事故の一覧(103件)・4ページ目
種別「事故」の事件を発生日の新しい順に掲載しています。
「事故」には、故意ではない人為的なミスや管理不備によって被害が生じた交通事故・火災・労働災害・レジャー事故などを分類しています。自然現象が直接の原因となった地震・台風・噴火などは「災害」に分類しています。掲載事件は、事故調査委員会の報告書や判決文、信頼できる報道機関の記事など公的資料に基づき事実関係を確認したうえで記録しています。
103 件
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全日空機雫石衝突事故
1971年7月30日、東京発千歳行きの全日空58便(ボーイング727型機)と航空自衛隊のF-86F訓練機が岩手県岩手郡雫石町上空で空中衝突した。自衛隊機の搭乗員2人はパラシュートで脱出したが、全日空機は空中分解し、乗客乗員162人全員が死亡した。事故調査の結果、自衛隊機が訓練空域を逸脱していたことが主因と認定され、訓練を指導した教官の刑事責任が問われた。
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ばんだい号墜落事故
1971年(昭和46年)7月3日夕、東亜国内航空63便「ばんだい号」(YS-11型機)が札幌から函館へ向け飛行中、函館市の横津岳付近に墜落し、乗員乗客68人全員が死亡した。運輸省の事故調査委員会は、操縦者の位置誤認と強風による飛行経路のずれを事故原因と推定した。
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天六ガス爆発事故
1970年(昭和45年)4月8日、大阪市大淀区(現・北区)の大阪市営地下鉄谷町線延長工事現場で都市ガス管の継手が抜け、漏洩したガスに引火して爆発が発生した。大阪万博開催中に起きた戦後最大級の都市型災害で、死者79人、重軽傷者420人を出し、施工業者や大阪市交通局の職員が刑事責任を問われた。
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磐光ホテル火災
1969年(昭和44年)2月5日午後9時10分頃、福島県郡山市熱海町の磐梯熱海温泉にあった「磐光ホテル」(磐光パラダイス)で火災が発生した。1階大広間で行われていた金粉ショーの小道具用ベンジンにストーブの火が引火し、増改築で複雑化した館内構造や避難設備の不備も重なって、宿泊客・従業員ら31人が死亡、41人が負傷する惨事となった。
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ぼりばあ丸沈没事故
1969年(昭和44年)1月5日午前11時27分、千葉県野島埼南東沖合の太平洋上で、鉄鉱石約5万3千トンを積んで航行中の大型鉱石運搬船「ぼりばあ丸」(総トン数3万7千トン余)が、船体中央部から折損して沈没した。乗組員34人のうち船長ほか30人が死亡、2人が負傷した。竣工から3年3か月余りの比較的新しい大型船が構造的な弱点により船体を折ったとみられ、横浜地方海難審判庁による約3年9か月に及ぶ審理の末、1972年に裁決が言い渡された。ばら積み貨物船の構造基準を見直す契機となった。
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池之坊満月城火災
兵庫県神戸市の有馬温泉の旅館「池之坊満月城」で発生した火災。死者30人、負傷者44人を出した。
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飛騨川バス転落事故
1968年(昭和43年)8月18日午前2時11分ごろ、岐阜県加茂郡白川町の国道41号飛水峡で、集中豪雨による土石流が観光バス2台を飛騨川へ押し落とした。乗員乗客107人のうち104人が死亡し、生存者は3人にとどまった。日本のバス事故として最大の犠牲者数である。名古屋方面から乗鞍岳へ向かっていたバス15台の車列が、進路の土砂崩れで引き返す途中の惨事だった。刑事責任は問われなかったが、国家賠償訴訟で名古屋高等裁判所は「全面的な人災」と認定し、国の賠償責任を認めた。この事故を機に、雨量に応じて道路を通行止めにする異常気象時通行規制の制度がつくられた。
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全日空羽田沖墜落事故
1966年(昭和41年)2月4日午後、全日空60便(ボーイング727型機)が千歳空港から羽田空港への飛行中、東京湾の羽田沖に墜落し、乗客乗員133人全員が死亡した。運輸省の事故調査団による調査が行われたが、原因は特定できず「不明」と結論づけられた。当時世界最悪の単独機事故となった。
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昭和電工川崎工場爆発事故
1964年(昭和39年)6月11日、神奈川県川崎市の昭和電工川崎工場で、漏洩した酸化プロピレンに引火して爆発が発生し、18人が死亡、117人が負傷した事故。犠牲者の多くは増設工事にあたっていた下請け労働者だった。
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三井三池炭鉱三川鉱炭じん爆発事故
1963年(昭和38年)11月9日、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱三川坑で、坑内を暴走した石炭運搬用トロッコから出火し炭じんが爆発した。爆発そのものによる犠牲に加え、坑内に高濃度の一酸化炭素が長時間滞留したことで多数の坑員が中毒し、死者458人・一酸化炭素中毒患者839人にのぼる戦後最悪の炭鉱事故となった。
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みどり丸沈没事故
1963年(昭和38年)8月17日、那覇と久米島を結ぶ貨客船「みどり丸」が那覇沖で横波を受けて転覆・沈没し、死者86人、行方不明者26人、あわせて112人の犠牲者を出した。沖縄の戦後海難史上最大級の惨事となった。
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南武線久地駅・津田山駅間踏切事故
1962年(昭和37年)8月7日、川崎市の南武線久地駅・津田山駅間の踏切で、トラックと電車が衝突したのち対向電車とも二重に衝突する事故が発生し、3人が死亡、154人が重軽傷を負った。踏切事故対策の強化を促す契機となった。
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香春町上清炭鉱火災
1961年(昭和36年)3月9日、福岡県田川郡香春町の上清炭鉱で坑内火災が発生し、坑内にいた作業員71人が死亡した。戦後の日本国内における炭鉱火災としては最大の死者数となり、同月16日には田川市体育館で合同葬が営まれ、昭和天皇・香淳皇后から花料が下賜された。
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豊州炭鉱水没事故
1960年(昭和35年)9月20日未明、福岡県田川郡川崎町の上尊鉱業豊州炭鉱で、集中豪雨により増水した中元寺川の川底が陥没し、坑内に川の水が大量に流れ込んで水没した事故。坑内で作業していた約220人のうち67人が逃げ遅れて死亡し、二次災害のおそれから多くの遺体は収容されないまま坑内に取り残された。
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宮森小学校米軍機墜落事故
1959年(昭和34年)6月30日、沖縄県石川市(現・うるま市)の宮森小学校に、整備不良で操縦不能となった米軍のジェット戦闘機が墜落した事故。児童11人を含む18人が死亡し、210人が負傷した。
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六軒事故
1956年(昭和31年)10月15日夜、三重県松阪市の参宮線六軒駅で、信号確認を誤った下り急行列車が安全側線に進入して脱線し、20秒後に上り急行列車が衝突した事故。修学旅行中の高校生を含む42人が死亡、94人が負傷し、事故を機に自動列車停止装置(ATS)の全国導入が進んだ。
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茂尻炭鉱ガス爆発事故
北海道赤平市の茂尻炭鉱で坑内のガス爆発が発生し、死者60人、負傷者17人を出した事故。
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墨田区花火問屋爆発事故
1955年(昭和30年)8月1日、東京都墨田区の花火問屋が経営する花火工場の倉庫で爆発が発生し、18人が死亡、80人以上が重軽傷を負った。爆風は周辺の建物にも被害を及ぼし、住宅密集地における花火の保管・製造の危険性を浮き彫りにした。
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橋北中学校水難事件
1955年7月28日、三重県津市立橋北中学校の水泳訓練中、中河原海岸で急激な水位上昇と異常な流れが発生し、多数の女子生徒が溺れて36人が死亡した。学校長ら3人が業務上過失致死罪で起訴され、津地方裁判所は執行猶予付き有罪判決を言い渡したが、名古屋高等裁判所は異常な流れを「不可抗力」と認定して無罪を言い渡し、判決が確定した。
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紫雲丸事故
1955年(昭和30年)5月11日午前6時56分、濃霧に包まれた香川県高松港沖で、日本国有鉄道の宇高連絡船「紫雲丸」と貨車運航船「第三宇高丸」が衝突し、紫雲丸が沈没して乗客乗員168人が死亡・行方不明となった。犠牲者のうち108人は4つの小中学校の修学旅行の一行で、児童・生徒だけで100人を数えた。前年の洞爺丸事故に続く国鉄連絡船の大惨事として社会に衝撃を与え、高等海難審判庁は両船船長の職務上の過失を認定。濃霧による欠航の多発は、のちの瀬戸大橋建設の機運を高める一因ともなった。
出典: https://jiken.jp/category/accident/?page=4(2026-09-15 取得)/ 事件JP