茂尻炭鉱ガス爆発事故
| 発生日 | 1955年11月1日(昭和30年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から70年9か月 |
| 発生場所 | 北海道 赤平市 |
| 種別 | 事故 |
| 状態 | 終結 |
| 被害 | 死者 60人 負傷者 17人 |
北海道赤平市の茂尻炭鉱で坑内のガス爆発が発生し、死者60人、負傷者17人を出した事故。
広告
事故の経過
1955年11月1日、北海道赤平市の茂尻炭鉱の坑内で採炭作業中にガス爆発が発生した。爆発は坑内深部で起こり、多数の坑夫が爆風や有毒ガス、坑道の崩落によって被災した。事故発生後、直ちに救助隊が出動し、坑内に取り残された作業員の救出にあたったが、最終的に死者60人、負傷者17人という当時の国内炭鉱事故としては極めて大きな惨事となった。犠牲者の多くは、爆発の衝撃と、その後坑内に充満した一酸化炭素などの有毒ガスによって命を落としたとみられている。
広告
事故の背景と対策
事故の原因は、採炭に伴い坑内に滞留していたメタンガスに何らかの火源が引火したガス爆発とみられている。石炭採掘の坑内ではガスの発生が避けられず、当時の換気・保安設備では濃度管理が追いつかなかったことが背景にあるとされる。戦後復興期の増産体制のもとで採炭が急がれる一方、保安設備や検査体制の整備が追いつかず、日本各地の炭鉱でガス爆発・炭じん爆発による重大事故が相次いだ時期であり、本事故もその一つに数えられる。
その後
事故後、労働省・通商産業省の鉱山保安当局による原因調査が行われ、坑内のガス管理体制の見直しが求められた。赤平市の炭鉱群はその後、エネルギー政策の転換(石炭から石油へのシフト)に伴う斜陽化を経て、1990年代までにすべて閉山した。犠牲者を悼む慰霊碑が地元に建立され、現在も炭鉱の歴史を伝えている。
同じ炭鉱で先立つ惨事
茂尻炭鉱では、本事故に先立つ1935年5月6日にも爆発事故が発生し、入坑していた96人中95人が死亡するという、本事故を上回る規模の惨事が起きていた。同じ炭鉱でわずか20年の間に立て続けに大規模なガス爆発事故が発生したことは、坑内保安体制の抜本的な見直しが当時いかに困難であったかを物語っている。赤平市には両事故を含む炭鉱事故の犠牲者を悼む慰霊碑が現存する。
産炭地としての赤平
赤平市周辺には住友赤平炭鉱など複数の炭鉱が集積しており、北海道有数の産炭地として栄えていた。事故当時、坑内には多数の作業員が同時に入坑しており、そのことが被害の拡大につながった一因とされる。
経過
-
1955年11月1日
昭和30年事件・事故 茂尻炭鉱の坑内でガス爆発が発生
死者60人、負傷者17人を出す事故となった。
出典・公的資料
- その他
- その他
この記事を引用する
レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。
「茂尻炭鉱ガス爆発事故」事件データベース jiken.jp、2026年8月3日閲覧。https://jiken.jp/cases/1955-moshiri-coal-mine-explosion/
関連する事件
広告
本ページは公的資料に基づいて作成しています。情報の誤りにお気づきの場合や、掲載内容の削除・訂正のご依頼は お問い合わせ・削除依頼よりご連絡ください。