ぼりばあ丸沈没事故

発生日 1969年1月5日(昭和44年)
経過 発生から57年8か月
発生場所 千葉県 南房総市 野島埼南東沖合(太平洋上)
種別 事故
状態 終結
被害 死者 31人  負傷者 2人
1969年(昭和44年)1月5日午前11時27分、千葉県野島埼南東沖合の太平洋上で、鉄鉱石約5万3千トンを積んで航行中の大型鉱石運搬船「ぼりばあ丸」(総トン数3万7千トン余)が、船体中央部から折損して沈没した。乗組員34人のうち船長ほか30人が死亡、2人が負傷した。竣工から3年3か月余りの比較的新しい大型船が構造的な弱点により船体を折ったとみられ、横浜地方海難審判庁による約3年9か月に及ぶ審理の末、1972年に裁決が言い渡された。ばら積み貨物船の構造基準を見直す契機となった。
広告

事故の経過

1969年(昭和44年)1月5日午前11時27分、千葉県野島埼の南東沖合を航行していた大型鉱石運搬船「ぼりばあ丸」(総トン数3万7千トン余、全長223メートル)から遭難信号が発信された。同船はペルーのイロ港で積み込んだ鉄鉱石約5万3千トンを積み、京葉工業地帯へ向けて航行中だった。折からの強風・高波の中、船体が中央部の第2船倉付近から真っ二つに折損し、船首部分が海中へ没した。付近を航行していた船舶や巡視船が救助に向かったが、荒天のため難航し、乗組員34人のうち船長ほか30人が死亡、2人のみが救助された。
広告

海難審判の審理

事故発生後、運輸省(当時)の横浜地方海難審判庁が原因究明に乗り出した。関係者への尋問など39回の審判期日を重ね、約3年9か月後の1972年11月28日に裁決が言い渡された。裁決は、船体の折損原因を単一の要因に断定することは避けつつ、船体構造上の弱点や荒天下での運航判断など複数の要素が重なった可能性を指摘した。刑事責任を問う裁判ではなく、海難の原因を明らかにし再発防止につなげることを目的とする行政手続きとして進められた。

構造的な弱点と造船界への衝撃

ぼりばあ丸は1965年に竣工したばかりの比較的新しい大型鉱石運搬船で、竣工からわずか3年3か月余りでの沈没だった。鉱石運搬船は喫水下に重量物である鉱石を集中して積載する構造上、船体にかかる応力が大きくなりやすいという特性があり、水密隔壁の配置や使用鋼材の疲労・腐食が船体強度に影響した可能性が審理で議論された。新しい大型船が船体を折って沈没したことは、当時の海運・造船業界に大きな衝撃を与えた。

その後の安全対策

事故を受け、運輸省の造船技術審議会はばら積み貨物船・鉱石専用船の構造基準について検討を行い、船体強度や検査基準の見直しにつながったとされる。同種の大型ばら積み船の折損・沈没事故はぼりばあ丸事故の前後にも国内外で発生しており、鉱石運搬船特有の構造的リスクへの関心を高める契機の一つとなった。

経過

  1. 1969年1月5日
    昭和44年

    事件・事故 ぼりばあ丸が野島埼沖合で船体を折損し沈没

    船長ほか30人が死亡、2人が負傷した。

  2. 1972年11月28日
    昭和47年

    その他 横浜地方海難審判庁が裁決を言い渡す

    約3年9か月に及ぶ審理の末、船体構造上の弱点等を指摘する裁決が示された。

    横浜地方海難審判庁 (事件番号: 昭和44年横審第128号)

出典・公的資料

一次資料 1件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

  • 判決文・裁判記録
    国土交通省(海難審判庁)  1972年11月28日発行  昭和44年横審第128号
    発生日時・場所・死傷者数(船長ほか30人死亡・2人負傷)・審理経過・裁決要旨を確認。国の公式記録。
  • その他
    ウィキペディア日本語版
    船体諸元・構造欠陥に関する議論・その後の安全対策への影響を確認。

この記事を引用する

レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。

「ぼりばあ丸沈没事故」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1969-boribaa-maru-sinking/

関連する事件

広告

更新履歴

  • 2026年9月1日 初版公開

本ページは公的資料に基づいて作成しています。情報の誤りにお気づきの場合や、掲載内容の削除・訂正のご依頼は お問い合わせ・削除依頼よりご連絡ください。