事故の一覧(121件)・4ページ目
種別「事故」の事件を発生日の新しい順に掲載しています。
「事故」には、故意ではない人為的なミスや管理不備によって被害が生じた交通事故・火災・労働災害・レジャー事故などを分類しています。自然現象が直接の原因となった地震・台風・噴火などは「災害」に分類しています。掲載事件は、事故調査委員会の報告書や判決文、信頼できる報道機関の記事など公的資料に基づき事実関係を確認したうえで記録しています。
121 件
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犀川スキーバス転落事故
1985年(昭和60年)1月28日午前5時45分頃、長野県長野市の犀川で、スキー場へ向かっていた日本福祉大学の学生らを乗せた観光バスが、国道19号沿いの大安寺橋手前のカーブでガードレールを突き破り、水深4メートル・水温4度の川へ転落した。学生22人・教員1人・乗務員2人の計25人が死亡し、8人が重軽傷を負った。運転手が事故前に2週間連続勤務していたことなどから過労運転が疑われたが、長野地検は科学的な立証が困難として1986年に全員を不起訴とした。
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世田谷局ケーブル火災
1984年(昭和59年)11月16日午前11時50分ごろ、東京都世田谷区太子堂の日本電信電話公社(電電公社)世田谷電話局近くの地下洞道で、ケーブル増設工事中に火災が発生した。約17時間燃え続け、通信ケーブルが焼失した結果、約8万9千の加入電話回線と複数の銀行のオンラインシステムが最大9日間にわたり使用不能となった。死傷者はいなかったが、110番・119番の緊急通報も一時機能を失い、大都市の通信インフラの脆弱性を社会に印象づける事故となった。
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蔵王観光ホテル火災
1983年(昭和58年)2月21日未明、山形県山形市蔵王温泉の「蔵王観光ホテル」で火災が発生した。自動火災報知設備のベルが停止されていたため発見が遅れ、火元のホテルを含む周囲の旅館など7棟が全半焼し、従業員5人・宿泊客6人の計11人が一酸化炭素中毒で死亡した。経営者は業務上過失致死傷罪に問われ、1985年に禁錮2年・執行猶予3年の有罪判決を受けた。
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北炭夕張新炭鉱ガス突出事故
1981年(昭和56年)10月16日、北海道夕張市の北炭夕張新炭鉱で、地表下1,000メートルを超える深部の坑道掘進現場でガス突出が起き、救助活動中の同日夜にはガス爆発と坑内火災が続いた。死者は一次災害83人、二次災害10人の計93人。坑内への注水を経て遺体の収容は翌年3月まで続き、炭鉱は1982年10月に閉山した。
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川治プリンスホテル火災
1980年(昭和55年)11月20日、栃木県塩谷郡藤原町(現・日光市)川治温泉の旅館「川治プリンスホテル雅苑」で火災が発生した。露天風呂解体工事中の火花が出火原因となり、防火管理の不備と、報知機の鳴動を工事によるものと誤認した館内放送による避難の遅れが重なって、宿泊客ら45人が死亡、22人が負傷した。経営者の取締役専務は業務上過失致死傷罪に問われ、1990年に最高裁で実刑判決が確定。翌1981年には防火基準適合表示制度(適マーク制度)が導入された。
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静岡駅前地下街爆発事故
1980年(昭和55年)8月16日、静岡市の静岡駅前地下街で、湧水処理槽にたまったメタンガスへの引火をきっかけに2度の爆発が発生し、15人が死亡、223人が重軽傷を負った。事故後、地下街のガス保安基準が全国的に強化された。
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酒田大火
1976年(昭和51年)10月29日夕方、山形県酒田市中心部の映画館から出火し、台風並みの強風にあおられて延焼が拡大した大火。鎮火まで約12時間を要し、1774棟が焼失、死者1人・負傷者1003人、被害額は405億円に達した。戦後日本で4番目の規模とされる大火となった。
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大洋デパート火災
熊本市の大洋デパートで発生した火災。死者104人を出し、日本のデパート火災として史上最悪の惨事となった。
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北陸トンネル火災事故
1972年(昭和47年)11月6日未明、福井県敦賀市の北陸本線・北陸トンネル内を走行中の急行「きたぐに」の食堂車から出火し、乗客乗員約760人のうち30人が死亡、714人が負傷した。当時の運転規程に従って列車がトンネル内で停止し、その後の停電で動けなくなったうえ、トンネルには換気・排煙設備がなかったため煙が充満して被害が拡大した。運輸省の命令による国鉄監査委員会の特別監査報告書は事故の責任が国鉄にあると結論づけ、以後の車両の難燃化や長大トンネルの防災対策につながった。
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千日デパート火災
1972年(昭和47年)5月13日夜、大阪市南区(現・中央区千日前)の千日デパートビル3階から出火し、煙が流れ込んだ7階のアルバイトサロン「プレイタウン」を中心に118人が死亡、81人が負傷した。戦後日本のビル火災として最悪の惨事。出火原因は特定されず、逮捕された工事監督は不起訴となったが、防火管理の責任を問われたデパートの管理課長ら3人の有罪が1990年に確定した。この火災を契機に、雑居ビルの防火・避難対策に関する法整備が進んだ。
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全日空機雫石衝突事故
1971年(昭和46年)7月30日、東京発千歳行きの全日空58便(ボーイング727型機)と、編隊飛行訓練中の航空自衛隊F-86F戦闘機の訓練機が岩手県岩手郡雫石町上空で空中衝突した。訓練機の訓練生はパラシュートで脱出して助かったが、全日空機は空中分解し、乗客155人・乗員7人の計162人全員が死亡した。事故調査委員会は、教官が訓練空域を逸脱してジェットルートに入ったことに気づかず訓練を続けたことを第1の原因とした。刑事裁判では、最終的に1983年、最高裁判所が教官に禁錮3年・執行猶予3年を言い渡し、訓練生は無罪となった。
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ばんだい号墜落事故
1971年(昭和46年)7月3日夕、東亜国内航空63便「ばんだい号」(YS-11型機)が札幌の丘珠空港から函館空港へ向かう途中、函館北方の横津岳(亀田郡七飯町)に墜落し、乗員乗客68人全員が死亡した。北海道最悪の航空事故。事故調査委員会は、操縦者が無線標識の位置を誤認し、強風で機体が北へ押し流されたことが原因と推定した。
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天六ガス爆発事故
1970年(昭和45年)4月8日、大阪市大淀区(現・北区)の大阪市営地下鉄谷町線延長工事現場で都市ガス管の継手が抜け、漏洩したガスに引火して爆発が発生した。大阪万博開催中に起きた戦後最大級の都市型災害で、死者79人、重軽傷者420人を出し、施工業者や大阪市交通局の職員が刑事責任を問われた。
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磐光ホテル火災
1969年(昭和44年)2月5日午後9時ごろ、福島県郡山市熱海町の磐梯熱海温泉にあった「磐光ホテル」で火災が発生した。1階大広間の舞台裏で、金粉ショーの小道具としてベンジンを染み込ませた松明が石油ストーブの火に引火し、非常口の施錠や火災報知器の停止、防火区画の不備も重なって、31人が死亡、41人が負傷する惨事となった(消防の記録では死者30人・負傷者35人)。
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ぼりばあ丸沈没事故
1969年(昭和44年)1月5日、千葉県野島埼南東沖合の太平洋上で、ペルーから鉄鉱石約5万4千トンを積んで京浜港川崎区へ向かっていた大型鉱石運搬船「ぼりばあ丸」(総トン数33,768トン)が、第2番船倉付近から船体を折損して沈没した。乗組員33人のうち船長ほか30人が死亡(行方不明後に死亡認定)し、2人が救助された。竣工から3年3か月余りの新しい船だった。横浜地方海難審判庁は1972年11月28日、強度不足と腐食による折損が考えられるとしつつ、原因は断定できないとする裁決を言い渡した。
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池之坊満月城火災
1968年(昭和43年)11月2日未明、兵庫県神戸市の有馬温泉の旅館「池之坊満月城」で発生した火災。増築を重ねた複雑な建物と防火設備の不備から避難が難航し、死者30人、重傷者44人を出した。防火管理者を兼ねていた経営会社の代表取締役は、1978年に神戸地裁で禁錮2年・執行猶予2年の有罪判決を受けた。
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カネミ油症事件
1968年(昭和43年)、北九州市のカネミ倉庫が製造した米ぬか油に、製造工程で熱媒体として使われていたPCB(カネクロール)が混入し、それを食べた人に皮膚の吹き出物や色素沈着などの健康被害が西日本一帯で広がった事件。10月10日に新聞が「正体不明の奇病」として初めて報じ、届け出た人は約1万3千人に上った。油にはPCBのほか、ダイオキシン類も含まれていた。厚生労働省が認定した患者は2026年3月末現在で累計2,395人(死亡者を含む)。刑事裁判で工場長の有罪が確定し、2012年には被害者を支援する救済法が制定された。
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飛騨川バス転落事故
1968年(昭和43年)8月18日午前2時11分ごろ、岐阜県加茂郡白川町の国道41号飛水峡で、集中豪雨による土石流が観光バス2台を飛騨川へ押し落とした。乗員乗客107人のうち104人が死亡し、生存者は3人にとどまった。日本のバス事故として最大の犠牲者数である。名古屋方面から乗鞍岳へ向かっていたバス15台の車列が、進路の土砂崩れで引き返す途中の惨事だった。刑事責任は問われなかったが、国家賠償訴訟で名古屋高等裁判所は「全面的な人災」と認定し、国の賠償責任を認めた。この事故を機に、雨量に応じて道路を通行止めにする異常気象時通行規制の制度がつくられた。
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全日空羽田沖墜落事故
1966年(昭和41年)2月4日午後、全日空60便(ボーイング727型機)が千歳空港から羽田空港への飛行中、東京湾の羽田沖に墜落し、乗客乗員133人全員が死亡した。運輸省の事故調査団による調査が行われたが、原因は特定できず「不明」と結論づけられた。当時世界最悪の単独機事故となった。
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金井ビル火災
1966年(昭和41年)1月9日午前0時58分ごろ、神奈川県川崎市駅前本町の金井ビル(耐火造・地上6階地下1階)の3階キャバレー女子更衣室から出火し、上階にいた12人が一酸化炭素中毒で死亡、14人が負傷した火災。焼損は延べ床面積の49%にとどまったが、防火区画のない2か所の階段が煙の通り道となり、死者はすべて6階で見つかった。自動火災報知設備は受信機の電源が切られていて作動しなかった。消防庁は国会でビル火災の煙と避難の問題を取り上げ、同年12月の消防法施行令改正(防火管理者制度・避難器具・自動火災報知設備の規制強化)など、ビルの防火規制の見直しにつながった。
出典: https://jiken.jp/category/accident/?page=4(2026-10-30 取得)/ 事件JP