サリドマイド事件 通称: サリドマイド薬害事件

発生日 1962年9月13日(昭和37年) 1962年(昭和37年)の事件 / 9月13日に起きた事件
経過 発生から64年1か月
発生場所 全国(被害は全国に及んだ)
種別 その他
状態 終結
被害  負傷者 309人
  • 薬害・食品被害事件睡眠薬などに含まれたサリドマイドで胎児に障害が生じた。国と製薬会社は1974年の和解確認書で責任を認め、事件は副作用報告制度や医薬品副作用被害救済制度の創設の契機となった。
睡眠薬や胃腸薬に含まれていたサリドマイドを妊娠初期に服用した母親から、手足や耳などに障害のある子どもが生まれた薬害事件。西ドイツでは1961年11月に製品が回収されたが、日本では販売が続き、1962年(昭和37年)5月に出荷が停止され、9月に販売停止と回収が発表された。認定された被害者は309人に上る。被害者の家族は国と製薬会社を相手に訴訟を起こし、1974年10月13日の和解確認書で、国と大日本製薬は因果関係と責任を認めた。事件は新薬の承認の厳格化や副作用報告制度、医薬品副作用被害救済制度の創設の契機となった。
サリドマイド事件を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
スポンサーリンク

発売と販売の継続

サリドマイドは西ドイツのグリュネンタール社が開発した薬で、1957年10月に睡眠薬として発売された。日本では大日本製薬が同年8月に製造の許可を申請し、厚生大臣が10月に許可して、1958年1月に睡眠薬「イソミン」として発売した。1960年にはサリドマイドを配合した胃腸薬「プロバンM」も発売された。のちの和解確認書は、同社が「安全性はどの睡眠剤よりも高い」「小児・妊産婦などどなたにもおすすめ願える」などの文言を用いて宣伝を行ったと記している。1961年11月、西ドイツの医師がサリドマイドと手足に障害のある子どもの出生との関係を指摘し、同国のメーカーは製品の回収を決めた。厚生労働省の資料によると、この情報は同年12月には大日本製薬を通じて厚生省に届いていた。確認書は、情報が厚生省に届いていたにもかかわらず、日本ではイソミンとプロバンMの販売が続けられたことを認めている。
スポンサーリンク

出荷停止と回収

厚生省の担当者は1962年9月の国会で、日本の製造業者は同年5月にサリドマイド系の睡眠薬の出荷を停止したと説明している。被害者団体の公益財団法人いしずえの年表によると、大日本製薬などは9月13日に販売の停止と製品の回収を発表した。厚生省の担当者は国会で、9月14日に関係する5社が協議し、薬局などに出回っている製品をすべて回収することにしたと説明した。厚生省は同年12月に製造品目を取り消している。いしずえは、日本での販売停止は西ドイツより約10か月遅れたとし、回収が徹底されなかったことで被害者が増えたと指摘している。当時の厚生白書(昭和38年度版)は、手足の障害について「サリドマイド製剤によるといわれる」と記しており、国は因果関係を断定していなかった。

被害の状況

サリドマイドを妊娠初期に服用すると、胎児の手足や耳、内臓などに障害が生じることがある(サリドマイド胎芽症)。いしずえによると、認定された被害者は309人で、出生年では1962年生まれが162人と最も多い。障害の種類は、手の障害が246人、聴覚の障害が82人、両方が19人である。いしずえは、死産などを含めた被害は推計で約1,000人に上るとしている。いしずえが示す世界の被害者数は、西ドイツが3,049人、日本が309人、イギリスが201人などとなっている。

訴訟と和解確認書

1963年6月、被害児の家族が名古屋地方裁判所に大日本製薬を相手取って損害賠償を求める訴えを起こし、1964年12月には京都地方裁判所で国も被告とする訴訟が起こされた。訴訟は東京・京都・名古屋・大阪・岐阜・岡山・広島・福岡の8つの地方裁判所に広がり、原告は63家族となった。国は1967年の国会でも、因果関係は学問的に研究段階にあると答弁していた。1973年12月、厚生省と大日本製薬は統一原告団に和解を申し入れ、1974年10月13日、原告団・厚生大臣・大日本製薬の間で和解確認書が調印された。確認書で国と大日本製薬は、サリドマイドと障害との因果関係を認めたうえで、製造から回収に至る一連の過程で落度があったことを認め、国は薬務行政を所管する官庁として、会社は医薬品の製造業者として責任を認めた。十年余りにわたって争い続けたことについても深く反省するとし、厚生大臣は悲惨な薬害が再び起きないよう最善の努力をすることを確約した。大日本製薬は被害者のための福祉財団の資金として5億円を拠出することになった。和解は同年10月26日に東京地裁で成立し、12月末までに63家族すべてと和解が成立した。厚生省は1975年の国会で、この和解では責任の具体的な内容について裁判所の判断は行われていないと説明している。

医薬品行政への影響

事件は医薬品の安全対策を見直す契機となった。厚生省は1963年4月から、新薬の承認申請に胎児への影響を調べる動物実験のデータを添付するよう求めた。1967年には医薬品の製造承認に関する基本方針を定めて、妊娠した動物での試験を義務づけ、医薬品の副作用の報告制度も始めた。厚生労働省の資料は、サリドマイド事件が医薬品副作用報告制度の開始や医薬品副作用被害救済制度の創設などの契機となったと記している。医薬品の副作用による被害を裁判によらずに救済する医薬品副作用被害救済基金法は、スモン事件の和解とともに1979年に成立した。

その後

大日本製薬の拠出金をもとに、1974年12月に財団法人いしずえが設立され、被害者の福祉事業を行っている(現在は公益財団法人)。被害者の認定はその後も続き、1981年に309人となった。1999年8月24日、厚生省は薬害エイズ事件の反省から、医薬品による悲惨な被害を再び発生させないという決意を記した「誓いの碑」を庁舎の正面玄関前に設置した。厚生労働省の資料によると、碑文はサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう誓う内容となっている。サリドマイドはその後、2008年10月に多発性骨髄腫の治療薬として国内で承認された。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1962年9月13日
  2. 公判 1963年6月 +261日
  3. 公判 1964年12月 +549日

経過

  1. 1958年1月
    昭和33年

    その他 大日本製薬が睡眠薬「イソミン」を発売

    1957年10月に製造許可

  2. 1961年11月
    昭和36年

    その他 西ドイツの医師が警告し、同国のメーカーが回収を決定

    12月には厚生省に情報が届いていた

  3. 1962年5月
    昭和37年

    その他 国内の製造業者が出荷を停止

  4. 1962年9月13日
    昭和37年

    事件・事故 大日本製薬などが販売停止と回収を発表

    9月14日に関係5社が協議し回収を決定(国会答弁)

  5. 1963年6月
    昭和38年

    公判 名古屋地裁に最初の損害賠償訴訟

  6. 1964年12月
    昭和39年

    公判 京都地裁で国と大日本製薬を被告とする訴訟

  7. 1973年12月
    昭和48年

    その他 厚生省と大日本製薬が統一原告団に和解を申し入れ

  8. 1974年10月13日
    昭和49年

    その他 和解確認書を調印、国と大日本製薬が因果関係と責任を認める

  9. 1974年10月26日
    昭和49年

    その他 東京地裁で和解が成立

    12月末までに63家族と和解

  10. 1974年12月
    昭和49年

    その他 財団法人いしずえが設立される

  11. 1999年8月24日
    平成11年

    その他 厚生省が「誓いの碑」を建立

出典・公的資料

一次資料 5件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

さらに調べるには

資料の探し方や引用の書き方は調べ学習・レポートでの使い方にまとめています。

この記事を引用する

レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。一次資料までたどる方法は調べ学習・レポートでの使い方をご覧ください。

「サリドマイド事件」事件JP、2026年10月27日閲覧。https://jiken.jp/cases/1962-thalidomide/
スポンサーリンク

更新履歴

  • 2026年10月12日 初版公開

本ページは公的資料に基づいて作成しています。情報の誤りにお気づきの場合や、掲載内容の削除・訂正のご依頼は お問い合わせ・削除依頼よりご連絡ください。