西口彰事件
| 発生日 | 1963年10月18日(昭和38年) 〜 1963年12月29日 |
|---|---|
| 経過 | 発生から62年9か月 1966年8月15日の確定から59年11か月 |
| 発生場所 | 福岡県 京都郡苅田町ほか(福岡県) |
| 種別 | 殺人 |
| 状態 | 判決確定 |
| 被害 | 死者 5人 負傷者 0人 |
1963年(昭和38年)10月18日から12月にかけて、西口彰(当時40歳)が福岡・静岡・東京で5人を殺害した連続殺人事件。西口は瀬戸内海で投身自殺を偽装して逃走を続け、翌1964年1月3日、熊本県で逮捕された。この事件は佐木隆三の小説「復讐するは我にあり」のモデルとなった。
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事件の経過
1963年(昭和38年)10月18日、福岡県苅田町の山道で専売公社職員が、同町周辺で運転手がそれぞれ殺害されているのが発見された。犯人の西口彰(当時40歳)は事件後、瀬戸内海の連絡船で靴と書き置きを残して投身自殺を偽装し、身元を隠して神戸・大阪・京都・名古屋を転々とした。11月には静岡県浜松市で旅館経営者の親子2人を殺害してその金品を奪い、さらに12月29日には東京都豊島区で弁護士を殺害するに至り、被害者は合計5人にのぼった。
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逮捕と裁判の経過
西口は各地で偽名を使い、弁護士や大学教授などになりすまして逃走を続けたが、1964年1月3日、熊本県玉名温泉に潜伏していたところを、地元の小学5年生の女児が指名手配写真と同級生の姓が似ていることに気づいて通報したことをきっかけに逮捕された。裁判では、1964年12月23日、福岡地方裁判所小倉支部が死刑を言い渡し、1965年8月28日の控訴審でも福岡高等裁判所が控訴を棄却、1966年8月15日に西口自身が上告を取り下げたことで死刑が確定した。1970年12月11日、福岡拘置所で死刑が執行された。この事件は作家・佐木隆三のノンフィクション小説「復讐するは我にあり」(後に映画化)のモデルとなり、広く社会に知られている。
経過
-
1963年10月18日
昭和38年事件・事故 福岡県苅田町で2人が殺害される
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1963年11月
昭和38年事件・事故 静岡県浜松市で旅館経営者親子2人が殺害される
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1963年12月29日
昭和38年事件・事故 東京都豊島区で弁護士が殺害される
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1964年1月3日
昭和39年逮捕 西口彰、熊本県で逮捕
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1964年12月23日
昭和39年判決 福岡地裁小倉支部、死刑判決
福岡地方裁判所小倉支部
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1965年8月28日
昭和40年判決 福岡高裁、控訴棄却
福岡高等裁判所
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1966年8月15日
昭和41年判決 上告取り下げにより死刑確定
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1970年12月11日
昭和45年その他 福岡拘置所で死刑執行
出典・公的資料
- その他
- その他
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「西口彰事件」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1963-nishiguchi-akira-case/
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更新履歴
- 2026年7月23日 初版公開
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