三鷹事件
| 発生日 | 1949年7月15日(昭和24年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から77年 1955年6月22日の確定から71年1か月 |
| 発生場所 | 東京都 三鷹市 |
| 種別 | その他 |
| 状態 | 判決確定 |
| 被害 | 死者 6人 負傷者 20人 |
1949年7月15日夜、東京都三鷹町(現・三鷹市)の国鉄三鷹駅構内で、三鷹電車区に停車中だった無人電車が暴走し、車止めを突破して駅前商店街に突入・脱線した。6人が死亡、20人が負傷し、下山事件・松川事件と並ぶ「国鉄三大ミステリー事件」の一つとされる。関係者10人が起訴され、最高裁判所大法廷は1955年、元運転士1人の単独犯行と認定し、8対7の1票差で死刑判決を確定させた。
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事件の経過
1949年7月15日夜、三鷹電車区に停車中だった無人電車が暴走し、三鷹駅の車止めを突破して線路脇の商店街に突入・脱線転覆した。
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捜査と裁判
国鉄労組の関係者ら計10人が電車顛覆致死罪等で起訴された。第一審は共同謀議を認めず元運転士の単独犯行として無期懲役、他9人は無罪としたが、第二審は元運転士に死刑を言い渡した。最高裁判所大法廷は1955年6月22日、8対7の1票差で上告を棄却し死刑が確定した。元運転士は再審請求を続けたが1967年に獄中で病死した。
その後
死刑確定後も竹内元死刑囚および遺族による再審請求が続けられており、死後も含めて複数回にわたり審理が行われてきた。
竹内景助元死刑囚と単独犯行をめぐる論争
事件発生当時、日本国有鉄道では大規模な人員整理(行政整理)をめぐり労使関係が緊迫しており、国鉄労働組合や日本共産党の関係者が捜査の対象となった。起訴された10人のうち、無人電車の運転士だった竹内景助は取調べで犯行を自白したが、公判では一貫して単独犯行を否認した。弁護側は自白の任意性や、一人で無人電車を暴走させることが技術的に可能だったかという単独犯行説の合理性に疑問を呈し、下山事件・松川事件と並ぶ「国鉄三大ミステリー事件」として真犯人をめぐる論争が今日まで続いている。竹内元死刑囚は死刑確定後の1956年から再審請求を行ったが、死刑判決の効力が取り消されないまま、1967年に東京拘置所で脳腫瘍のため病死した(45歳)。
死後も続く再審請求
竹内元死刑囚の死後も、遺族による再審請求が続けられてきた。2024年4月15日、最高裁判所は第2次再審請求に対する遺族の特別抗告を棄却する決定を出した。同年9月、元死刑囚の長男は暴走した電車の写真を分析した鉄道工学者の鑑定書などを新証拠として提出し、第3次再審請求を東京高等裁判所に申し立てた。しかし2025年5月に申立人であった長男が死去したことを受け、東京高等裁判所は同年10月21日、審理を終結する決定をした。2025年時点で再審開始の決定には至っていない。
経過
-
1949年7月15日
昭和24年事件・事故 三鷹駅構内で無人電車が暴走・脱線
死者6人、負傷者20人
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1949年7月17日
昭和24年捜査 国鉄労組関係者らの捜査・逮捕が始まる
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1950年8月
昭和25年公判 東京地方裁判所が一審判決
元運転士に無期懲役、他9人に無罪
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1951年3月30日
昭和26年公判 東京高等裁判所が控訴審判決、死刑を言い渡す
一審の無期懲役を破棄し、竹内景助元被告に死刑を言い渡した
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1955年6月22日
昭和30年判決 最高裁判所大法廷が上告棄却、死刑確定
8対7の1票差による決定
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2024年9月5日
令和6年その他 元被告の長男が第3次再審請求
東京高等裁判所に申し立て
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2025年10月21日
令和7年その他 第3次再審請求の審理が終結
申立人であった元死刑囚の長男の死去に伴い、東京高等裁判所が審理終結を決定
出典・公的資料
- その他
- その他
- その他
- その他
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レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。
「三鷹事件」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1949-mitaka-incident/
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更新履歴
- 2026年7月12日 本文を増補(「竹内景助元死刑囚と単独犯行をめぐる論争」「死後も続く再審請求」の2セクションを追加)
- 2026年7月11日 初版公開
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