東京都の殺人事件一覧(93件)|テロ・無差別襲撃、その他、事故(5ページ目)
東京都で発生した事件を発生日の新しい順に掲載しています。
93 件
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緒方竹虎襲撃事件
1945年(昭和20年)2月24日、東京・霞が関の大政翼賛会本部会議室で、国務大臣・緒方竹虎が短刀を持った男に襲撃された。男は皇民化教育の影響を受けた朝鮮出身者で、弱体化した小磯内閣の打倒を狙ったとされる。緒方の側近に取り押さえられ未遂に終わったが、事件の刑事手続は長期化し、1998年、東京地方裁判所は公訴時効の完成を理由に免訴を言い渡した。
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「生きてゐる兵隊」筆禍事件
1938年(昭和13年)2月18日、雑誌『中央公論』3月号に掲載された石川達三の小説「生きてゐる兵隊」について、内務省が発売頒布禁止処分を通告した。同作は南京攻略戦に加わった兵士への取材を基に、日本軍将兵による非戦闘員の殺戮などを描いており、著者と編集長・発行人は新聞紙法違反で起訴され、同年9月の一審判決で石川と編集長は禁錮4か月・執行猶予3年、発行人は罰金刑を受けた。
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阿部定事件
1936年(昭和11年)5月18日、東京市荒川区(現・東京都荒川区)の待合で、阿部定が交際相手の男性を殺害し、遺体の一部を切断して所持したまま逃走した事件。
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二・二六事件
1936年(昭和11年)2月26日未明、国家改造を唱える陸軍皇道派の青年将校らが約1,400人の下士官・兵を率いて蜂起し、首相官邸・陸軍省・参謀本部・警視庁など永田町・三宅坂一帯を占拠したクーデター未遂事件。斎藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監のほか、首相と誤認された松尾伝蔵首相秘書官と護衛の警察官5人が殺害された。反乱は29日に鎮圧され、首謀者らは特設軍法会議で裁かれた。この事件を境に軍部の政治的発言力が強まり、戦時体制への転換点となった。
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天皇機関説事件
1935年(昭和10年)8月3日、岡田啓介内閣が「国体明徴に関する政府声明」を発表し、東京帝国大学名誉教授・美濃部達吉の憲法学説「天皇機関説」を国体に反するとして排撃した事件。同年2月、貴族院で菊池武夫議員が天皇機関説を「謀叛」と非難したことに端を発し、美濃部の著書は発禁処分となり、美濃部は9月に貴族院議員を辞職した。軍部・右翼の圧力による学問・言論への統制強化を象徴する事件として知られる。
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五・一五事件
1932年(昭和7年)5月15日、海軍青年将校らが陸軍士官学校生徒らとともに首相官邸・警視庁・日本銀行などを襲撃し、内閣総理大臣・犬養毅を殺害したクーデター未遂事件。実行犯らは軍法会議・一般裁判で裁かれたが軍人には比較的軽い刑が科され、世論の同情も相まって政党政治への不信が広がった。この事件を最後に戦前の政党内閣は途絶え、軍部主導の政治体制への転換点となった。
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玉の井バラバラ殺人事件
1932年(昭和7年)3月7日朝、東京府南葛飾郡寺島町玉の井(現・墨田区)の下水溝で、切断された遺体の一部が相次いで発見された。捜査の結果、被害者から金銭を脅し取り家族に暴力を振るっていた男を、家主の男と弟が撲殺して遺体を切断・遺棄したことが判明した。この事件で「バラバラ殺人」という表現が新聞で初めて使われ、以後定着した。
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濱口雄幸首相狙撃事件
東京駅で濱口雄幸首相が右翼活動家に狙撃され重傷を負い、傷がもとで翌年死去した事件。
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虎ノ門事件
1923年(大正12年)12月27日、東京府東京市麹町区虎ノ門外(現・東京都港区虎ノ門)で、摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)が第48回帝国議会の開院式に向かう途中、無政府主義者の男から狙撃された暗殺未遂事件。親王に負傷はなく、同乗していた東宮侍従長が顔に軽傷を負った。犯人は現場で群衆と警官に取り押さえられ、大逆罪で起訴された。判決からわずか2日後に死刑が執行され、事件の責任を取り内閣は総辞職した。関東大震災後の社会不安を背景に頻発したテロ事件の一つとされる。
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原敬暗殺事件
1921年(大正10年)11月4日、東京駅の乗車口(現在の丸の内南口)で、内閣総理大臣・原敬が、鉄道省山手線大塚駅の転轍手・中岡艮一(当時18歳)に短刀で刺殺された事件。現職の内閣総理大臣が暗殺されたのは憲政史上初めてで、原の死去により立憲政友会内閣は総辞職し、後継には高橋是清が就いた。中岡は殺人罪で起訴され死刑を求刑されたが、東京地裁で無期懲役の判決を受け、控訴審・上告審でも維持されて確定した。その後3度の恩赦を受け、1934年(昭和9年)に出所している。
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出歯亀事件
1908年(明治41年)3月22日夜、東京府豊多摩郡大久保村(現・新宿区大久保)で、銭湯帰りの女性が何者かに暴行され殺害された。女湯を覗く常習者だった池田亀太郎が犯人として逮捕され、無期徒刑の判決を受けた。出っ歯が特徴だった池田の通称「出歯亀」は、後に覗き見をする者を指す一般名詞として定着した。
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銀座大火
明治5年2月26日(西暦1872年4月3日)午後3時ごろ、東京の和田倉門内にあった旧会津藩邸から出火し、強風にあおられて丸の内・銀座・築地一帯の東京の中心地を焼いた大火。消防防災博物館の資料では焼失は41か町・4,879戸、死者は8人とされる。この火災をきっかけに、政府は銀座を耐火構造の西洋風の街並みに改造することを計画し、東京府知事の由利公正の主導、大蔵省雇いのトーマス・ウォートルスの設計で、大通りの幅を15間(約27メートル)とする日本初の煉瓦街が建設された。東京の市街地全体を不燃化する構想は、銀座の一地域にとどまった。
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赤穂事件
元禄15年12月14日(西暦1703年1月30日)未明、江戸本所の吉良義央邸に、赤穂藩の旧筆頭家老・大石内蔵助ら赤穂浪士47人が討ち入り、前年に江戸城内で刃傷事件を起こして切腹となった主君・浅野内匠頭の仇討ちとして吉良を討ち取った。吉良方の死傷者は史料により幅があり、すみだ郷土文化資料館の解説では義央以下死者17人・負傷者28人とされる。討ち入り後、浪士46人は幕府の裁きを待ち、翌元禄16年2月4日、幕府は全員に切腹を命じ、各預け先の大名家で執行された。後世「忠臣蔵」として演劇化され、主君への忠義を体現する物語として広く語り継がれている。
出典: https://jiken.jp/pref/tokyo/?page=5(2026-10-30 取得)/ 事件JP