南武線久地駅・津田山駅間踏切事故
| 発生日 | 1962年8月7日(昭和37年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から63年11か月 |
| 発生場所 | 神奈川県 川崎市高津区(久地駅〜津田山駅間) |
| 種別 | 事故 |
| 状態 | 終結 |
| 被害 | 死者 3人 負傷者 154人 |
1962年(昭和37年)8月7日、川崎市の南武線久地駅・津田山駅間の踏切で、トラックと電車が衝突したのち対向電車とも二重に衝突する事故が発生し、3人が死亡、154人が重軽傷を負った。踏切事故対策の強化を促す契機となった。
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事故の経過
1962年8月7日、川崎市の南武線久地駅・津田山駅間にあった踏切で、警報機も遮断機もない第3種踏切に、警報を無視して進入した小型トラックに下り電車(4両編成)が衝突し、脱線した。この下り電車が上り線を支障した状態になっていたところへ、続いて上り電車(同じく4両編成)が衝突する二重衝突事故に発展し、乗客ら3人が死亡、154人が重軽傷を負った。踏切には第1種踏切のような警報機や遮断機が設置されておらず、運転士がトラックの進入に気づいたときには、衝突を避ける余地がほとんど残されていなかった。
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事故の背景と対策
事故当時、南武線をはじめ全国の私鉄・国鉄路線には、警報機・遮断機のない第3種・第4種踏切が数多く残っており、この事故を契機に踏切事故の多発が社会問題として取り上げられた。国鉄は踏切支障報知装置の設置など当面の対策を進めるとともに、踏切の立体化や設備改良といった抜本的な整備策の検討を進めることとなった。同種の踏切での重大事故は当時全国で相次いでおり、本事故はその中でも被害規模の大きさから象徴的な事例として取り上げられることが多い。高度経済成長期に入り沿線の宅地開発が進んでいた南武線は、朝夕の交通量が急増していた時期であり、踏切の安全対策の遅れが被害を拡大させた一因とも指摘された。同種の警報機・遮断機のない踏切での事故は、当時全国の私鉄・国鉄路線で後を絶たず、抜本的な対策の必要性が繰り返し訴えられていた。都市近郊の路線が急速に輸送量を増やす一方で、安全設備の整備がその実情に追いついていなかったことも、事故の背景として指摘されている。
その後
この事故は、日本国内における踏切の安全対策強化の重要な契機の一つとなり、その後全国的に踏切の遮断機・警報機の整備が加速した。南武線ではその後も複線化・高架化が段階的に進められ、事故現場付近を含む区間でも踏切そのものを取り除く連続立体交差事業が進行している。津田山駅についても、開かずの踏切の解消に向けた橋上駅舎化の取り組みが進められた。
経過
-
1962年8月7日
昭和37年事件・事故 トラックと電車が衝突、対向電車とも二重衝突
死者3人、負傷154人。
出典・公的資料
- その他
- その他
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「南武線久地駅・津田山駅間踏切事故」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1962-nanbu-line-crossing-accident/
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更新履歴
- 2026年7月20日 初版公開
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