六軒事故

発生日 1956年10月15日(昭和31年)
経過 発生から69年9か月
発生場所 三重県 松阪市(参宮線六軒駅)
種別 事故
状態 終結
被害 死者 42人  負傷者 94人
1956年(昭和31年)10月15日夜、三重県松阪市の参宮線六軒駅で、信号確認を誤った下り急行列車が安全側線に進入して脱線し、20秒後に上り急行列車が衝突した事故。修学旅行中の高校生を含む42人が死亡、94人が負傷し、事故を機に自動列車停止装置(ATS)の全国導入が進んだ。
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事故の経過

1956年(昭和31年)10月15日午後6時22分ごろ、三重県多気郡明和町(現在は松阪市に近接)の参宮線六軒駅で、東京発鳥羽行きの下り快速列車(修学旅行の高校生らを含む)が、時速約58キロメートルで進行中、「注意」を示す信号を進行信号と誤認し、駅に停止せずに進入した。異常に気付いた運転士が急ブレーキをかけたが間に合わず、列車は安全側線に進入して脱線した。その約20秒後、対向してきた鳥羽発東京行きの上り快速列車が、脱線して線路上にはみ出していた下り列車の客車に時速約55キロメートルで衝突し、双方の列車が脱線・転覆した。
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被害と事故後の対応

この事故により42人が死亡、94人が負傷した。犠牲者の多くは、東京教育大学附属坂戸高等学校(現・筑波大学附属坂戸高等学校、埼玉県)の修学旅行生で、横転した下り列車の蒸気機関車からボイラーの熱湯が漏れ、やけどを負った生徒も少なくなかった。事故の原因は信号の誤認と、非常制動の判断の遅れが重なったことにあるとされ、単純なヒューマンエラーが大惨事につながった典型例として、その後の鉄道保安対策に大きな影響を与えた。国鉄は主要幹線への車内警報装置の設置を進めるとともに、自動列車停止装置(ATS)の前身となる装置の全国導入を政策として決定した。信号の自動化・色灯化も進められ、1962年の三河島事故などその後の重大事故の教訓とあわせて、日本の鉄道保安システムの発展に大きく寄与した。修学旅行という日常的な学校行事の最中に多数の生徒が犠牲になったことは社会に大きな衝撃を与え、以後、学校行事における移動手段の安全確保のあり方についても議論を呼んだ。六軒事故は、戦後日本の鉄道史における重大事故の一つとして、桜木町事故や三河島事故などと並び、その後の保安装置整備の歴史を語る上で必ず言及される事故となっている。多数の高校生が犠牲になったこの事故は、学校行事の安全管理を論じる際にもたびたび引き合いに出される、教育関係者にとっても記憶されるべき事故となっている。

経過

  1. 1956年10月15日
    昭和31年

    事件・事故 参宮線六軒駅で列車同士が衝突、42人死亡

出典・公的資料

  • その他
    フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    事故の経過・死傷者数・ATS導入への影響を確認

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「六軒事故」事件データベース jiken.jp、2026年7月30日閲覧。https://jiken.jp/cases/1956-rokken-train-collision/

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更新履歴

  • 2026年7月30日 初版公開

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