事件一覧
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508 件が見つかりました
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リクルート事件
リクルート社の未公開株が政財官界の関係者に譲渡されていたことが発覚した戦後最大級の汚職事件。前会長らが逮捕され、政治家・官僚を含む計12人が贈収賄罪などで起訴されて全員が有罪となった。
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赤報隊事件
1987年(昭和62年)5月3日夜、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に男が押し入り、散弾銃で記者2人を撃って1人を殺害、1人に重傷を負わせた事件を中心とする一連の事件。「赤報隊」を名乗る犯人による朝日新聞東京本社・名古屋本社寮への発砲、静岡支局での爆破未遂、リクルート前会長宅への発砲とあわせ、警察庁指定第116号事件とされた。言論機関を狙ったテロとして国会でも取り上げられたが、犯人は検挙されず、2003年3月までにすべての事件の公訴時効が成立した。
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薬害肝炎事件
出産や手術での大量出血などの際に止血の目的で投与された血液製剤(フィブリノゲン製剤・血液凝固第IX因子製剤)によって、多くの人がC型肝炎ウイルスに感染した薬害事件。1987年(昭和62年)、青森県三沢市でフィブリノゲン製剤を投与された患者に肝炎が多発していることが厚生省に報告され、4月20日に製薬会社が非加熱製剤の回収を始めた。2002年からの全国5地裁の訴訟は国の責任について判断が分かれたが、2008年1月に議員立法でC型肝炎救済特別措置法が成立し、国は被害の拡大を防げなかった責任を認めた。給付金の対象として和解などが成立した人は2,647人(2026年9月末現在)。
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フライデー襲撃事件
1986年(昭和61年)12月9日未明、東京都文京区の講談社本館にあるフライデー編集部に、タレントのビートたけし(北野武)とたけし軍団のメンバー計12人が乱入し、編集部員に暴行を加えた事件。前日に同誌契約記者がたけしの交際相手の女性に強引な取材を行い負傷させたことへの抗議が発端だった。たけしは現行犯逮捕され、傷害罪で有罪判決(懲役6か月・執行猶予2年)が確定した。写真週刊誌の過熱取材のあり方が社会問題化する契機となった。
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伊豆大島三原山噴火
1986年(昭和61年)11月15日に山頂火口で始まった伊豆大島・三原山の噴火は、21日夕方にカルデラ床と北西山腹での大規模な割れ目噴火へと拡大した。溶岩流が中心集落の元町地区の背後に迫り、地震活動も島の南東部へ広がったため、同日夜に全島避難が決定され、22日早朝までに島民と観光客計1万226人の島外避難が完了した。島民は約1か月にわたり東京都内や静岡県で避難生活を送り、12月20日に島外避難指示が解除された。この噴火による直接の死傷者は出ていない。
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日本航空123便墜落事故
1985年(昭和60年)8月12日、羽田発大阪行きの日本航空123便(ボーイング747SR)が群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した事故。乗員乗客524人のうち520人が死亡し、単独機の航空事故としては世界最悪の犠牲者数となった。運輸省航空事故調査委員会は、過去の修理ミスに起因する後部圧力隔壁の破壊を事故原因とする報告書を公表した。
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熊本母娘殺害事件
1985年(昭和60年)7月24日未明、熊本県上益城郡甲佐町の民家で、女性(当時63歳)とその養女(当時22歳)が、侵入した男に殺害された。加害者の男は、1962年の殺人罪で無期懲役の判決を受け仮釈放中だった。1999年、死刑が執行された。
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川崎市輸血拒否事件
1985年(昭和60年)6月6日、神奈川県川崎市で交通事故により重傷を負った小学5年の男児が、両親が信仰上の理由で輸血を拒否したため、輸血を伴う手術を受けられずに死亡した事件。
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薬害エイズ事件
1980年代、外国で採取された血液を原料とする非加熱の血液凝固因子製剤によって、血友病の患者らがエイズの原因となるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染した薬害事件。1985年(昭和60年)5月30日、厚生省の委員会が血友病患者3人をエイズ患者と認定した。凝固因子製剤による感染者は1,440人(2024年5月31日現在の全国調査)。国と製薬会社5社を相手にしたHIV訴訟は1996年3月29日に和解が成立し、厚生大臣は国の責任を認めて謝罪した。刑事裁判では元厚生省生物製剤課長の有罪が最高裁で確定し、事件は薬事法の改正や「誓いの碑」の建立につながった。
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犀川スキーバス転落事故
1985年(昭和60年)1月28日午前5時45分頃、長野県長野市の犀川で、スキー場へ向かっていた日本福祉大学の学生らを乗せた観光バスが、国道19号沿いの大安寺橋手前のカーブでガードレールを突き破り、水深4メートル・水温4度の川へ転落した。学生22人・教員1人・乗務員2人の計25人が死亡し、8人が重軽傷を負った。運転手が事故前に2週間連続勤務していたことなどから過労運転が疑われたが、長野地検は科学的な立証が困難として1986年に全員を不起訴とした。
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世田谷局ケーブル火災
1984年(昭和59年)11月16日午前11時50分ごろ、東京都世田谷区太子堂の日本電信電話公社(電電公社)世田谷電話局近くの地下洞道で、ケーブル増設工事中に火災が発生した。約17時間燃え続け、通信ケーブルが焼失した結果、約8万9千の加入電話回線と複数の銀行のオンラインシステムが最大9日間にわたり使用不能となった。死傷者はいなかったが、110番・119番の緊急通報も一時機能を失い、大都市の通信インフラの脆弱性を社会に印象づける事故となった。
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グリコ・森永事件
1984年3月、江崎グリコ社長が誘拐されたことを発端に、「かい人21面相」を名乗る犯人グループが森永製菓・丸大食品・ハウス食品・不二家など複数の食品会社を標的に、青酸ソーダ入りの菓子をばらまくと脅迫を繰り返した広域企業脅迫事件(警察庁広域重要指定114号事件)。1985年8月に終息宣言が送られた後、犯行は途絶え、2000年に全事件の公訴時効が成立し、警察庁広域重要指定事件として初の未解決事件となった。
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昭和58年7月豪雨
1983年(昭和58年)7月20日から29日にかけて、日本海を進む低気圧により梅雨前線の活動が活発化し、日本海側を中心に大雨となった。23日には島根県西部で記録的な豪雨となり、浜田では時間雨量91.0ミリ、日雨量331.5ミリを観測。中小河川の氾濫と山崩れ・がけ崩れが相次いだ。気象庁のまとめによる全国の被害は死者112人・行方不明5人・負傷者193人で、うち島根県内の死者・行方不明者は107人にのぼり、犠牲者の約8割が土砂災害によるものだった。
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戸塚ヨットスクール事件
愛知県のヨットスクールで、1979年から1982年にかけて訓練生5人が指導中の暴行等により死亡していたことが発覚し、1983年6月、校長の戸塚宏が傷害致死容疑で逮捕された事件。体罰による「スパルタ教育」の是非をめぐる社会的議論を呼んだ。
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東鉄工業作業員宿舎放火殺人事件
1983年(昭和58年)6月7日午前3時45分ごろ、千葉県四街道市の東鉄工業株式会社の作業員宿舎で放火とみられる火災が発生し、社員2人が死亡、1人が火傷を負った。同社は新東京国際空港(成田空港)の航空燃料輸送パイプライン工事を請け負っており、極左暴力集団の中核派が空港建設への攻撃としてこの犯行声明を出した。実行犯は特定されないまま、1998年6月7日に殺人罪の公訴時効が成立し、未解決事件となっている。
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日本海中部地震
1983年(昭和58年)5月26日正午前、秋田県沖合の日本海を震源とするマグニチュード7.7の地震が発生した。地震とその後の津波により、秋田県・青森県を中心に104人が死亡(うち100人が津波によるもの)、324人が負傷した。遠足中だった秋田県の小学生ら13人が津波の犠牲になったことでも知られる。
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蔵王観光ホテル火災
1983年(昭和58年)2月21日未明、山形県山形市蔵王温泉の「蔵王観光ホテル」で火災が発生した。自動火災報知設備のベルが停止されていたため発見が遅れ、火元のホテルを含む周囲の旅館など7棟が全半焼し、従業員5人・宿泊客6人の計11人が一酸化炭素中毒で死亡した。経営者は業務上過失致死傷罪に問われ、1985年に禁錮2年・執行猶予3年の有罪判決を受けた。
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三越事件
1982年(昭和57年)8月29日、大手百貨店・三越が開催した「古代ペルシャ秘宝展」の出展美術品の大半が贋作であると新聞報道で発覚した事件。同社の岡田茂社長は経営の私物化が問題視されており、この報道を機に取締役会で解任された。岡田は女性実業家への便宜供与などをめぐり特別背任罪で逮捕・起訴され、控訴審で懲役3年の判決を受けたが、上告中の1995年に死去し公訴棄却となった。女性実業家は岡田と共謀した特別背任と脱税の罪で実刑判決を受け、1997年10月に最高裁で確定した。
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昭和57年7月豪雨
1982年(昭和57年)7月23日夕方から翌24日未明にかけて、低気圧と梅雨前線の影響で長崎県南部に記録的な集中豪雨が降った。長与町役場の雨量計では午後7時からの1時間に187ミリという日本観測史上最高の雨量を記録した。斜面に市街地が広がる長崎市周辺では土石流や崖崩れが同時多発し、死者・行方不明者299人のうち262人が土砂災害による犠牲だった。中島川の氾濫で眼鏡橋などの石橋群も被災した。この災害をきっかけに、気象庁は「記録的短時間大雨情報」を設けた。
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北炭夕張新炭鉱ガス突出事故
1981年(昭和56年)10月16日、北海道夕張市の北炭夕張新炭鉱で、地表下1,000メートルを超える深部の坑道掘進現場でガス突出が起き、救助活動中の同日夜にはガス爆発と坑内火災が続いた。死者は一次災害83人、二次災害10人の計93人。坑内への注水を経て遺体の収容は翌年3月まで続き、炭鉱は1982年10月に閉山した。
出典: https://jiken.jp/cases/?page=16(2026-10-31 取得)/ 事件JP