全日空機雫石衝突事故 通称: 雫石事故

結末 1983年9月、最高裁が教官に禁錮3年・執行猶予3年を言い渡した。訓練生は二審で無罪となっていた

発生日 1971年7月30日(昭和46年) 1971年(昭和46年)の事件 / 7月30日に起きた事件
経過 発生から55年3か月
発生場所 岩手県 岩手郡雫石町
種別 事故
状態 判決確定
被害 死者 162人
  • 日本の航空機事故・鉄道事故自衛隊機が訓練空域を逸脱していたことが主因と認定され、訓練を指導した教官の刑事責任が問われた。民間航空路と自衛隊の訓練空域の分離が課題となった。
1971年(昭和46年)7月30日、東京発千歳行きの全日空58便(ボーイング727型機)と、編隊飛行訓練中の航空自衛隊F-86F戦闘機の訓練機が岩手県岩手郡雫石町上空で空中衝突した。訓練機の訓練生はパラシュートで脱出して助かったが、全日空機は空中分解し、乗客155人・乗員7人の計162人全員が死亡した。事故調査委員会は、教官が訓練空域を逸脱してジェットルートに入ったことに気づかず訓練を続けたことを第1の原因とした。刑事裁判では、最終的に1983年、最高裁判所が教官に禁錮3年・執行猶予3年を言い渡し、訓練生は無罪となった。
全日空機雫石衝突事故を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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事故の経過

1971年7月30日、東京発千歳行きの全日空58便(ボーイング727型機)は、岩手県雫石町上空を飛行中、航空自衛隊松島派遣隊のF-86F戦闘機2機(教官機と訓練機)の編隊のうち、訓練機と空中衝突した。訓練機の訓練生は、機体の回転で射出座席のレバーを引けなかったが、キャノピーが外れていたため自力で脱出し、パラシュートで雫石駅近くの水田に降下して生還した。教官機は衝突せず、松島飛行場に帰投した。全日空機は空中分解して墜落し、乗客155人と乗員7人の計162人全員が死亡した。
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事故調査と裁判

総理府に設置された事故調査委員会は1972年7月27日、調査結果を発表した。第1の原因は、教官が訓練空域を逸脱してジェットルートJ11Lの中に入ったことに気づかず、機動隊形の訓練飛行を続けたことだとされた。第2の原因としては、全日空機の操縦者が少なくとも接触の約7秒前から訓練機を視認していたとみられるのに直前まで回避操作をしていなかったこと、教官が全日空機を視認するのが遅れ回避の指示が間に合わなかったこと、訓練生が教官機との位置関係の維持に専念していて全日空機の視認が遅れたことが挙げられた。 教官と訓練生は業務上過失致死と航空法違反の罪で起訴された。1975年3月11日、盛岡地方裁判所は教官に禁錮4年、訓練生に禁錮2年8月の実刑判決を言い渡した。1978年5月9日の仙台高等裁判所判決は、教官の控訴を棄却する一方、訓練生については一審判決を破棄して無罪とした。1983年9月22日、最高裁判所は教官の見張り義務違反を認めつつ、教官一人に刑事責任を負わせるのは酷に過ぎるとして二審判決を破棄し、禁錮3年・執行猶予3年を言い渡した。民事では国と全日空の間で損害の負担をめぐる訴訟が争われ、過失割合が問題となった。

事故後の航空安全対策

雫石事故を受け、事故発生から1週間後の1971年8月7日、政府の中央交通安全対策会議は「航空安全緊急対策要綱」を決定した。同要綱では、航空自衛隊の訓練空域と民間機の航空路を完全に分離すること、訓練空域の設定にあたっては防衛庁長官と運輸大臣が協議のうえ公示すること、特別管制空域を拡充し空域内を飛行するすべての航空機に管制機関の指示への服従を義務付けることなどが定められた。さらに1975年6月、航空法が改正され、同年10月に施行された。改正航空法では、管制圏など一定の空域における曲技飛行・訓練飛行が原則として禁止されたほか、操縦者の見張り義務や航空機同士のニアミス発生時の報告義務が明文化され、トランスポンダおよびフライトレコーダーの装着が義務化された。これらの規制は自衛隊機にも適用され、民間機と自衛隊機が混在する空域における安全管理体制が強化された。

事故の航空史上の位置づけ

雫石事故は、発生当時、日本国内で起きた航空事故として最多となる犠牲者数を記録した事故であった。乗客乗員162人全員が死亡するという被害の大きさは社会に大きな衝撃を与え、民間航空機と自衛隊機が同一空域を飛行することの危険性が広く認識される契機となった。雫石事故の犠牲者数162人は、1985年に日本航空123便墜落事故(犠牲者520人)が発生するまでの14年間、日本国内で発生した航空事故における最多記録であり続けた。また、事故当時は常設の事故調査機関が存在せず、政府は事故のたびに臨時の調査委員会を設置していたが、この事故を教訓として1974年1月、運輸省に常設機関として航空事故調査委員会が設置された。同委員会は後の組織改編を経て、現在の運輸安全委員会へとつながっており、雫石事故は日本における独立した事故調査体制の出発点としても位置づけられている。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1971年7月30日
  2. 公判 1975年3月11日 +1,320日
  3. 公判 1978年5月9日 +1,155日
  4. 判決 1983年9月22日 +1,962日

経過

  1. 1971年7月30日
    昭和46年

    事件・事故 全日空58便と自衛隊機が雫石町上空で空中衝突

    全日空機の乗客乗員162人全員が死亡

  2. 1971年8月7日
    昭和46年

    その他 政府が「航空安全緊急対策要綱」を決定

    中央交通安全対策会議が、自衛隊訓練空域と航空路の完全分離、特別管制空域の拡充などを盛り込んだ緊急対策を決定した。

  3. 1972年7月27日
    昭和47年

    その他 総理府の事故調査委員会が調査結果を公表

    教官が訓練空域を逸脱しジェットルートに入ったことに気づかず訓練を続けたことを第1の原因とした

  4. 1975年3月11日
    昭和50年

    公判 盛岡地方裁判所が教官と訓練生に実刑判決

    教官に禁錮4年、訓練生に禁錮2年8月。

    盛岡地方裁判所

  5. 1978年5月9日
    昭和53年

    公判 仙台高等裁判所が訓練生に無罪判決

    教官の控訴は棄却した。

    仙台高等裁判所

  6. 1983年9月22日
    昭和58年

    判決 最高裁判所が教官に禁錮3年・執行猶予3年の判決

    二審判決を破棄して刑を軽くした。訓練生は二審で無罪となっていた。

    最高裁判所

出典・公的資料

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「全日空機雫石衝突事故」事件JP、2026年10月31日閲覧。https://jiken.jp/cases/1971-shizukuishi-air-collision/
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更新履歴

  • 2026年10月5日 ステータスを「終結」→「判決確定」に訂正(刑事裁判で判決が確定しているため。無罪確定を含む)
  • 2026年9月29日 事実精度監査:「自衛隊機の搭乗員2人が脱出」を訂正(衝突したのは訓練機1機で訓練生1人が脱出)、事故調査委員会の原因認定と刑事裁判の各審の経過(訓練生は二審で無罪)を追記、最高裁判決日を訂正
  • 2026年7月12日 本文を増補(「事故後の航空安全対策」「事故の航空史上の位置づけ」を追加)
  • 2026年7月11日 初版公開

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