事故の一覧(103件)・5ページ目
種別「事故」の事件を発生日の新しい順に掲載しています。
「事故」には、故意ではない人為的なミスや管理不備によって被害が生じた交通事故・火災・労働災害・レジャー事故などを分類しています。自然現象が直接の原因となった地震・台風・噴火などは「災害」に分類しています。掲載事件は、事故調査委員会の報告書や判決文、信頼できる報道機関の記事など公的資料に基づき事実関係を確認したうえで記録しています。
103 件
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洞爺丸事故
1954年(昭和29年)9月26日夜、台風15号(洞爺丸台風)による強風の中、青函連絡船「洞爺丸」が北海道・函館港沖の七重浜沖合で転覆・沈没した事故。乗員乗客1314人のうち1155人が死亡・行方不明となり、日本海難史上最悪の惨事となった。この事故を契機に、本州と北海道を結ぶ青函トンネルの建設構想が具体化した。
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鳥取大火
1952年(昭和27年)4月17日午後2時55分ごろ、鳥取市吉方の市営動源温泉付近から出火した火災は、フェーン現象による南南西の強風にあおられて市街地を焼き払い、翌18日未明に鎮火するまでに約12時間燃え続けた。焼失面積は約44万9千平方メートル、罹災世帯は5,700を超え、鳥取市の中心市街地の大半が失われた。戦後の日本で最大規模の都市大火のひとつとされ、この復興過程で全国初の防火建築帯が指定されるなど、市街地の不燃化と都市計画の転換点となった。
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愛媛県国鉄バス火災事故
愛媛県で秋祭りに向かう乗客を乗せた国鉄バスが車内に持ち込まれた映画用フィルムの引火により炎上し、死者32人を出した事故。
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大原劇場火災
1951年(昭和26年)5月19日午後2時50分ごろ、北海道厚岸郡浜中村(現・浜中町)にあった映画館「大原劇場」で火災が発生した。住宅を改造した収容人数約200名の急ごしらえの施設で、上映中のフィルムから映写室内で出火し、火元の映写室が出入口の近くにあったことに加え、非常口にかんぬきがかけられていたため、多くの観客が避難できなかった。小・中学生を含む42名が死亡する惨事となり、劇場主・映写技師・引率教員ら7名が業務上過失致死傷などの容疑で書類送検された。地元では犠牲者を悼む慰霊塔が建立され、現在も追悼が続けられている。
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国鉄桜木町電車火災事故
1951年(昭和26年)4月24日、横浜市中区の国鉄京浜東北線桜木町駅構内で、架線工事のミスにより垂れ下がった架線に電車のパンタグラフが接触して短絡し、先頭車両が全焼した事故。死者106人、負傷者92人にのぼり、戦後の国鉄が起こした重大事故の一つに数えられる。当時の63系電車は中段が固定された3段窓で乗客が窓から脱出できず、非常用ドアコックの位置も乗客に周知されていなかったため、多くの乗客が炎上する車内に閉じ込められた。架線工事の担当作業員や運転士らが業務上過失致死罪などで禁錮刑の実刑判決を受けたほか、この事故を契機に非常用ドアコックの設置・表示の義務化、3段窓の廃止、車両の不燃化など、鉄道車両の安全基準が大きく見直された。
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松島炭鉱ガス爆発事故
長崎県の松島炭鉱(大島鉱業所)で発生したガス・炭じん爆発事故。死者9人を出した。
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松山城筒井門等焼失事故
1949年(昭和24年)2月27日、愛媛県松山市の松山城で火災が発生し、本丸に通じる筒井門とその東続櫓・西続櫓の3棟(いずれも当時の国宝)が焼失した。出火原因は、城内にいた精神疾患の患者がたき火をしたことによるとされ、天守など他の建造物は焼失を免れた。焼失した3棟はその後、旧国宝の指定を解除された。
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万代橋事件
1948年(昭和23年)8月23日、新潟市の萬代橋で花火大会を見物していた観衆が欄干に殺到し、欄干が約40メートルにわたり崩落した。約100人が信濃川に転落し、11人が死亡、29人が重軽傷を負った。
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八高線列車脱線転覆事故
1947年(昭和22年)2月25日午前7時50分頃、国鉄八高線東飯能駅~高麗川駅間で、買い出し客で満員となっていた列車が急カーブを曲がりきれず後部4両が脱線し、約5メートル下の築堤下に転落した。死者184人を出し、日本の鉄道事故史上最悪クラスの惨事となった。木造客車の脆弱性が被害拡大の一因とされ、事故後、木造客車の淘汰が進められた。
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二又トンネル爆発事故
福岡県のトンネル内に貯蔵されていた旧日本陸軍の火薬を米軍が焼却処分しようとした際に大爆発し、死者147人を出した事故。
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第六垂水丸遭難事故
1944年(昭和19年)2月6日午前9時50分、鹿児島県の垂水港を出港した定期旅客船「第六垂水丸」(122総トン)が、出港直後に桟橋付近でバランスを崩して転覆・沈没した。戦時下の燃料不足で減便されていた航路に乗客が殺到し、定員を大幅に超える約700人が乗船していたとされ、死者は慰霊碑の記録で547人にのぼる、日本の海難事故史上2番目の規模の惨事となった。
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松尾鉱山落盤事故
岩手県の松尾鉱山(硫黄鉱山)で発生した落盤事故。死者・行方不明者85人を出した。
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禁野火薬庫爆発事故
1939年(昭和14年)3月1日午後2時45分頃、大阪府枚方市の陸軍禁野火薬庫で、砲弾解体作業中に発火し大爆発が発生した。爆発は同日19時までに計29回起き、火災は3日正午まで続いた。死者94人、負傷者602人、全半壊家屋821戸という大惨事となり、枚方市は1989年、3月1日を「平和の日」に制定した。
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大牟田爆発赤痢事件
1937年(昭和12年)9月25日、福岡県大牟田市内で市民が相次いで赤痢様の症状を訴え、最終的に712人が死亡した事件。公式には上水道の汚染が原因とされたが、同日夜に市内の化学工業所で発生した爆発事故との関連を指摘する見方もあり、原因をめぐる論争は国会でも取り上げられた。
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浜一中大福餅事件
1936年(昭和11年)5月10日、静岡県立浜松第一中学校(現・浜松北高等学校)で行われた運動会終了後、地元の菓子店「三好野」が製造した大福餅が生徒・教職員とその家族に配布された。その夜から高熱・腹痛・下痢を訴える者が続出し、罹患者は2,000名を超え、44名(諸説あり)が死亡する日本の食中毒史上最悪規模の集団食中毒事件となった。陸軍軍医学校の調査により、原因は大福餅の餡に混入していたゲルトネル菌(サルモネラ菌の一種)と断定された。三好野の店内はネズミが横行する劣悪な衛生環境にあり、餡を製造後3昼夜にわたり放置していたことが感染源とみられている。刑事責任の追及は最終的に立件に至らず、事件は静岡県・浜松市の医療衛生史に刻まれる悲劇として語り継がれている。
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山陽本線特急列車脱線事故
1926年(大正15年)9月23日未明、山陽本線安芸中野駅-海田市駅間で、豪雨による畑賀川の堤防決壊で築堤が崩壊していた地点に、東京発下関行きの下り特急第1列車が進入して脱線転覆した事故。34人が死亡し、乗客には著名人や外国人も含まれていた。
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北陸線列車雪崩直撃事故
1922年(大正11年)2月3日午後8時頃、新潟県西頸城郡(現・糸魚川市)の北陸本線親不知駅~青海駅間、勝山トンネル西口付近で大規模な雪崩が発生し、走行中の列車を直撃した。乗客・除雪作業員ら90人が死亡し、日本の雪崩関連鉄道事故として最悪の被害となった。
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丹那トンネル熱海口崩落事故
1921年(大正10年)4月1日午後4時20分ごろ、静岡県田方郡熱海町(現・熱海市)で建設中だった丹那トンネル熱海口(東口)付近、坑口から約300メートルの地点で崩落が発生した。作業員33名が生き埋めとなり、16名が死亡した。退路を断たれた17名は坑内奥に取り残されたが、7日後の4月8日に生存した状態で救出された。事故現場では地熱による地質変化と断層破砕帯からの湧水が確認されており、事故後は水抜き坑を先進させる排水工法(後の「丹那方式」)が各地のトンネル工事に採用された。トンネル全体の工事は当初計画の7年を大幅に超えて16年を要し、工事期間中の事故による死者は67名にのぼった。丹那トンネルは1934年(昭和9年)12月、熱海線(現・東海道本線)熱海駅-函南駅間として開通した。
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方城炭鉱ガス爆発事故
1914年(大正3年)12月15日午前9時40分頃、福岡県田川郡方城町(現・福智町)の方城炭鉱で発生したガス爆発事故。三菱合資会社が経営していた炭鉱で、坑内に滞留したメタンガスと炭塵に引火し大爆発が起きた。会社発表の死者は671人にのぼり、日本の炭鉱事故史上最悪の惨事とされる。
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鹿島灘漁船遭難事故
1910年(明治43年)3月12日、猛烈な暴風雪により、千葉県銚子沖から茨城県鹿嶋沖にかけての鹿島灘で操業中だった漁船100隻以上が遭難し、900人以上が死亡した。利根川河口付近は古くから海の難所として知られ、この事故を契機に銚子港では堤防・運河の建設や漁港整備が進められた。
出典: https://jiken.jp/category/accident/?page=5(2026-09-15 取得)/ 事件JP