ばんだい号墜落事故

発生日 1971年7月3日(昭和46年)
経過 発生から55年
発生場所 北海道 函館市(横津岳)
種別 事故
状態 終結
被害 死者 68人  負傷者 0人
1971年(昭和46年)7月3日夕、東亜国内航空63便「ばんだい号」(YS-11型機)が札幌から函館へ向け飛行中、函館市の横津岳付近に墜落し、乗員乗客68人全員が死亡した。運輸省の事故調査委員会は、操縦者の位置誤認と強風による飛行経路のずれを事故原因と推定した。
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事故の経過

1971年7月3日、東亜国内航空63便として運航されていたYS-11型機「ばんだい号」は、札幌の丘珠空港を出発し、函館空港へ向けて飛行していた。同日午後6時5分ごろの機長からの交信を最後に、機は消息を絶った。当時、函館空港周辺は風雨が強く、視界も悪化しており、着陸に必要な最低気象条件をかろうじて満たす程度の悪天候だったとされる。消息を絶った翌7月4日、自衛隊のヘリコプターが函館市南西の横津岳南西斜面で、墜落した機体を発見した。乗客・乗員68人は全員が死亡した。
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事故調査の経過

運輸省航空事故調査委員会の調査によれば、操縦者が函館の無指向性無線標識(NDB)の北方約5海里の地点上空を、NDB上空そのものと誤認したまま降下を続けたことが原因と推定された。1回の旋回降下でハイステーションを通過しようとしたため飛行経路が西側へ広がり、加えて強い南西風の影響で機体が予想以上に北へ押し流されたとみられる。ただし同機にはフライトデータレコーダーやコックピットボイスレコーダーが搭載されておらず、決定的な証拠を欠いたまま調査は難航した。目撃証言の内容にも食い違いが多く、証言の取りまとめを担当していた委員が、報告書提出前に抗議の意味を込めて辞任する事態も生じ、最終的な事故原因は推定にとどまった。乗客64人には観光客や帰省客、家族連れも含まれており、一家全員が犠牲になった例もあった。事故機には計器着陸装置による精密な進入誘導の設備が整っていなかったことも、被害の拡大につながった背景として指摘されている。

その後

この事故は、日本国内における旅客機事故として当時最大級の犠牲者数となり、地方空港における計器着陸装置(ILS)などの航空保安施設の整備の遅れが課題として指摘された。墜落現場に近い横津岳の中腹には、事故の約1年後、犠牲者全員の氏名を刻んだ慰霊碑が建立された。函館市内では、事故から半世紀以上を経た現在も、毎年7月に現場近くで慰霊式が営まれ、当時の関係者や遺族が参列を続けている。

経過

  1. 1971年7月3日
    昭和46年

    事件・事故 函館空港へ進入中に消息を絶つ

  2. 1971年7月4日
    昭和46年

    その他 横津岳で機体発見、乗員乗客68人全員の死亡確認

出典・公的資料

一次資料 1件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

  • その他
    フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    発生日時・被害・事故調査結果を確認
  • 白書・統計資料
    運輸省
    事故調査委員会による原因分析を確認

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「ばんだい号墜落事故」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1971-bandai-go-crash/

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更新履歴

  • 2026年7月18日 初版公開

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