事件一覧
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404 件が見つかりました
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松島炭鉱ガス爆発事故
長崎県の松島炭鉱(大島鉱業所)で発生したガス・炭じん爆発事故。死者9人を出した。
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キティ台風
1949年(昭和24年)8月31日、台風10号(キティ台風)が神奈川県小田原市付近に上陸し関東地方を縦断した。暴風・大雨・高潮により死者135人、行方不明者25人にのぼり、戦後復興途上の首都圏に大きな被害をもたらした。
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松川事件
1949年(昭和24年)8月17日未明、福島県信夫郡金谷川村(現・福島市松川町金沢)の東北本線松川駅〜金谷川駅間で、旅客列車が脱線転覆し、機関車の乗務員3人が死亡した。線路のレールと継目板が外されていたことから、何者かによる列車妨害と判断された。捜査当局は国鉄と東芝松川工場の労働組合員20人を逮捕・起訴し、一審は全員有罪、5人に死刑を言い渡した。しかし検察が提出していなかった「諏訪メモ」が被告人のアリバイを裏づけたことなどから審理は覆り、1963年(昭和38年)9月12日に全員の無罪が確定した。真犯人は特定されないまま公訴時効を迎えている。
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三鷹事件
1949年7月15日夜、東京都三鷹町(現・三鷹市)の国鉄三鷹駅構内で、三鷹電車区に停車中だった無人電車が暴走し、車止めを突破して駅前商店街に突入・脱線した。6人が死亡、20人が負傷し、下山事件・松川事件と並ぶ「国鉄三大ミステリー事件」の一つとされる。関係者10人が起訴され、最高裁判所大法廷は1955年、元運転士1人の単独犯行と認定し、8対7の1票差で死刑判決を確定させた。
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松山城筒井門等焼失事故
1949年(昭和24年)2月27日、愛媛県松山市の松山城で火災が発生し、本丸に通じる筒井門とその東続櫓・西続櫓の3棟(いずれも当時の国宝)が焼失した。出火原因は、城内にいた精神疾患の患者がたき火をしたことによるとされ、天守など他の建造物は焼失を免れた。焼失した3棟はその後、旧国宝の指定を解除された。
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免田事件
1948年(昭和23年)12月29日深夜から30日未明にかけて、熊本県人吉市の祈祷師夫婦宅に押し入り、夫婦を殺害し娘2人に重傷を負わせ、現金を奪った強盗殺人事件。近隣の男性・免田栄が逮捕され自白により死刑が確定したが、6次にわたる再審請求の末、1983年に再審無罪が確定した。死刑確定者が再審で無罪となった日本初の事例として知られる。
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昭和電工事件
1948年(昭和23年)9月13日、復興金融金庫からの融資をめぐる贈収賄事件「昭和電工事件」で、大蔵省主計局長の福田赳夫が収賄容疑で逮捕された。同年6月、化学メーカー・昭和電工の社長・日野原節三が政官界への贈賄容疑で逮捕されたことに端を発し、捜査は経済安定本部総務長官や芦田均内閣の前副総理にまで及んだ。事件の影響で同年10月、芦田内閣は総辞職に追い込まれた。
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万代橋事件
1948年(昭和23年)8月23日、新潟市の萬代橋で花火大会を見物していた観衆が欄干に殺到し、欄干が約40メートルにわたり崩落した。約100人が信濃川に転落し、11人が死亡、29人が重軽傷を負った。
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庭坂事件
1948年(昭和23年)4月27日未明、福島県庭坂村(現・福島市)の奥羽本線赤岩-庭坂間で、青森発上野行きの上り急行旅客列車が脱線転覆し、機関士・機関助士と、たまたま便乗していた技工の3人が死亡した。現場ではレールの継目板や犬釘が抜き取られており人為的な線路破壊が疑われたが、犯人は特定されないまま迷宮入りとなった。手口は翌年発生した松川事件と酷似しており、両事件の関連を指摘する研究もある。
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八高線列車脱線転覆事故
1947年(昭和22年)2月25日午前7時50分頃、国鉄八高線東飯能駅~高麗川駅間で、買い出し客で満員となっていた列車が急カーブを曲がりきれず後部4両が脱線し、約5メートル下の築堤下に転落した。死者184人を出し、日本の鉄道事故史上最悪クラスの惨事となった。木造客車の脆弱性が被害拡大の一因とされ、事故後、木造客車の淘汰が進められた。
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昭和南海地震
1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分ごろ、和歌山県南方沖(潮岬南方沖)の南海トラフ沿い、深さ約24キロメートルを震源とするマグニチュード8.0の地震が発生した。四国から近畿・中部にかけて広い範囲が揺れ、土佐湾沿岸を中心に津波が襲来。気象庁の資料によれば全国の死者・行方不明者は1,443人にのぼり、うち高知県の死者は679人と最も多かった。高知平野では地盤沈下により約15平方キロメートルの田園が海面下に没し、水が引くまで半月を要した。終戦の翌年、復興途上の西日本を襲った震災である。
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住友財閥令嬢誘拐事件
1946年(昭和21年)9月17日、横浜市戸塚区で、住友財閥16代当主の長女(当時12歳)が下校途中に何者かに連れ去られた事件。犯人は樋口芳男(当時22歳)で、身代金目的ではなく「良家の娘と一緒にいたい」という動機から複数の少女を狙って犯行を重ねていた常習犯だった。5日後の9月22日、岐阜県で樋口が逮捕され、少女は無事保護された。
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渋谷事件
1946年(昭和21年)7月19日夜、東京都渋谷区の渋谷警察署前で、警察官・暴力団関係者の連合隊と、武装した在日台湾人グループとの間で銃撃戦が発生した。警察官1人と在日台湾人が死亡し、双方あわせて多数の負傷者を出した。同年12月、占領目的阻害罪により関係者に有罪判決が言い渡された。
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二又トンネル爆発事故
福岡県のトンネル内に貯蔵されていた旧日本陸軍の火薬を米軍が焼却処分しようとした際に大爆発し、死者147人を出した事故。
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緒方竹虎襲撃事件
1945年(昭和20年)2月24日、東京・霞が関の大政翼賛会本部会議室で、国務大臣・緒方竹虎が短刀を持った男に襲撃された。男は皇民化教育の影響を受けた朝鮮出身者で、弱体化した小磯内閣の打倒を狙ったとされる。緒方の側近に取り押さえられ未遂に終わったが、事件の刑事手続は長期化し、1998年、東京地方裁判所は公訴時効の完成を理由に免訴を言い渡した。
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十・十空襲
1944年(昭和19年)10月10日、アメリカ海軍機動部隊が沖縄をはじめとする南西諸島各地を9時間にわたり波状的に空襲した「十・十空襲」。延べ1396機の艦載機が爆弾・焼夷弾を投下し、那覇市街地の約9割が焼失した。非戦闘員を含む少なくとも668人が死亡し、768人が負傷した。
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第六垂水丸遭難事故
1944年(昭和19年)2月6日午前9時50分、鹿児島県の垂水港を出港した定期旅客船「第六垂水丸」(122総トン)が、出港直後に桟橋付近でバランスを崩して転覆・沈没した。戦時下の燃料不足で減便されていた航路に乗客が殺到し、定員を大幅に超える約700人が乗船していたとされ、死者は慰霊碑の記録で547人にのぼる、日本の海難事故史上2番目の規模の惨事となった。
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崑崙丸沈没事件
1943年(昭和18年)10月5日未明、関釜連絡船「崑崙丸」が、山口県下関から朝鮮半島釜山への航海中、福岡県沖ノ島沖でアメリカ海軍潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した事件。衆議院議員2人を含む583人が死亡・行方不明となった。太平洋戦争下、日本の民間船舶が受けた被害の大きさを象徴する事件の一つ。
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鳥取地震
1943年(昭和18年)9月10日午後5時36分ごろ、鳥取市の直下ごく浅い場所を震源とするマグニチュード7.2の地震が発生した。鳥取市の市街地では木造家屋の倒壊が相次ぎ、気象庁の資料による死者は1,083人にのぼった。震源が浅い内陸直下型の地震で、地表には鹿野断層・吉岡断層と呼ばれる断層のずれが現れ、日本の活断層研究にとって重要な観測例となった。太平洋戦争のさなかに発生したため被害の詳細は報道管制のもとに置かれ、翌1944年の東南海地震、1945年の三河地震とともに、戦時下に相次いだ大地震のひとつに数えられる。
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松尾鉱山落盤事故
岩手県の松尾鉱山(硫黄鉱山)で発生した落盤事故。死者・行方不明者85人を出した。
出典: https://jiken.jp/cases/?page=18(2026-09-15 取得)/ 事件JP