名張毒ぶどう酒事件

発生日 1961年3月28日(昭和36年)
経過 発生から65年5か月 1972年6月15日の確定から54年2か月
発生場所 三重県 名張市葛尾
種別 殺人
状態 判決確定
被害 死者 5人  負傷者 12人
1961年(昭和36年)3月28日夜、三重県名張市葛尾の集会所で開かれた懇親会で、農薬(テップ)が混入したぶどう酒を飲んだ女性17人が中毒症状を訴え、5人が死亡した。参加者の一人だった奥西勝が逮捕され、一審は無罪としたが名古屋高裁が逆転死刑判決を言い渡し、1972年に最高裁が上告を棄却して死刑が確定した。奥西は一貫して無実を主張し9次にわたり再審請求を重ねたが、2015年、収容先の医療刑務所で89歳のまま病死した。

事件の発生

1961年3月28日夜、三重県名張市葛尾の集会所で、地区の生活改善クラブの懇親会が開かれていた。会場で振る舞われたぶどう酒に、有機リン系の農薬(テップ)が混入しており、これを飲んだ女性17人が中毒症状を訴え、うち5人が死亡した。

事件現場の集会所

事件が起きた集会所は、地区の生活改善クラブが日頃の活動に使用していた施設で、事件当夜は地域住民の親睦を深めるための懇親会が開かれていた。ぶどう酒は会の役員が持参したもので、農薬の混入経路や動機については、裁判を通じて長年争われることとなった。

奥西勝の逮捕と裁判

懇親会の参加者の一人だった奥西勝(当時35歳)が逮捕された。奥西は取調べで一時自白したが、公判では否認に転じた。1964年12月23日、一審の津地方裁判所は自白の信用性に疑問があるとして無罪を言い渡したが、検察側が控訴し、1969年9月10日、名古屋高等裁判所は逆転で死刑判決を言い渡した。1972年6月15日、最高裁判所(昭和44年(あ)第2560号)は上告を棄却し、死刑が確定した。

9次にわたる再審請求

死刑確定後も奥西は一貫して無実を主張し、生涯で9次にわたり再審を請求した。2005年の第7次請求では名古屋高裁が一度は再審開始を決定したが、検察側の異議申立てにより翌年取り消された。再審開始・取消しをめぐる審理は最高裁まで争われ、大きな社会的関心を集めた。

獄中死とその後の再審請求

奥西は死刑執行のないまま収容が続き、2015年10月4日、収容先の八王子医療刑務所で89歳のまま病死した。刑事訴訟法上、被告人の死亡により裁判は打ち切られるのが原則だが、遺族・支援者はその後も名誉回復を目指して再審請求を継続し、2022年に名古屋高裁が請求を棄却、2024年には最高裁判所第三小法廷が特別抗告を棄却する決定を出している。

四大死刑冤罪事件との関係

名張毒ぶどう酒事件は、免田事件・財田川事件・松山事件・島田事件とともに、死刑判決に対する再審請求が大きな社会問題となった「四大死刑冤罪事件」のうち、唯一、最終的に再審無罪に至らなかった事件である。物証に乏しく自白の任意性・信用性が最大の争点となった点は他の事件と共通しており、日本の刑事司法における自白偏重の危険性を象徴する事例として、今日も法学教育・冤罪研究の代表例に数えられている。

再審請求をめぐる法的論点

名張事件の再審請求では、ぶどう酒の王冠(栓)に残された歯型の証拠能力や、農薬の混入経路に関する科学的な再鑑定の当否が繰り返し争点となった。弁護団は、新証拠により一審の無罪判断が正しかったことを裏付けられると主張し続けたが、裁判所は最終的にこれを認めなかった。名張毒ぶどう酒事件は、袴田事件などその後の死刑再審をめぐる議論においても頻繁に比較対象とされ、日本における死刑制度と再審制度のあり方を問う代表的な事例の一つであり続けている。

刑事補償をめぐる特殊性

奥西が死刑執行前に病死したため、名誉回復を求める遺族の再審請求は、本人の生存を前提とする通常の再審手続とは異なる特殊な法的論点を伴った。刑事訴訟法上、死亡した被告人のための再審請求がどこまで認められるかという問題も、本件を通じて改めて注目されることとなった。名張毒ぶどう酒事件は、袴田事件などその後の死刑再審をめぐる議論においても頻繁に比較対象とされ、日本における死刑制度と再審制度のあり方を問う代表的な事例の一つであり続けている。

審理・経過の流れ

  1. 事件・事故 1961年3月28日
  2. 判決 1964年12月23日 +1,366日
  3. 判決 1969年9月10日 +1,722日
  4. 判決 1972年6月15日 +1,009日

経過

  1. 1961年3月28日
    昭和36年

    事件・事故 名張市の集会所で毒物混入のぶどう酒が振る舞われる

    ぶどう酒を飲んだ17人が中毒症状を訴え、5人が死亡した。

  2. 1964年12月23日
    昭和39年

    判決 一審の津地裁が無罪判決

    自白の信用性に疑問があるとして、奥西勝に無罪が言い渡された。

  3. 1969年9月10日
    昭和44年

    判決 名古屋高裁が逆転で死刑判決

    控訴審で一審判決が覆り、奥西勝に死刑が言い渡された。

  4. 1972年6月15日
    昭和47年

    判決 最高裁が上告を棄却し死刑が確定

    最高裁判所(昭和44年(あ)第2560号)が上告を棄却した。

  5. 2015年10月4日
    平成27年

    その他 奥西勝が収容先の医療刑務所で病死

    死刑執行のないまま、89歳で病死した。

  6. 2024年
    令和6年

    その他 最高裁が再審の特別抗告を棄却

    遺族・支援者による再審請求が最終的に退けられた。

出典・公的資料

関連する法律用語

この記事を引用する

レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。

「名張毒ぶどう酒事件」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1961-nabari-poisoned-wine-incident/

関連する事件

更新履歴

  • 2026年8月19日 初版公開

本ページは公的資料に基づいて作成しています。情報の誤りにお気づきの場合や、掲載内容の削除・訂正のご依頼は お問い合わせ・削除依頼よりご連絡ください。