「生きてゐる兵隊」筆禍事件
結末 1938年9月、東京区裁判所が著者と編集長に禁錮4か月・執行猶予3年、発行人に罰金100円の判決。検事局が控訴
| 発生日 | 1938年2月18日(昭和13年) 1938年(昭和13年)の事件 / 2月18日に起きた事件 |
|---|---|
| 経過 | 発生から88年8か月 |
| 発生場所 | 東京都 東京(中央公論社・内務省) |
| 種別 | その他 |
| 状態 | 判決確定 |
1938年(昭和13年)2月18日、雑誌『中央公論』3月号に掲載された石川達三の小説「生きてゐる兵隊」について、内務省が発売頒布禁止処分を通告した。同作は南京攻略戦に加わった兵士への取材を基に、日本軍将兵による非戦闘員の殺戮などを描いており、著者と編集長・発行人は新聞紙法違反で起訴され、同年9月の一審判決で石川と編集長は禁錮4か月・執行猶予3年、発行人は罰金刑を受けた。
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執筆の経緯
作家の石川達三は、中央公論社の特派員として1937年12月の南京陥落後の南京に出張し、京都の第16師団歩兵第33連隊の兵士から凄惨な戦闘の状況などを直接取材した。南京での取材は8日間に及んだ。帰国後の1938年2月1日から11日までの間に330枚の原稿を書き上げたのが、小説「生きてゐる兵隊」である。作品は雑誌『中央公論』1938年3月号への掲載が決まった。作中には、戦闘の凄惨さに加え、非戦闘員への暴行についての描写が含まれていた。石川達三は、この作品以前にも移民問題を扱った小説『蒼氓』で第1回芥川賞を受賞するなど、社会派の題材に正面から取り組む作家として知られており、「生きてゐる兵隊」もその延長線上に位置づけられる作品だった。
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同時期の言論統制の状況
日中戦争が本格化した1937年から1938年にかけて、政府は新聞紙法・出版法などを根拠に、戦況や軍の行動に関する報道・出版物への統制を強化していった。「生きてゐる兵隊」筆禍事件は、こうした統制強化の流れの中で、著名な文芸誌に掲載された小説作品が摘発対象となった点で、当時大きな注目を集めた。
検閲と発売禁止
検閲を警戒した編集部は、作品の至るところに伏字や削除を施し、錯乱した日本兵が芸者に発砲する場面などを描いた第11章以降の約40枚分をすべてカットしたうえで掲載した。しかし内務省警保局図書課の検閲官は、帝国陸軍の信頼を失墜させるような事実が描かれていると判断し、発売日の前日にあたる1938年2月18日夜、中央公論社に発売頒布禁止処分を通告した。中央公論社は印刷の途中で鉛版を削る措置を重ねていたため内容の異なる版が生じており、故意に検閲をくぐり抜けようとしたのではないかという疑いをかけられたことも、事件が重大視される一因となった。
起訴と判決
石川達三と中央公論社の雨宮庸蔵編集長、牧野義夫発行人は、新聞紙法第41条(安寧秩序紊乱)違反で起訴された。石川は公判で、事実に基づいて書いたものであり反軍的な意図はなかったと述べたが、東京区裁判所は1938年9月5日、この小説が皇軍兵士による非戦闘員の殺戮や掠奪、軍規の弛緩を記述して安寧秩序を紊乱したと判断し、石川と雨宮に禁錮4か月・執行猶予3年、牧野に罰金100円を言い渡した。これに対し検事局は9月7日、実刑を求めて控訴し、控訴審では作品に共感していた尾崎秀実が証人として石川を弁護した。この事件を含む一連の言論弾圧は、日中戦争の長期化とともに強化されていく戦時統制の先駆けとなり、以後、戦争の実態に触れる文学・報道作品への検閲は一層厳格化していくこととなった。
作品の戦後の位置づけ
「生きてゐる兵隊」は、日中戦争下の南京周辺における日本軍の実態を、従軍作家が同時代的に記録した数少ない作品として、戦後は文学史・戦争史の双方から重要視されるようになった。伏字部分を復元した完全版は、終戦直後の1945年12月に河出書房から刊行され、戦時検閲の実態を検証する資料としても利用されている。戦後、石川達三は社会派作家としての地位を確立し、日本文芸家協会の理事長も務めるなど文壇の中心的存在となった。
事件の位置づけ
本件は、日中戦争下における言論・出版統制の強化を象徴する筆禍事件として知られ、日本の戦時検閲史・報道史における代表的な事例として、後年の文学研究でたびたび取り上げられている。伏字部分を復元した完全版は、戦後になって刊行された。
南京取材の内容
石川達三は、南京陥落からまもない現地に特派員として入り、実際の戦闘や占領直後の混乱の様子を可能な限り取材した。小説という形式を取りながらも、記者としての取材経験に基づく描写であった点が、事後に「事実に基づく記録」として扱われ、検閲当局が特に問題視する要因になったとされる。
経過
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1938年2月18日
昭和13年その他 内務省が「生きてゐる兵隊」掲載号の発売禁止を通告
雑誌『中央公論』3月号の発売が禁止された。
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1938年9月5日
昭和13年判決 東京区裁判所が石川達三らに有罪判決(一審)
石川達三と雨宮庸蔵編集長に禁錮4か月・執行猶予3年、牧野義夫発行人に罰金100円。9月7日に検事局が実刑を求めて控訴した。
東京区裁判所
出典・公的資料
一次資料 1件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。
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その他
フリー百科事典 Wikipedia
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調査報告書
尾西康充(三重大学)/日本文学協会取材・執筆の経緯、編集部による削除範囲、発禁通告(2月18日夜)、一審判決(1938年9月5日・東京区裁判所)と各人の刑、検事局の控訴を確認
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「「生きてゐる兵隊」筆禍事件」事件JP、2026年10月27日閲覧。https://jiken.jp/cases/1938-ikiteiru-heitai-censorship-incident/
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更新履歴
- 2026年10月19日 結末の要約を追加
- 2026年9月28日 研究論文に基づき、削除範囲(最終2章→第11章以降約40枚)と判決の記述(確定→一審判決・検事局控訴)を訂正、編集長・発行人の処分と罪名を補記
- 2026年8月19日 初版公開
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