事件一覧
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508 件が見つかりました
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少年ライフル魔事件
1965年(昭和40年)7月29日、神奈川県高座郡座間町で、当時18歳の少年が警察官を射殺して拳銃を奪い、東京都渋谷区の銃砲店に立てこもって警官隊に銃を乱射した事件。座間町で巡査1人が死亡、1人が重傷を負い、銃砲店付近でも警察官と一般人の計17人が負傷した。少年は逮捕され、1969年に死刑が確定、1972年に執行された。
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新潟水俣病(第二水俣病)確認
1965年(昭和40年)6月12日、新潟県阿賀野川下流域で有機水銀中毒による健康被害が公式に確認された。原因は昭和電工鹿瀬工場が排出したメチル水銀で、熊本の水俣病に次ぐ「第二水俣病」として社会問題化した。
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智行ちゃん誘拐殺人事件
1964年(昭和39年)12月21日、宮城県仙台市で、元映画俳優の男が5歳の男児を誘拐し、身代金を要求したうえで殺害した事件。男は身代金の受け渡し場所で同日中に現行犯逮捕された。第一審の仙台地方裁判所は無期懲役を言い渡したが、検察官の控訴を受けた仙台高等裁判所は原判決を破棄し死刑を言い渡した。被告側は上告したが、1968年(昭和43年)に最高裁判所が上告を棄却して死刑が確定し、1974年(昭和49年)に刑が執行された。芸能界出身者が死刑に処された数少ない事例として知られる。
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昭和電工川崎工場爆発事故
1964年(昭和39年)6月11日、神奈川県川崎市の昭和電工川崎工場で、漏洩した酸化プロピレンに引火して爆発が発生し、18人が死亡、117人が負傷した事故。犠牲者の多くは増設工事にあたっていた下請け労働者だった。
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三井三池炭鉱三川鉱炭じん爆発事故
1963年(昭和38年)11月9日、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱三川坑で、坑内を暴走した石炭運搬用トロッコから出火し炭じんが爆発した。爆発そのものによる犠牲に加え、坑内に高濃度の一酸化炭素が長時間滞留したことで多数の坑員が中毒し、死者458人・一酸化炭素中毒患者839人にのぼる戦後最悪の炭鉱事故となった。
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鶴見事故
1963年(昭和38年)11月9日21時51分ごろ、横浜市鶴見区の国鉄東海道本線鶴見〜横浜間で、貨物線を走行中の下り貨物列車の後部3両が脱線し、隣の旅客線に進入してきた上り横須賀線電車が衝突、その車両がさらに下り横須賀線電車に突っ込んだ列車多重衝突事故。死者161人、負傷者119人(運輸大臣の国会報告による)。脱線の原因は特定の過失ではなく、走行状態・線路条件・車両の特性など複数の悪条件が重なった「競合脱線」と推定され、刑事責任は問われなかった。同じ日に福岡県の三井三池炭鉱でも炭じん爆発事故が起きており、この日は「魔の土曜日」とも呼ばれる。事故を受けて国鉄は北海道に狩勝脱線実験線を設けて実車による脱線試験を重ね、脱線防止レールの増設や貨車車輪の形状改良につなげた。
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西口彰事件
1963年(昭和38年)10月18日から12月にかけて、西口彰(当時37歳)が福岡・静岡・東京で5人を殺害した連続殺人事件。西口は瀬戸内海で投身自殺を偽装して逃走を続け、翌1964年1月3日、熊本県で逮捕された。この事件は佐木隆三の小説「復讐するは我にあり」のモデルとなった。
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草加次郎事件
1963年(昭和38年)9月5日、東京都中央区の地下鉄銀座線京橋駅に停車中の列車内で時限爆弾が爆発し、乗客10人が負傷した事件。「草加次郎」を名乗る人物による1962年からの一連の爆発・脅迫事件の一つとみられ、犯人は特定されないまま1978年に公訴時効が成立した。
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みどり丸沈没事故
1963年(昭和38年)8月17日、那覇と久米島を結ぶ貨客船「みどり丸」が那覇沖で横波を受けて転覆・沈没し、死者86人、行方不明者26人、あわせて112人の犠牲者を出した。沖縄の戦後海難史上最大級の惨事となった。
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豊浜山津波
1962年(昭和37年)10月17日、北海道乙部町豊浜地区で発生した土石流(山津波)が、走行中の函館バスの路線バスを海中に押し流した事故。乗務員2人は生還したが、乗客のうち11人が死亡、3人が行方不明、14人が重軽傷を負った。事故後、現場の旧道は廃止され、新たなトンネル・道路が整備された。
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サリドマイド事件
睡眠薬や胃腸薬に含まれていたサリドマイドを妊娠初期に服用した母親から、手足や耳などに障害のある子どもが生まれた薬害事件。西ドイツでは1961年11月に製品が回収されたが、日本では販売が続き、1962年(昭和37年)5月に出荷が停止され、9月に販売停止と回収が発表された。認定された被害者は309人に上る。被害者の家族は国と製薬会社を相手に訴訟を起こし、1974年10月13日の和解確認書で、国と大日本製薬は因果関係と責任を認めた。事件は新薬の承認の厳格化や副作用報告制度、医薬品副作用被害救済制度の創設の契機となった。
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南武線久地駅・津田山駅間踏切事故
1962年(昭和37年)8月7日、川崎市の南武線久地駅・津田山駅間の踏切で、トラックと電車が衝突したのち対向電車とも二重に衝突する事故が発生し、3人が死亡、154人が重軽傷を負った。踏切事故対策の強化を促す契機となった。
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白銀大火
1961年(昭和36年)5月29日夜、青森県八戸市白銀町で放火により出火した火災が、台風から変わった低気圧による強風にあおられて燃え広がり、707戸を全焼させた大火。火災による死者はなかった。後に24歳の男が現住建造物放火の罪で起訴された。
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奥新冠ダム建設工事雪崩災害
1961年(昭和36年)4月5日未明、北海道日高地方の平取町振内と新冠村(現・新冠町)奥新冠で、北海道電力が進めていた日高電源一貫開発計画の一環である奥新冠ダム・発電所建設工事の作業員宿舎が相次いで表層雪崩に襲われた。前日までの高温と降雨で緩んだ積雪が崩落し、平取町側で12人、新冠側で22人、合わせて34人が死亡、11人が負傷した。北海道警察などの現場検証は「事前予知が到底困難な自然災害」と結論づけた。工事用道路の復旧や作業員の離散により工事の全面再開には時間を要し、後年、現場付近と発電所そばに慰霊碑が建立された。
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名張毒ぶどう酒事件
1961年(昭和36年)3月28日夜、三重県名張市葛尾の集会所で開かれた懇親会で、農薬(テップ)が混入したぶどう酒を飲んだ女性17人が中毒症状を訴え、5人が死亡した。参加者の一人だった奥西勝が逮捕され、一審は無罪としたが名古屋高裁が逆転死刑判決を言い渡し、1972年に最高裁が上告を棄却して死刑が確定した。奥西は一貫して無実を主張し9次にわたり再審請求を重ねたが、2015年、収容先の医療刑務所で89歳のまま病死した。
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香春町上清炭鉱火災
1961年(昭和36年)3月9日、福岡県田川郡香春町の上清炭鉱で坑内火災が発生し、坑内にいた作業員71人が死亡した。戦後の日本国内における炭鉱火災としては最大の死者数となり、同月16日には田川市体育館で合同葬が営まれ、昭和天皇・香淳皇后から花料が下賜された。
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豊州炭鉱水没事故
1960年(昭和35年)9月20日未明、福岡県田川郡川崎町の上尊鉱業豊州炭鉱で、集中豪雨により増水した中元寺川の川底が陥没し、坑内に川の水が大量に流れ込んで水没した事故。坑内で作業していた約220人のうち67人が逃げ遅れて死亡し、二次災害のおそれから多くの遺体は収容されないまま坑内に取り残された。
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岸信介内閣総理大臣刺傷事件
1960年(昭和35年)7月14日、東京都千代田区の首相官邸で開かれた自民党新総裁(池田勇人)の選出祝賀会からの退出時、すでに退陣を表明していた岸信介首相が、元右翼団体幹部の男(当時65歳)に登山用ナイフで左臀部・左大腿部を6か所刺され、全治約2週間のけがを負った。日米安保条約改定をめぐる混乱が続くさなかの事件で、犯人は現場で取り押さえられた。岸内閣は翌15日に総辞職し、傷害罪に問われた犯人には懲役3年の刑が確定した。
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安保闘争死亡事件(樺美智子さん)
1960年(昭和35年)6月15日、新安保条約批准に反対する全学連主流派のデモ隊が国会構内に突入し、警官隊と衝突した。この混乱の中で東京大学生の樺美智子さんが死亡した。
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雅樹ちゃん誘拐殺人事件
1960年(昭和35年)5月16日、東京都世田谷区で小学2年の男児(当時7歳)が誘拐され、身代金が要求されたが、犯人は都内の自宅で男児を殺害していた。犯人は同年7月17日に大阪府内で身柄を確保され、1961年3月31日に死刑判決を受け、1967年5月25日に最高裁で確定、1970年10月29日に執行された。本事件を契機に、誘拐事件の報道のあり方をめぐる議論が始まった。
出典: https://jiken.jp/cases/?page=20(2026-10-30 取得)/ 事件JP