事件一覧
当サイトに収録している事件を、発生日の新しい順に一覧で確認できます。件数を絞り込みたい場合は、下の「年代」「地域」「種別」「状態(未解決・捜査中・公判中・判決確定・終結)」から条件を選んでください。 特定の日付や年代から探したい場合は日付から探す・年表から探す、地図上で都道府県別に探したい場合は地図から探すもあわせてご利用いただけます。
508 件が見つかりました
-
鳥取大火
1952年(昭和27年)4月17日午後2時55分ごろ、鳥取市吉方の市営動源温泉付近から出火した火災は、フェーン現象による南南西の強風にあおられて市街地を焼き払い、翌18日未明に鎮火するまでに約12時間燃え続けた。焼失面積は約44万9千平方メートル、罹災世帯は5,700を超え、鳥取市の中心市街地の大半が失われた。戦後の日本で最大規模の都市大火のひとつとされ、この復興過程で全国初の防火建築帯が指定されるなど、市街地の不燃化と都市計画の転換点となった。
-
十勝沖地震
1952年(昭和27年)3月4日午前10時22分頃、北海道十勝沖を震源とするマグニチュード8.2の地震が発生した。池田・幕別などで震度6を観測し、津波が太平洋沿岸を襲って浜中町霧多布などに大きな被害が出た。死者28人・行方不明5人・負傷者287人、家屋の全半壊・一部損壊は8,500棟を超えた。
-
東大ポポロ事件
1952年(昭和27年)2月20日、東京大学本郷キャンパスで開催された劇団「ポポロ」による演劇発表会に、私服警察官4人が観客として潜入していたことが発覚し、東京大学の学生が警察官に暴行を加えた。学生の行為が正当防衛にあたるかが争われ、最高裁判所大法廷は1963年、大学における学問の自由・大学の自治の憲法上の意義を示す判断を示した。
-
白鳥事件
1952年(昭和27年)1月21日夜、札幌市(現在の中央区)の路上で、自転車で帰宅途中の札幌市警察本部警備課長・白鳥一雄警部(36歳)が背後から拳銃で撃たれ死亡した。警察は日本共産党による組織的犯行とみて捜査し、同年10月、党札幌市委員会委員長の男を共謀共同正犯として逮捕・起訴した。実行犯とされる党員は国外へ逃亡し逮捕を免れたまま、男は1963年に懲役20年の有罪が最高裁で確定した。1975年、再審請求を棄却した最高裁決定(通称「白鳥決定」)は、再審にも「疑わしきは被告人の利益に」の原則が適用されると初めて明示し、その後の再審制度の運用に大きな影響を与えた。
-
愛媛県国鉄バス火災事故
1951年(昭和26年)11月3日、愛媛県東宇和郡野村町(現・西予市)付近で、秋祭りに向かう乗客で超満員の国鉄バスが、車内に持ち込まれた映画用フィルムの発火により炎上した事故。事故4日後の国鉄総裁の国会報告では死者33人、重傷者8人、軽傷者8人。運輸省は直ちにバスへのフィルムの持ち込みを厳禁した。
- スポンサーリンク
-
ルース台風
1951年(昭和26年)10月14日、中心気圧935hPaという統計開始以降4番目の低さで鹿児島県串木野市付近に上陸した台風。速い速度で九州を縦断し、死者572人・行方不明者371人・負傷者2644人、損壊家屋7万2664棟という甚大な被害を全国にもたらした。
-
大原劇場火災
1951年(昭和26年)5月19日午後2時50分ごろ、北海道厚岸郡浜中村(現・浜中町)の茶内市街にあった映画館「大原劇場」で火災が発生した。上映中のフィルムから映写室内で出火し、火元の映写室が出入口の近くにあったうえ、非常口にかんぬきがかけられていたため、多くの観客が避難できなかった。小・中学生ら39人を含む42人が死亡する惨事となった。
-
国鉄桜木町電車火災事故
1951年(昭和26年)4月24日、横浜市中区の国鉄京浜東北線桜木町駅構内で、架線工事のミスにより垂れ下がった架線に電車のパンタグラフが接触して短絡し、先頭車両が全焼した事故。死者106人、負傷者92人にのぼり、戦後の国鉄が起こした重大事故の一つに数えられる。当時の63系電車は中段が固定された3段窓で乗客が窓から脱出できず、非常用ドアコックの位置も乗客に周知されていなかったため、多くの乗客が炎上する車内に閉じ込められた。架線工事の担当作業員や運転士らが業務上過失致死罪などで禁錮刑の実刑判決を受けたほか、この事故を契機に非常用ドアコックの設置・表示の義務化、3段窓の廃止、車両の不燃化など、鉄道車両の安全基準が大きく見直された。
-
日大ギャング事件
1950年(昭和25年)9月22日、東京都千代田区で、日本大学の給料運搬車に同乗した運転手の少年が、同乗の職員をナイフで脅して現金190万円を奪い、日大教授の娘の少女と逃走した強盗事件。少年が逮捕時に発した「オー・ミステーク」という言葉が流行語となり、戦後の若者犯罪を象徴する事件として文化人による論評も相次いだ。
-
金閣寺放火事件
1950年(昭和25年)7月2日未明、京都市の鹿苑寺(金閣寺)で、同寺の徒弟僧(当時21歳)が国宝の舎利殿(金閣)に放火し全焼させた事件。人的被害はなかったが、足利義満坐像など国宝の寺宝も焼失した。三島由紀夫の小説「金閣寺」のモチーフになったことでも知られる。
-
人民広場事件
1950年(昭和25年)5月30日、占領下の東京・皇居前広場で開かれた「人民大会」の際に起きた、占領軍兵士への暴行事件。進駐軍が検挙した8人は占領軍の軍事裁判にかけられた。事件後、総司令部(GHQ)の指示により警視総監は6月2日から都内の集会・デモ行進を全面的に制限し、同様の措置は国家地方警察を通じて全国に広がった。政府は翌1951年、この事件を動機として国民公園管理規則を改正し、皇居前広場での政治的・宗教的な目的の集会を許可しないこととした。事件は1951年のメーデーの会場使用が許可されなかった大きな理由ともされた。国会では「五月三十日事件」とも呼ばれた。
-
北海道拓殖銀行美深支店強盗殺人事件
1950年(昭和25年)4月2日未明、北海道中川郡美深町の北海道拓殖銀行美深支店に賊が侵入し、支店長夫妻・行員夫妻・支店長の娘2人の計6人に麻酔薬とみられる薬品を注射して眠らせたうえ、刃物で頸動脈などを切断して殺害し、現金108万円を奪った事件。幼児を含む多数の犠牲者と、麻酔薬の使用や頸動脈の切断という冷酷な手口から、2年前に東京で12人が毒殺された帝銀事件になぞらえて「第2の帝銀事件」と呼ばれた。捜査線上には延べ3千人が浮かんだが真犯人は特定できず、1965年4月2日、事件発生から15年で公訴時効が成立し、未解決事件となった。
-
財田川事件
1950年2月28日、香川県三豊郡財田村(現在の三豊市財田町)で、一人暮らしの男性が自宅で殺害され現金を奪われた強盗殺人事件。別の事件で勾留中だった当時19歳の男性が自白し、公判で否認したものの、1957年に死刑が確定した。最高裁は1976年10月12日、白鳥決定の「疑わしいときは被告人の利益に」の原則を適用して再審請求の棄却決定を取り消し(財田川決定)、1979年に再審開始が決定された。1984年3月12日、高松地裁は自白の信用性を否定して無罪を言い渡し、男性は死刑確定から約27年後に釈放された。
-
キティ台風
1949年(昭和24年)8月31日、台風10号(キティ台風)が神奈川県小田原市付近に上陸し関東地方を縦断した。暴風・大雨・高潮により死者135人、行方不明者25人にのぼり、戦後復興途上の首都圏に大きな被害をもたらした。
-
松川事件
1949年(昭和24年)8月17日未明、福島県信夫郡金谷川村(現・福島市松川町金沢)の東北本線松川駅〜金谷川駅間で、旅客列車が脱線転覆し、機関車の乗務員3人が死亡した。線路のレールと継目板が外されていたことから、何者かによる列車妨害と判断された。捜査当局は国鉄と東芝松川工場の労働組合員20人を逮捕・起訴し、一審は全員有罪、5人に死刑を言い渡した。しかし検察が提出していなかった「諏訪メモ」が被告人のアリバイを裏づけたことなどから審理は覆り、1963年(昭和38年)9月12日に全員の無罪が確定した。真犯人は特定されないまま公訴時効を迎えている。
-
弘前大学教授夫人殺し事件
1949年8月6日夜、青森県弘前市で、弘前医科大学教授の妻(当時30歳)が就寝中に刃物で首を刺されて殺害された事件。近所に住む男性が逮捕・起訴され、一審の無罪判決が控訴審で覆されて、1953年に懲役15年が確定した。男性が刑期を終えた後の1971年、別の男が真犯人であると名乗り出た。仙台高裁は1976年に白鳥決定の基準を引用して再審開始を決定し、1977年2月15日の再審判決で、男性の犯行と認める証拠は何一つないとして無罪を言い渡し、真犯人を名乗り出た男を真犯人と断定した。
-
三鷹事件
1949年7月15日夜、東京都三鷹町(現・三鷹市)の国鉄三鷹駅構内で、三鷹電車区に停車中だった無人電車が暴走し、車止めを突破して駅前商店街に突入・脱線した。6人が死亡、20人が負傷し、下山事件・松川事件と並ぶ「国鉄三大ミステリー事件」の一つとされる。関係者10人が起訴されたが、裁判所は元運転士1人の単独犯行と認定した。最高裁判所大法廷は1955年6月22日、8対7の1票差で上告を棄却し、同年12月23日に元運転士の死刑が確定した。
-
松山城筒井門等焼失事故
1949年(昭和24年)2月27日、愛媛県松山市の松山城で火災が発生し、本丸に通じる筒井門とその東続櫓・西続櫓の3棟(いずれも当時の国宝)が焼失した。出火原因は、城内にいた精神疾患の患者がたき火をしたことによるとされ、天守など他の建造物は焼失を免れた。焼失した3棟はその後、旧国宝の指定を解除された。
-
能代大火
1949年2月20日未明、秋田県能代市で起きた大火。強い西風にあおられて火は市街地に広がり、同日朝8時に鎮火するまでに住家と非住家あわせて2,238棟が焼け、死者3人を出した。焼失面積は市街地の約42%に及び、木材の町の工場や官庁街も焼けた。火災後、市は幅23〜30メートルの防火帯で市街地を区切る復興都市計画を打ち出し、約72万平方メートルの土地区画整理事業を行った。能代市は1956年にも大火に見舞われている(第二次能代大火)。
-
法隆寺金堂壁画焼損
1949年1月26日の早朝、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺で、昭和の大修理のさなかにあった金堂の内部から火が出て、7世紀後半から8世紀初めの作とされる金堂の壁画12面が焼損した事件。文部大臣は、壁画の模写作業の保温のために持ち込まれた電気座布団が原因と調査会が結論したと国会で答弁し、文部省は関係者を懲戒処分とした。この焼損は国会で文化財保護法の提出の「契機」と述べられ、翌1950年に同法が制定された。焼損の日である1月26日は、1955年から「文化財防火デー」とされている。
出典: https://jiken.jp/cases/?page=22(2026-10-30 取得)/ 事件JP