安保闘争死亡事件(樺美智子さん) 通称: 6・15事件

発生日 1960年6月15日(昭和35年) 1960年(昭和35年)の事件 / 6月15日に起きた事件
経過 発生から66年4か月
発生場所 東京都 千代田区永田町(国会議事堂周辺)
種別 その他
状態 終結
被害 死者 1人
1960年(昭和35年)6月15日、新安保条約批准に反対する全学連主流派のデモ隊が国会構内に突入し、警官隊と衝突した。この混乱の中で東京大学生の樺美智子さんが死亡した。
安保闘争死亡事件(樺美智子さん)を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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事件の経過

1960年6月15日、日米新安全保障条約の批准をめぐり、条約に反対する全学連(全日本学生自治会総連合)主流派の学生らが国会議事堂の南通用門から構内に突入し、警備にあたっていた警官隊と激しく衝突した。国会での法務省の説明によれば、東京大学文学部の学生だった樺美智子さんは東大文学部の学生デモ隊の先頭から十数列目でスクラムを組み、午後7時ごろ南通用門から構内に入った。旧議員面会所前の中庭で警官隊に阻止されて後退してくる学生と、後方から進んでくる学生の集団との渦に巻き込まれ、午後7時10分ごろに倒れたとされる。樺さんは警察病院に収容されたが死亡した。
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死因をめぐる対立

東京地検は被疑者不明の傷害致死事件として捜査し、東京都監察医務院の医師による検案のほか、慶應義塾大学の中舘久平・中山浄両氏に解剖・鑑定を嘱託した。解剖直後の6月17日、法務大臣は衆議院本会議で、解剖結果について急性出血性膵臓炎に頸部に強い力が加わったための窒息死とみられるとの報告を受けていると答弁した。慶應の鑑定書は、死因を胸腹部の圧迫による窒息死と推定する一方、頸部に扼痕(指で押さえた痕)があると認めた。再鑑定を委嘱された東京大学の上野正吉氏は、死因を胸部圧迫による窒息とし、頸部の傷も窒息の一徴候として生じたものだとして扼痕を否定した。東京地検は、樺さんは警官隊と接触する位置にはおらず、学生の人なだれの下敷きとなって胸部を圧迫され窒息死したと結論づけ、8月6日、総評弁護団などが警察官による殺害として行った告発を含め、犯罪の嫌疑なしとして不起訴とした。学生側は警官隊の暴行が死因だと主張し、見解の対立は後年まで続いた。

政治的影響

女子学生の死亡という衝撃的な結果は日本社会に大きな衝撃を与え、当時予定されていたアイゼンハワー米大統領の訪日は中止に追い込まれた。新安保条約は6月19日に自然承認されたが、岸信介首相は事態の責任を取る形で6月23日に退陣を表明した。樺美智子さんの死は、60年安保闘争を象徴する出来事として、今日まで記憶され続けている。

60年安保闘争の帰結

新安保条約は1960年6月19日に自然承認され、6月23日に批准書が交換されて発効した。しかし、条約の是非をめぐる激しい国論の分裂と、樺美智子さんの死という衝撃的な結果を受け、岸信介首相は退陣を余儀なくされ、日本の政治は大きな転換点を迎えた。

記憶の継承

樺美智子さんの死は、その後の学生運動・市民運動においてしばしば言及されている。60年安保闘争は、戦後日本における最大規模の大衆運動として、現在も政治史研究の重要なテーマであり続けている。

経過

  1. 1960年6月15日
    昭和35年

    事件・事故 デモ隊が国会構内に突入し警官隊と衝突

    樺美智子さんが死亡した。

  2. 1960年6月23日
    昭和35年

    その他 岸信介首相が退陣を表明

  3. 1960年8月6日
    昭和35年

    その他 東京地検が犯罪の嫌疑なしとして不起訴

    学生の人なだれの下敷きとなった胸部圧迫による窒息死と結論づけた。告発事件も不起訴とした。

出典・公的資料

一次資料 2件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

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「安保闘争死亡事件(樺美智子さん)」事件JP、2026年10月28日閲覧。https://jiken.jp/cases/1960-anpo-protest-kanba-death/
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更新履歴

  • 2026年10月2日 一次資料補強:国会会議録(法務大臣・法務省刑事局の説明)を出典に追加。「警察病院の検死」とした死因の記述を、慶應・東大の鑑定内容に基づき訂正し、東京地検の結論と不起訴処分(1960年8月6日)を追記、出典で確認できない記述を削除

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