鶴見事故
| 発生日 | 1963年11月9日(昭和38年) |
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| 経過 | 発生から62年10か月 |
| 発生場所 | 神奈川県 横浜市鶴見区生麦町付近(東海道本線 鶴見〜横浜間) |
| 種別 | 事故 |
| 状態 | 終結 |
| 被害 | 死者 161人 負傷者 119人 |
事故の経過
被害の状況
原因の究明 ―「競合脱線」
刑事責任
狩勝脱線実験線と安全対策への影響
「魔の土曜日」と鉄道史上の位置づけ
経過
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1963年11月9日
昭和38年事件・事故 事故発生
21時51分ごろ、東海道本線鶴見〜横浜間で下り貨物列車の後部3両が脱線し、上り横須賀線電車が衝突、さらに下り横須賀線電車に突っ込んだ。死者161人、負傷者119人。
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1963年11月11日
昭和38年捜査 運輸大臣が国鉄監査委員会に特別監査を命令
事故原因の究明について、運輸大臣が日本国有鉄道監査委員会に特別監査を命じた。監査委員会は11月14日から28回の会議を開いた。
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1963年11月22日
昭和38年その他 總持寺で合同慰霊法要
国鉄が横浜市鶴見区の總持寺で犠牲者の合同慰霊法要を営んだ。
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1964年1月
昭和39年捜査 国鉄技術調査委員会が「競合脱線」との中間結論
鶴見事故技術調査委員会が、列車の走行状態・線路条件・隣接車両の動揺・脱線車特有の悪条件が競合して起きたものとする中間的な推定をまとめた。
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1964年1月30日
昭和39年捜査 特別監査報告書を運輸大臣に提出
国鉄監査委員会が「東海道本線鶴見・横浜間における運転事故に関する特別監査報告書」を提出。競合脱線の推定は一応やむを得ないとしつつ、原因の最終的な解明ではないとして究明の継続を求めた。
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1967年6月
昭和42年その他 狩勝脱線実験線を開設
根室本線狩勝峠の旧線(新得〜新内)を利用し、実物の2軸貨車を脱線させて原因を解明する実験線を設けた。1979年8月の廃止まで12年間使用された。
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1967年6月29日
昭和42年その他 法務省刑事局長が「嫌疑なしで不起訴」と答弁
衆議院法務委員会で、鶴見事故では過失は認められず不可抗力として検察官が嫌疑なしで不起訴にしたと説明された(不起訴処分の日付は会議録からは確認できない)。
出典・公的資料
一次資料 8件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。
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調査報告書
国立国会図書館 国会会議録検索システム 1963年12月11日発行運輸大臣の報告で、発生時刻(21時51分)、発生区間(東海道本線鶴見〜横浜間)、事故の態様(下り貨物列車後部3両の脱線→上り横須賀線電車の衝突→下り横須賀線電車への衝突)、死者161人・負傷者119人、国鉄が鶴見事故技術調査委員会を設けたことを確認
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調査報告書
国立国会図書館 国会会議録検索システム 1963年12月12日発行列車番号(2365列車・2000S・2113S)、貨物列車の編成両数(45両)、脱線車両(ワラ501・ポム92・ワフ28088)、乗り上がり約16メートル・枕木上約50メートル走行・架線柱への衝突、2113Sが停止していた経緯、死者の内訳(乗客160人+電車運転士1人)、入院者52人、香典・葬祭料、11月22日の總持寺での合同慰霊法要、補償交渉の状況を確認
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調査報告書
国立国会図書館 国会会議録検索システム 1964年1月30日発行運輸省鉄道監督局長による特別監査報告書の要旨報告。11月11日の特別監査命令、11月14日から28回の委員会開催、技術顧問3人、競合脱線の推定に対する評価、事故の背景として指摘された3点(類似事故の究明不徹底・線路と車両の総合的管理の不十分・ダイヤの稠密化)を確認
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調査報告書
国立国会図書館 国会会議録検索システム 1967年6月29日発行鶴見事故では過失が認められず不可抗力として検察官が嫌疑なしで不起訴としたこと、三河島事故は起訴され一審で禁錮3年の判決が出たことを確認
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調査報告書
国立国会図書館 国会会議録検索システム 1967年9月11日発行競合脱線は数百万回に1回程度の頻度で起こり原因の特定が難しいこと、狩勝峠の旧線を脱線試験線区として実車を脱線させる試験を始めたことを確認
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調査報告書
国立国会図書館 国会会議録検索システム 1964年12月2日発行鶴見事故直後の事故続発を受け、国鉄が保安対策の重点をATS・踏切・貨車タイヤの緊急取替えの3点に絞ったことを確認
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調査報告書
国立国会図書館 国会会議録検索システム 1966年2月28日発行国鉄の保安対策費(1961年度約54億円、1962年度約60億円、1963年度約130億円、1964年度約214億円)を確認
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調査報告書
安全工学会(J-STAGE)貨物列車がEF15形電気機関車牽引の45両編成で後部3両目の貨車から脱線したこと、競合脱線の判定とその問題点、狩勝脱線実験線(1967年6月設置・1979年8月廃止の12年間)、成果としての脱線防止レール増設・車輪のN踏面化、三河島事故・日比谷線事故との比較を確認。死者を162人と記載しているが、本記事では政府・国鉄の公式報告の161人を採用
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その他
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』事故の全体像の確認の起点として参照。同日の三井三池炭鉱事故と合わせて「魔の土曜日」「血塗られた土曜日」と呼ばれたことを確認。負傷者数は120人と記載されている
関連する法律用語
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「鶴見事故」事件JP、2026年10月3日閲覧。https://jiken.jp/cases/1963-tsurumi-train-collision/
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更新履歴
- 2026年10月3日 初版公開
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