事件一覧
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404 件が見つかりました
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禁野火薬庫爆発事故
1939年(昭和14年)3月1日午後2時45分頃、大阪府枚方市の陸軍禁野火薬庫で、砲弾解体作業中に発火し大爆発が発生した。爆発は同日19時までに計29回起き、火災は3日正午まで続いた。死者94人、負傷者602人、全半壊家屋821戸という大惨事となり、枚方市は1989年、3月1日を「平和の日」に制定した。
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阪神大水害
1938年(昭和13年)7月3日から5日にかけて、梅雨前線による豪雨が六甲山系一帯を襲い、神戸市を中心に大規模な土石流・浸水被害が発生した。神戸市だけで616人が死亡するなど、兵庫県内の死者・行方不明者は600人を超え、住宅の損壊・浸水は21万戸以上に及んだ。
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津山三十人殺し
1938年(昭和13年)5月21日未明、岡山県苫田郡の集落で、男が猟銃や刀を使って11軒の民家を襲い、30人を殺害した後に自殺した事件。日本の犯罪史上最悪級の単独犯による大量殺人事件とされる。
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「生きてゐる兵隊」筆禍事件
1938年(昭和13年)2月18日、雑誌『中央公論』3月号に掲載予定だった石川達三の小説「生きてゐる兵隊」について、内務省が発売禁止処分を通告した。同作は日中戦争下の南京で取材した内容を基に、日本軍将兵による非戦闘員への暴行などを描いており、著者と編集者は新聞紙法違反で起訴され、石川は禁固4か月・執行猶予3年の有罪判決を受けた。
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小串鉱山地滑り災害
群馬県嬬恋村の小串硫黄鉱山で背後の斜面が大規模に崩落し、鉱山施設や社宅を押し流して死者245人を出した災害。
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大牟田爆発赤痢事件
1937年(昭和12年)9月25日、福岡県大牟田市内で市民が相次いで赤痢様の症状を訴え、最終的に712人が死亡した事件。公式には上水道の汚染が原因とされたが、同日夜に市内の化学工業所で発生した爆発事故との関連を指摘する見方もあり、原因をめぐる論争は国会でも取り上げられた。
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尾去沢鉱山鉱滓ダム決壊事故
秋田県の尾去沢鉱山で鉱滓ダムが決壊し、下流の住宅地を土砂が押し流して死者362人を出した事故。
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阿部定事件
1936年(昭和11年)5月18日、東京都荒川区の待合で、阿部定が交際相手の男性を殺害し、遺体の一部を切断して所持したまま逃走した事件。
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浜一中大福餅事件
1936年(昭和11年)5月10日、静岡県立浜松第一中学校(現・浜松北高等学校)で行われた運動会終了後、地元の菓子店「三好野」が製造した大福餅が生徒・教職員とその家族に配布された。その夜から高熱・腹痛・下痢を訴える者が続出し、罹患者は2,000名を超え、44名(諸説あり)が死亡する日本の食中毒史上最悪規模の集団食中毒事件となった。陸軍軍医学校の調査により、原因は大福餅の餡に混入していたゲルトネル菌(サルモネラ菌の一種)と断定された。三好野の店内はネズミが横行する劣悪な衛生環境にあり、餡を製造後3昼夜にわたり放置していたことが感染源とみられている。刑事責任の追及は最終的に立件に至らず、事件は静岡県・浜松市の医療衛生史に刻まれる悲劇として語り継がれている。
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二・二六事件
1936年(昭和11年)2月26日未明、国家改造を唱える陸軍皇道派の青年将校らが約1,500人の兵を率いて蜂起し、首相官邸・陸軍省・警視庁など永田町一帯を占拠したクーデター未遂事件。斎藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監らが殺害された。反乱は4日後に鎮圧され、首謀者らは特設軍法会議で裁かれた。この事件を境に軍部の政治的発言力が強まり、戦時体制への転換点となった。
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天皇機関説事件
1935年(昭和10年)8月3日、岡田啓介内閣が「国体明徴に関する政府声明」を発表し、東京帝国大学名誉教授・美濃部達吉の憲法学説「天皇機関説」を国体に反するとして排撃した事件。同年2月、貴族院で菊池武夫議員が天皇機関説を「謀叛」と非難したことに端を発し、美濃部の著書は発禁処分となり、美濃部は9月に貴族院議員を辞職した。軍部・右翼の圧力による学問・言論への統制強化を象徴する事件として知られる。
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松山城放火事件
1933年(昭和8年)7月9日、愛媛県松山市の松山城で火災が発生し、小天守・隅櫓など複数の建物が焼失した。放火したのは、1932年から4年間にわたり近畿・四国・九州の45か所に放火を重ねていた男で、1937年に死刑判決を受け、1939年に刑が執行された。
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五・一五事件
1932年(昭和7年)5月15日、海軍青年将校らが陸軍士官学校生徒らとともに首相官邸・警視庁・日本銀行などを襲撃し、内閣総理大臣・犬養毅を殺害したクーデター未遂事件。実行犯らは軍法会議・一般裁判で裁かれたが軍人には比較的軽い刑が科され、世論の同情も相まって政党政治への不信が広がった。この事件を最後に戦前の政党内閣は途絶え、軍部主導の政治体制への転換点となった。
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玉の井バラバラ殺人事件
1932年(昭和7年)3月7日朝、東京府南葛飾郡寺島町玉の井(現・墨田区)の下水溝で、切断された遺体の一部が相次いで発見された。捜査の結果、被害者から金銭を脅し取り家族に暴力を振るっていた男を、家主の男と弟が撲殺して遺体を切断・遺棄したことが判明した。この事件で「バラバラ殺人」という表現が新聞で初めて使われ、以後定着した。
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柳条湖事件
1931年(昭和6年)9月18日夜、中国・奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖付近で、南満洲鉄道の線路が爆破された事件。関東軍参謀の板垣征四郎・石原莞爾らが計画した謀略で、関東軍はこれを中国側の犯行と偽って軍事行動を開始し、満洲全域を占領する満洲事変に発展した。
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北伊豆地震
静岡県伊豆半島北部を震源とする直下型地震。死者・行方不明者272人、負傷者572人を出した。
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濱口雄幸首相狙撃事件
東京駅で濱口雄幸首相が右翼活動家に狙撃され重傷を負い、傷がもとで翌年死去した事件。
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三・一五事件
1928年(昭和3年)3月15日未明、田中義一内閣のもと、治安維持法違反の容疑で日本共産党員・支持者ら千数百人が全国で一斉に検挙された。前年に制定されたばかりの治安維持法が初めて大規模に適用された事件で、その後488人が起訴された。戦前日本における社会主義・共産主義運動に対する組織的弾圧の起点として知られる。
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山陽本線特急列車脱線事故
1926年(大正15年)9月23日未明、山陽本線安芸中野駅-海田市駅間で、豪雨による畑賀川の堤防決壊で築堤が崩壊していた地点に、東京発下関行きの下り特急第1列車が進入して脱線転覆した事故。34人が死亡し、乗客には著名人や外国人も含まれていた。
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十勝岳噴火(大正15年噴火)
1926年(大正15年)5月24日、北海道の十勝岳が噴火し、山頂の残雪が融けて発生した大規模な融雪型火山泥流が上富良野の市街地まで到達し、144人が死亡・行方不明となった。
出典: https://jiken.jp/cases/?page=19(2026-09-15 取得)/ 事件JP