昭和電工川崎工場爆発事故
| 発生日 | 1964年6月11日(昭和39年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から62年2か月 |
| 発生場所 | 神奈川県 川崎市扇町 |
| 種別 | 事故 |
| 状態 | 終結 |
| 被害 | 死者 18人 負傷者 117人 |
1964年(昭和39年)6月11日、神奈川県川崎市の昭和電工川崎工場で、漏洩した酸化プロピレンに引火して爆発が発生し、18人が死亡、117人が負傷した事故。犠牲者の多くは増設工事にあたっていた下請け労働者だった。
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事故の経過
1964年6月11日午後3時10分ごろ、神奈川県川崎市扇町の昭和電工川崎工場で爆発が発生した。当時、工場ではタンクの増設工事が進められており、タンクから漏洩した酸化プロピレンが溶接の火花に引火したとみられている。爆発の約40分前には、配管付近で白煙が目撃されていた。
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被害の状況
この爆発により18人が死亡し、117人が重軽傷を負った。酸化プロピレンは沸点34度、引火点マイナス37度という非常に引火しやすい性質を持つ物質で、当時は液体窒素で冷却しながら扱われていた。犠牲者の多くは、増設工事にあたっていた下請け企業の作業員であり、オートメーション化が進んでいた昭和電工の正規従業員には死者が出なかった。
化学プラントの安全管理への教訓
この事故は、危険物を扱う化学プラントにおいて、元請け企業の従業員よりも下請け労働者に被害が集中するという、当時の産業構造上の問題を浮き彫りにした。事故を機に、化学工場における可燃性ガスの取り扱い基準や、工事中の安全管理体制の見直しが進められた。
高度経済成長期の労働災害
この事故が発生した1964年は東京オリンピックが開催された年であり、日本が高度経済成長のただ中にあった時期にあたる。急速な工業化の一方で、危険物を扱う現場における安全管理体制の整備が追いついていなかった実態を、この事故は浮き彫りにした。
下請け労働者の安全確保
犠牲者の多くが下請け企業の作業員であったことは、元請け企業と下請け企業との間で安全管理の責任がどのように分担されるべきかという課題を提起した。この事故を含む一連の産業事故を教訓に、労働安全衛生に関する法整備が段階的に進められていくことになった。
労働安全衛生法制定への流れ
この事故を含む1960年代の一連の重大産業事故は、労働者の安全と健康を守るための包括的な法制度の必要性を社会に強く認識させた。1972年には労働安全衛生法が制定され、事業者に対する安全配慮義務がより明確に定められることになった。
記憶と記録
この事故は、高度経済成長期の産業発展の裏で数多くの労働災害が起きていたことを示す事例の一つとして、労働安全の歴史を振り返る資料の中で繰り返し取り上げられている。
経過
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1964年6月11日
昭和39年事件・事故 昭和電工川崎工場でガス爆発
18人が死亡した。
出典・公的資料
- その他
- その他
関連する法律用語
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「昭和電工川崎工場爆発事故」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1964-showa-denko-kawasaki-plant-explosion/
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