全日空機雫石衝突事故
| 発生日 | 1971年7月30日(昭和46年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から54年11か月 1983年1月1日の確定から43年6か月 |
| 発生場所 | 岩手県 岩手郡雫石町 |
| 種別 | 事故 |
| 状態 | 終結 |
| 被害 | 死者 162人 |
1971年7月30日、東京発千歳行きの全日空58便(ボーイング727型機)と航空自衛隊のF-86F訓練機が岩手県岩手郡雫石町上空で空中衝突した。自衛隊機の搭乗員2人はパラシュートで脱出したが、全日空機は空中分解し、乗客乗員162人全員が死亡した。事故調査の結果、自衛隊機が訓練空域を逸脱していたことが主因と認定され、訓練を指導した教官の刑事責任が問われた。
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事故の経過
1971年7月30日、東京発千歳行きの全日空58便(ボーイング727型機)は、岩手県雫石町上空を飛行中、訓練飛行をしていた航空自衛隊のF-86F戦闘機と空中衝突した。自衛隊機の搭乗員2人はパラシュートで脱出したが、全日空機は空中分解し墜落、乗客乗員162人全員が死亡した。
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事故調査と裁判
事故調査の結果、自衛隊の訓練機が指定された訓練空域を逸脱し、民間機の航空路に進入していたことが事故の主因と認定された。刑事裁判では訓練を指導していた教官の過失が問われ、1983年、最高裁判所は禁錮3年・執行猶予3年の判決を確定させた。
事故後の航空安全対策
雫石事故を受け、事故発生から1週間後の1971年8月7日、政府の中央交通安全対策会議は「航空安全緊急対策要綱」を決定した。同要綱では、航空自衛隊の訓練空域と民間機の航空路を完全に分離すること、訓練空域の設定にあたっては防衛庁長官と運輸大臣が協議のうえ公示すること、特別管制空域を拡充し空域内を飛行するすべての航空機に管制機関の指示への服従を義務付けることなどが定められた。さらに1975年6月、航空法が改正され、同年10月に施行された。改正航空法では、管制圏など一定の空域における曲技飛行・訓練飛行が原則として禁止されたほか、操縦者の見張り義務や航空機同士のニアミス発生時の報告義務が明文化され、トランスポンダおよびフライトレコーダーの装着が義務化された。これらの規制は自衛隊機にも適用され、民間機と自衛隊機が混在する空域における安全管理体制が強化された。
事故の航空史上の位置づけ
雫石事故は、発生当時、日本国内で起きた航空事故として最多となる犠牲者数を記録した事故であった。乗客乗員162人全員が死亡するという被害の大きさは社会に大きな衝撃を与え、民間航空機と自衛隊機が同一空域を飛行することの危険性が広く認識される契機となった。雫石事故の犠牲者数162人は、1985年に日本航空123便墜落事故(犠牲者520人)が発生するまでの14年間、日本国内で発生した航空事故における最多記録であり続けた。また、事故当時は常設の事故調査機関が存在せず、政府は事故のたびに臨時の調査委員会を設置していたが、この事故を教訓として1974年1月、運輸省に常設機関として航空事故調査委員会が設置された。同委員会は後の組織改編を経て、現在の運輸安全委員会へとつながっており、雫石事故は日本における独立した事故調査体制の出発点としても位置づけられている。
経過
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1971年7月30日
昭和46年事件・事故 全日空58便と自衛隊機が雫石町上空で空中衝突
全日空機の乗客乗員162人全員が死亡
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1971年8月7日
昭和46年その他 政府が「航空安全緊急対策要綱」を決定
中央交通安全対策会議が、自衛隊訓練空域と航空路の完全分離、特別管制空域の拡充などを盛り込んだ緊急対策を決定した。
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1972年7月27日
昭和47年その他 事故調査委員会が調査結果を公表
自衛隊機の訓練空域逸脱を事故原因と認定
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1983年1月1日
昭和58年その他 最高裁判所が教官に禁錮3年執行猶予3年の判決を確定
出典・公的資料
一次資料 2件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。
- 白書・統計資料
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- その他
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「全日空機雫石衝突事故」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1971-shizukuishi-air-collision/
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更新履歴
- 2026年7月12日 本文を増補(「事故後の航空安全対策」「事故の航空史上の位置づけ」を追加)
- 2026年7月11日 初版公開
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