紫雲丸事故 通称: 紫雲丸沈没事故
結末 1963年3月、高松高裁の判決が上告されず確定。第三宇高丸の船長と紫雲丸の航海士が有罪、一部は無罪とされた
| 発生日 | 1955年5月11日(昭和30年) 1955年(昭和30年)の事件 / 5月11日に起きた事件 |
|---|---|
| 経過 | 発生から71年5か月 1963年3月19日の確定から63年7か月 |
| 発生場所 | 香川県 高松市(高松港沖・女木島付近) |
| 種別 | 事故 |
| 状態 | 判決確定 |
| 被害 | 死者 168人 |
- 事故・災害が変えた安全対策国鉄が宇高連絡船管理部を新設し、船体構造・救命設備・航路分離・船員教育の各面で安全対策を実施した。学校プールの整備と水泳授業の定着を促した事故としても語られる。
- 日本の航空機事故・鉄道事故国鉄の鉄道連絡船どうしの衝突事故。前年の青函連絡船洞爺丸事故に続く大惨事で、のちに宇高航路は瀬戸大橋の開通とともに終航した。
濃霧の高松港沖
謎の左転
修学旅行の一行
海難審判と刑事責任
事故が残したもの
経過
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1955年5月11日
昭和30年事件・事故 高松港沖で紫雲丸と第三宇高丸が衝突し紫雲丸が沈没
午前6時56分、濃霧の中で衝突。乗客乗員168人が死亡・行方不明となった。
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1955年6月11日
昭和30年捜査 神戸地方海難審判理事所が審判開始を申し立てる
海難発生から1か月後の申立てだった。
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1955年7月10日
昭和30年その他 紫雲丸が引き揚げられる
のちに瀬戸丸と改称して宇高航路に復帰し、1966年まで就航した。
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1956年1月17日
昭和31年判決 神戸地方海難審判庁が第一審の裁決を言い渡す
10回にわたる審理を経ての裁決だった。
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1960年8月29日
昭和35年判決 高等海難審判庁が第二審の裁決を言い渡す
紫雲丸船長と第三宇高丸船長の運航に関する各職務上の過失に起因して衝突が発生したと認定した。
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1963年3月19日
昭和38年判決 高松高裁が紫雲丸の航海士と第三宇高丸の船長に有罪判決(確定)
検察・被告双方とも上告せず判決が確定した。法務省の刑事参考記録一覧では、確定した刑は禁錮2月・執行猶予1年などで、無罪の被告人もいたとされる。
高松高等裁判所
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1988年4月9日
昭和63年その他 宇高連絡船が78年の歴史に幕を下ろす
瀬戸大橋の開通に合わせ、1910年の航路開設から78年目に運航を終えた。
出典・公的資料
一次資料 2件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。
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調査報告書
運輸安全委員会(国土交通省)衝突までの分単位の経過、両船の装備と運航体制、犠牲者の学校別内訳、海難審判の経過、事故後の安全対策の出典。
- その他
- その他
- 調査報告書
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「紫雲丸事故」事件JP、2026年10月27日閲覧。https://jiken.jp/cases/1955-shiunmaru-collision/
更新履歴
- 2026年10月19日 刑事裁判で確定した刑の内容(法務省の刑事参考記録)を追記
- 2026年9月28日 刑事裁判で有罪となった者(紫雲丸の航海士・第三宇高丸の船長)を補記し、出典の種別を訂正
- 2026年8月20日 初版公開
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