みどり丸沈没事故

発生日 1963年8月17日(昭和38年)
経過 発生から62年11か月
発生場所 沖縄県 那覇市沖(神山島沖合)
種別 事故
状態 終結
被害 死者 112人
1963年(昭和38年)8月17日、那覇と久米島を結ぶ貨客船「みどり丸」が那覇沖で横波を受けて転覆・沈没し、死者86人、行方不明者26人、あわせて112人の犠牲者を出した。沖縄の戦後海難史上最大級の惨事となった。
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事故の経過

1963年8月17日正午すぎ、那覇市の泊港から沖縄県久米島へ向けて航行していた貨客船「みどり丸」が、那覇沖の神山島(通称チービシ)付近で横波を受けて転覆、沈没した。当時、宮古島近海を北上していた熱帯低気圧の影響で海が荒れており、現場は三角波が立つ航行の難所として知られていた。みどり丸は大事をとって進路を変更したものの、横波を受けて船体が傾き浸水し、救命ボートを用意する間もなく、転覆から約10分で沈没した。乗員・乗客約240人のうち、86人が死亡、26人が行方不明となり、犠牲者はあわせて112人にのぼった。あまりに突然の転覆だったため、多くの乗客が船内から脱出する間もなかったとみられる。
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その後の影響

転覆があまりに急だったためSOSを発信することもできず、那覇に事故の第一報が届いたのは沈没から約5時間後だった。この通報の遅れも被害を拡大させたとされる。当時の琉球政府は災害救助法を適用し、行政主席を本部長とする救助本部を設置、米軍の航空機・ヘリコプター・タグボートも投入して行方不明者の捜索と遺体の収容にあたった。この事故は沖縄の戦後海難史上最大級の惨事となり、離島航路における船舶の安全対策の見直しを迫る契機となった。当時、沖縄はアメリカの施政権下にあり、事故対応や救助活動も本土とは異なる体制のもとで進められた。離島を多く抱える沖縄にとって、船舶は住民の生活を支える生命線であり、この事故は地域社会全体に長く記憶される出来事となった。多くの犠牲者を出した久米島との定期航路は、その後も地域住民の往来を支える重要な交通手段として運航が続けられている。

追悼

みどり丸には、お盆の帰省客も多く乗り合わせていたとされる。事故から60年以上が経過した現在も、久米島では毎年、犠牲者を追悼する慰霊祭が営まれ、遺族や関係者が参列を続けている。行方不明者の中には、遺体が見つからないまま今も帰りを待つ家族がおり、慰霊祭では遺族が「風化させない」との思いを新たにする場ともなっている。

経過

  1. 1963年8月17日
    昭和38年

    事件・事故 貨客船みどり丸が転覆・沈没

    死者86人、行方不明26人。

出典・公的資料

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レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。

「みどり丸沈没事故」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1963-midorimaru-sinking/

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更新履歴

  • 2026年7月20日 初版公開

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