日大ギャング事件 通称: オー・ミステーク事件
| 発生日 | 1950年9月22日(昭和25年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から75年10か月 1951年1月1日の確定から75年6か月 |
| 発生場所 | 東京都 千代田区 |
| 種別 | 強盗 |
| 状態 | 判決確定 |
| 被害 | 負傷者 1人 |
1950年(昭和25年)9月22日、東京都千代田区で、日本大学の給料運搬車に同乗した運転手の少年が、同乗の職員をナイフで脅して現金190万円を奪い、日大教授の娘の少女と逃走した強盗事件。少年が逮捕時に発した「オー・ミステーク」という言葉が流行語となり、戦後の若者犯罪を象徴する事件として文化人による論評も相次いだ。
広告
事件の経過
1950年(昭和25年)9月22日午後、日本大学の会計課員ら3人が青いダットサン車に乗り、東京都千代田区の富士銀行神田支店で職員給料支払いのための現金53万円を受け取り、続いて千代田銀行小川町通支店で137万円を受け取った。帰校のため車を運転していたのは、同じく日大に運転手として勤めていた少年(当時19歳)で、体調不良を訴えて途中から同乗していた。車が走行中、少年は同乗していた職員をジャックナイフで脅し、現金合計190万円を奪って逃走した。職員は少年に切りつけられて負傷した。少年は逃走の際、日大教授の娘である交際相手の少女(当時18歳)と落ち合い、2人で潜伏を図った。
広告
逮捕とその後の反響
少年と少女は事件から2日後の9月24日午後、潜伏先の東京都品川区で警視庁大森警察署に逮捕された。取り調べに対し少年は「オー・ミステーク」(ああ、しくじった)と口にしたと伝えられ、この言葉は事件の別名「オー・ミステーク事件」の由来となり、当時の流行語にもなった。裁判では、少年に懲役4年から7年の不定期刑、少女には強盗傷害幇助罪で懲役2年・執行猶予3年の判決が言い渡され、いずれも確定した。終戦から5年、闇市や生活困窮を背景に若者による無軌道な犯罪が「アプレゲール犯罪」と呼ばれて社会問題化していた時期で、この事件はその象徴的な例として文芸評論家らによる論評が相次いだ。また、未成年である少年少女の実名や写真が一部新聞で報じられたことが問題視され、最高裁判所事務総長が新聞協会に対し少年の実名報道を控えるよう申し入れる一因ともなった。日本大学に勤める運転手という身近な立場の少年が、教授令嬢との交際や逃避行という劇的な展開とともに大金を奪って逃走した経緯は連日大きく報じられ、事件発生から現在に至るまで、その日付にちなんで振り返る記事がたびたび掲載されている。連合国軍占領下から独立回復期にかけての世相の変化のなかで起きたこの事件は、戦後日本における少年犯罪報道のあり方を考える上でもたびたび引き合いに出されている。
経過
-
1950年9月22日
昭和25年事件・事故 給料運搬中の少年が職員を脅し現金190万円を奪う
-
1950年9月24日
昭和25年逮捕 少年と交際相手の少女、東京都品川区で逮捕
-
1951年
昭和26年判決 少年に懲役4〜7年の不定期刑、少女も有罪が確定
少女は強盗傷害幇助罪で懲役2年・執行猶予3年
出典・公的資料
- その他
- その他
この記事を引用する
レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。
「日大ギャング事件」事件データベース jiken.jp、2026年7月30日閲覧。https://jiken.jp/cases/1950-nichidai-gang-case/
関連する事件
広告
更新履歴
- 2026年7月29日 初版公開
本ページは公的資料に基づいて作成しています。情報の誤りにお気づきの場合や、掲載内容の削除・訂正のご依頼は お問い合わせ・削除依頼よりご連絡ください。