事件一覧
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404 件が見つかりました
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草加次郎事件
1963年(昭和38年)9月5日、東京都中央区の地下鉄銀座線京橋駅に停車中の列車内で時限爆弾が爆発し、乗客10人が負傷した事件。「草加次郎」を名乗る人物による1962年からの一連の爆発・脅迫事件の一つとみられ、犯人は特定されないまま1978年に公訴時効が成立した。
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みどり丸沈没事故
1963年(昭和38年)8月17日、那覇と久米島を結ぶ貨客船「みどり丸」が那覇沖で横波を受けて転覆・沈没し、死者86人、行方不明者26人、あわせて112人の犠牲者を出した。沖縄の戦後海難史上最大級の惨事となった。
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豊浜山津波
1962年(昭和37年)10月17日、北海道乙部町豊浜地区で発生した土石流(山津波)が、走行中の函館バスの路線バスを海中に押し流した事故。乗務員2人は生還したが、乗客のうち11人が死亡、3人が行方不明、14人が重軽傷を負った。事故後、現場の旧道は廃止され、新たなトンネル・道路が整備された。
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南武線久地駅・津田山駅間踏切事故
1962年(昭和37年)8月7日、川崎市の南武線久地駅・津田山駅間の踏切で、トラックと電車が衝突したのち対向電車とも二重に衝突する事故が発生し、3人が死亡、154人が重軽傷を負った。踏切事故対策の強化を促す契機となった。
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白銀大火
1961年(昭和36年)5月29日夜、青森県八戸市白銀町で発生した火災が、台風から変わった低気圧による強風にあおられて燃え広がり、707戸を全焼させた大火。
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奥新冠ダム建設工事雪崩災害
1961年(昭和36年)4月5日未明、北海道日高地方の平取町振内と新冠村(現・新冠町)奥新冠で、北海道電力が進めていた日高電源一貫開発計画の一環である奥新冠ダム・発電所建設工事の作業員宿舎が相次いで表層雪崩に襲われた。前日までの高温と降雨で緩んだ積雪が崩落し、平取町側で12人、新冠側で22人、合わせて34人が死亡、11人が負傷した。北海道警察などの現場検証は「事前予知が到底困難な自然災害」と結論づけた。工事用道路の復旧や作業員の離散により工事の全面再開には時間を要し、後年、現場付近と発電所そばに慰霊碑が建立された。
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名張毒ぶどう酒事件
1961年(昭和36年)3月28日夜、三重県名張市葛尾の集会所で開かれた懇親会で、農薬(テップ)が混入したぶどう酒を飲んだ女性17人が中毒症状を訴え、5人が死亡した。参加者の一人だった奥西勝が逮捕され、一審は無罪としたが名古屋高裁が逆転死刑判決を言い渡し、1972年に最高裁が上告を棄却して死刑が確定した。奥西は一貫して無実を主張し9次にわたり再審請求を重ねたが、2015年、収容先の医療刑務所で89歳のまま病死した。
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香春町上清炭鉱火災
1961年(昭和36年)3月9日、福岡県田川郡香春町の上清炭鉱で坑内火災が発生し、坑内にいた作業員71人が死亡した。戦後の日本国内における炭鉱火災としては最大の死者数となり、同月16日には田川市体育館で合同葬が営まれ、昭和天皇・香淳皇后から花料が下賜された。
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豊州炭鉱水没事故
1960年(昭和35年)9月20日未明、福岡県田川郡川崎町の上尊鉱業豊州炭鉱で、集中豪雨により増水した中元寺川の川底が陥没し、坑内に川の水が大量に流れ込んで水没した事故。坑内で作業していた約220人のうち67人が逃げ遅れて死亡し、二次災害のおそれから多くの遺体は収容されないまま坑内に取り残された。
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岸信介内閣総理大臣刺傷事件
1960年7月14日午後、東京都千代田区の首相官邸で開かれた自民党総裁交代の祝賀会からの退出時、岸信介首相(当時)が男に登山用ナイフで左尻・大腿部を6回刺され重傷を負った。日米安保条約改定を巡る混乱が続くさなかの事件で、犯人は現場で取り押さえられた。岸首相は翌日総辞職を表明し、傷害罪に問われた犯人には懲役3年の判決が確定した。
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安保闘争死亡事件(樺美智子さん)
1960年(昭和35年)6月15日、新安保条約批准に反対する全学連主流派のデモ隊が国会構内に突入し、警官隊と衝突した。この混乱の中で東京大学生の樺美智子さんが死亡した。
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雅樹ちゃん誘拐殺人事件
1960年(昭和35年)5月16日、東京都世田谷区で小学2年の男児(当時7歳)が誘拐され、身代金が要求されたが、犯人は都内の自宅で男児を殺害していた。犯人は同年7月17日に大阪府内で身柄を確保され、1961年3月31日に死刑判決を受け、1967年5月25日に最高裁で確定、1970年10月29日に執行された。本事件を契機に、誘拐事件の報道のあり方をめぐる議論が始まった。
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宮森小学校米軍機墜落事故
1959年(昭和34年)6月30日、沖縄県石川市(現・うるま市)の宮森小学校に、整備不良で操縦不能となった米軍のジェット戦闘機が墜落した事故。児童11人を含む18人が死亡し、210人が負傷した。
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長崎国旗事件
1958年(昭和33年)5月2日、長崎市の浜屋百貨店4階で開催されていた日中友好協会長崎支部主催の中国切手・切り紙展覧会で、右翼団体に所属する28歳の男が会場に掲げられていた中華人民共和国国旗(五星紅旗)を引きずり降ろして毀損した。日本政府は中華人民共和国を国家承認していなかったため、この行為を外国国章損壊罪ではなく軽犯罪法違反として扱い、男には科料500円の略式命令が下された。中国側はこの軽い処分と日本政府の対応を強く批判し、5月9日に対日貿易の全面停止を声明、以後約2年半にわたり日中間の貿易・文化交流が途絶えた。後年公開された台湾側の外交文書により、在長崎の中華民国領事館が事件に関与していたことも明らかになっている。
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ジラード事件
1957年(昭和32年)1月30日、群馬県相馬が原演習場で、薬莢拾いのため立ち入った日本人主婦(46歳)が、演習中の在日米陸軍ウィリアム・S・ジラード三等特技兵に銃撃され死亡した。日米地位協定に基づく裁判管轄権をめぐって日米間で外交問題化し、米側が異例の対応として身柄を日本側に引き渡し、日本の裁判所で審理されることになった。前橋地方裁判所は1957年11月19日、傷害致死罪でジラードに懲役3年・執行猶予4年の判決を言い渡し、確定した。1991年には、身柄引き渡しの見返りに量刑を軽くする日米間の申し合わせがあったことが公開文書で明らかになった。
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六軒事故
1956年(昭和31年)10月15日夜、三重県松阪市の参宮線六軒駅で、信号確認を誤った下り急行列車が安全側線に進入して脱線し、20秒後に上り急行列車が衝突した事故。修学旅行中の高校生を含む42人が死亡、94人が負傷し、事故を機に自動列車停止装置(ATS)の全国導入が進んだ。
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茂尻炭鉱ガス爆発事故
北海道赤平市の茂尻炭鉱で坑内のガス爆発が発生し、死者60人、負傷者17人を出した事故。
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墨田区花火問屋爆発事故
1955年(昭和30年)8月1日、東京都墨田区の花火問屋が経営する花火工場の倉庫で爆発が発生し、18人が死亡、80人以上が重軽傷を負った。爆風は周辺の建物にも被害を及ぼし、住宅密集地における花火の保管・製造の危険性を浮き彫りにした。
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橋北中学校水難事件
1955年7月28日、三重県津市立橋北中学校の水泳訓練中、中河原海岸で急激な水位上昇と異常な流れが発生し、多数の女子生徒が溺れて36人が死亡した。学校長ら3人が業務上過失致死罪で起訴され、津地方裁判所は執行猶予付き有罪判決を言い渡したが、名古屋高等裁判所は異常な流れを「不可抗力」と認定して無罪を言い渡し、判決が確定した。
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紫雲丸事故
1955年(昭和30年)5月11日午前6時56分、濃霧に包まれた香川県高松港沖で、日本国有鉄道の宇高連絡船「紫雲丸」と貨車運航船「第三宇高丸」が衝突し、紫雲丸が沈没して乗客乗員168人が死亡・行方不明となった。犠牲者のうち108人は4つの小中学校の修学旅行の一行で、児童・生徒だけで100人を数えた。前年の洞爺丸事故に続く国鉄連絡船の大惨事として社会に衝撃を与え、高等海難審判庁は両船船長の職務上の過失を認定。濃霧による欠航の多発は、のちの瀬戸大橋建設の機運を高める一因ともなった。
出典: https://jiken.jp/cases/?page=16(2026-09-15 取得)/ 事件JP