 1951年3月30日 +231日
  5. 判決 1955年6月22日 +1,545日
  6. 判決 1955年12月23日 +184日

経過

  1. 1949年7月15日
    昭和24年

    事件・事故 三鷹駅構内で無人電車が暴走・脱線

    死者6人、負傷者20人

  2. 1949年7月17日
    昭和24年

    捜査 国鉄労組関係者らの捜査・逮捕が始まる

  3. 1949年8月23日
    昭和24年

    起訴 国鉄労組関係者ら10人を起訴

  4. 1950年8月
    昭和25年

    公判 東京地方裁判所が一審判決

    元運転士に無期懲役、他9人に無罪

  5. 1951年3月30日
    昭和26年

    公判 東京高等裁判所が控訴審判決、死刑を言い渡す

    一審の無期懲役を破棄し、竹内景助元被告に死刑を言い渡した

  6. 1955年6月22日
    昭和30年

    判決 最高裁判所大法廷が上告を棄却

    8対7の1票差

    最高裁判所大法廷 (事件番号: 昭和26(あ)1688)

  7. 1955年12月23日
    昭和30年

    判決 判決訂正の申立てが棄却され、死刑が確定

    最高裁判所大法廷

  8. 2019年7月31日
    令和元年

    その他 東京高等裁判所が第2次再審請求を棄却

    2011年11月10日に長男が申し立てた再審請求

    東京高等裁判所

  9. 2024年9月5日
    令和6年

    その他 元被告の長男が第3次再審請求

    東京高等裁判所に申し立て

  10. 2025年10月21日
    令和7年

    その他 第3次再審請求の審理が終結

    申立人であった元死刑囚の長男の死去に伴い、東京高等裁判所が審理終結を決定

出典・公的資料

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「三鷹事件」事件JP、2026年10月30日閲覧。https://jiken.jp/cases/1949-mitaka-incident/
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更新履歴

  • 2026年10月5日 一次資料補強:東京高裁の再審請求棄却決定(2019年)と最高裁の判決訂正申立棄却決定を出典に追加。一審判決日を8月1日→8月11日、死刑確定日を1955年6月22日→12月23日に訂正し、事件の経過と第2次再審請求の経過を加筆
  • 2026年9月24日 最高裁大法廷判決に事件番号(昭和26(あ)1688)を補完
  • 2026年7月12日 本文を増補(「竹内景助元死刑囚と単独犯行をめぐる論争」「死後も続く再審請求」の2セクションを追加)
  • 2026年7月11日 初版公開

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