宮森小学校米軍機墜落事故 通称: 石川・宮森ジェット機墜落事故
| 発生日 | 1959年6月30日(昭和34年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から67年2か月 |
| 発生場所 | 沖縄県 石川市(現・うるま市) |
| 種別 | 事故 |
| 状態 | 終結 |
| 被害 | 死者 18人 負傷者 210人 |
1959年(昭和34年)6月30日、沖縄県石川市(現・うるま市)の宮森小学校に、整備不良で操縦不能となった米軍のジェット戦闘機が墜落した事故。児童11人を含む18人が死亡し、210人が負傷した。
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事故の経過
1959年6月30日午前10時40分ごろ、嘉手納基地所属の米軍ジェット戦闘機が、整備不良によりエンジンが故障し、操縦不能に陥った。パイロットは機体を人家のない山側に向けた上で脱出したが、機体は右に傾いて宮森小学校の校舎に激突し、爆発・炎上した。
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被害の状況
給食の準備をしていた児童らを中心に、児童11人を含む18人が死亡し、210人が負傷した。校舎3棟が全焼したほか、周辺の民家27戸が全焼、8戸が半焼するなど、被害は学校の枠を超えて地域全体に及んだ。事故から17年後、火傷の後遺症により死亡した児童も後に犠牲者として数えられている。
米軍の対応と地域への影響
米軍が支払った補償金は総額11万9066ドルで、死者1人あたり4500ドルにとどまるなど、被害者側が求めた補償額の1割程度に過ぎなかった。この事故は、沖縄における米軍基地周辺の安全対策の不備を象徴する出来事として、その後の米軍機事故のたびに繰り返し引き合いに出されている。
米軍基地問題の象徴として
この事故は、沖縄における米軍基地の存在がもたらすリスクを象徴する出来事として、その後の米軍基地縮小・移設をめぐる議論でたびたび引き合いに出されてきた。学校の隣接地に軍用機の飛行ルートが存在すること自体の危険性が、繰り返し問題視されている。
慰霊と記憶の継承
事故現場となった宮森小学校では、毎年6月30日に慰霊祭が営まれ、犠牲者を悼む行事が続けられている。事故から半世紀以上が経過した現在も、地元では体験の継承と基地問題の議論が結びつけられて語られている。
補償をめぐる不満
被害者側が求めた補償額と実際の支払額には大きな開きがあり、この不十分な補償は、その後の米軍関係の事故・事件における補償交渉のあり方にも影響を与えた。
日米地位協定との関わり
米軍機による事故の補償や捜査権限をめぐっては、日米地位協定の運用が繰り返し問題視されてきた。宮森小学校事故は、こうした日米地位協定の不均衡さを問う議論の出発点の一つとして、今日でも基地問題を語る上で欠かせない事例とされている。
経過
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1959年6月30日
昭和34年事件・事故 米軍機が宮森小学校に墜落
児童11人を含む18人が死亡した。
出典・公的資料
- その他
- その他
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「宮森小学校米軍機墜落事故」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1959-miyamori-elementary-school-crash/
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