天皇機関説事件

発生日 1935年8月3日(昭和10年)
経過 発生から90年11か月
発生場所 東京都 千代田区(帝国議会議事堂・貴族院本会議場)
種別 汚職・政治事件
状態 終結
被害 死者 0人  負傷者 1人
1935年(昭和10年)8月3日、岡田啓介内閣が「国体明徴に関する政府声明」を発表し、東京帝国大学名誉教授・美濃部達吉の憲法学説「天皇機関説」を国体に反するとして排撃した事件。同年2月、貴族院で菊池武夫議員が天皇機関説を「謀叛」と非難したことに端を発し、美濃部の著書は発禁処分となり、美濃部は9月に貴族院議員を辞職した。軍部・右翼の圧力による学問・言論への統制強化を象徴する事件として知られる。
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事件の経過

1935年(昭和10年)2月18日、貴族院本会議で菊池武夫議員が、東京帝国大学名誉教授で貴族院議員の美濃部達吉が唱える憲法学説「天皇機関説」(統治権は法人としての国家にあり、天皇はその最高機関として統治権を行使するとする学説)を、国体に背く「緩慢なる謀叛」であると非難した。美濃部は2月25日、貴族院本会議で「一身上の弁明」と題する演説を行い自説を説明したが、軍部・右翼団体を中心とする排撃運動は収まらず、3月20日に貴族院で、3月22日には衆議院でも、天皇機関説を排撃する決議がそれぞれ可決された。政府は美濃部の著書『憲法撮要』『逐条憲法精義』『日本国憲法ノ基本主義』の3冊を出版法違反で発禁処分とした。
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その後の影響

1935年8月3日、岡田啓介内閣は「国体明徴に関する政府声明」(第一次声明)を発表し、天皇を統治機構の一機関とする学説は日本の国体の本義に反するとして、天皇機関説の教授を事実上禁止した。美濃部は同年9月18日、貴族院議員を辞職した。政府は同年10月15日、天皇機関説をより明確に否定する第二次声明を発表した。1936年2月21日、美濃部は東京府下の自宅で、弁護士を装って訪問した右翼の青年にピストルで撃たれ重傷を負った。天皇機関説はそれまで大正期から昭和初期にかけて国家公認の憲法学説として広く教えられていたが、この事件を境に公的な場での主張が事実上封じられ、軍部の政治的影響力拡大と学問・言論統制の強化を象徴する出来事として、日本の近代史に位置づけられている。

経過

  1. 1935年2月18日
    昭和10年

    その他 菊池武夫議員、貴族院で天皇機関説を非難

    「緩慢なる謀叛」と発言

  2. 1935年2月25日
    昭和10年

    その他 美濃部達吉、貴族院で「一身上の弁明」演説

  3. 1935年3月20日
    昭和10年

    その他 貴族院、機関説排撃決議を可決

  4. 1935年3月22日
    昭和10年

    その他 衆議院、機関説排撃決議を可決

  5. 1935年8月3日
    昭和10年

    その他 政府、第一次「国体明徴に関する政府声明」を発表

    天皇機関説の教授を事実上禁止

  6. 1935年9月18日
    昭和10年

    その他 美濃部達吉、貴族院議員を辞職

  7. 1935年10月15日
    昭和10年

    その他 政府、第二次「国体明徴に関する政府声明」を発表

  8. 1936年2月21日
    昭和11年

    その他 美濃部達吉、自宅で右翼の青年に銃撃され重傷

出典・公的資料

一次資料 1件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

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「天皇機関説事件」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1935-emperor-organ-theory-incident/

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更新履歴

  • 2026年7月22日 初版公開

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