事件一覧
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508 件が見つかりました
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みどり荘事件
1981年(昭和56年)6月27日深夜から28日未明にかけて、大分県大分市六坊町のアパート「みどり荘」で、18歳の女子短大生が自室で殺害された。隣室に住んでいた男性が翌年1月に逮捕・起訴され、大分地方裁判所は1989年に無期懲役を言い渡したが、福岡高等裁判所は1995年6月30日に逆転無罪を言い渡し、検察が上告を断念して確定した。控訴審では、有罪の根拠とされた科学警察研究所の毛髪鑑定の証明力が否定されたほか、日本で初めて裁判所の職権でDNA型鑑定が行われたが、その結果も信用性を否定された。真犯人は特定されないまま1996年に公訴時効が成立した。当番弁護士制度が生まれるきっかけになった事件としても知られる。
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深川通り魔殺人事件
1981年(昭和56年)6月17日、東京都江東区森下の商店街で、男が柳刃包丁で通行人を次々に襲撃し、その後人質をとって中華料理店に約7時間立てこもった事件。幼児2人を含む4人が死亡した。男は過去に覚醒剤を使用しており、逮捕時の検査でも覚醒剤の成分が検出された。
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名古屋女子大生誘拐殺人事件
1980年(昭和55年)12月2日、愛知県名古屋市で、寿司店員の男が大学3年生の女性(当時22歳)を家庭教師の依頼を装って呼び出して誘拐し、その場で殺害したうえ、遺体を木曽川に遺棄した事件。男は被害者の家族に18回にわたり身代金3千万円を要求する電話をかけた。翌1981年1月に逮捕され、名古屋地方裁判所は死刑を言い渡した。控訴審・上告審でも判断は覆らず、1987年(昭和62年)に最高裁判所で死刑が確定、1995年(平成7年)12月21日に刑が執行された。ギャンブルによる多額の借金が動機とされる。
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川治プリンスホテル火災
1980年(昭和55年)11月20日、栃木県塩谷郡藤原町(現・日光市)川治温泉の旅館「川治プリンスホテル雅苑」で火災が発生した。露天風呂解体工事中の火花が出火原因となり、防火管理の不備と、報知機の鳴動を工事によるものと誤認した館内放送による避難の遅れが重なって、宿泊客ら45人が死亡、22人が負傷した。経営者の取締役専務は業務上過失致死傷罪に問われ、1990年に最高裁で実刑判決が確定。翌1981年には防火基準適合表示制度(適マーク制度)が導入された。
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神戸・元町電話局電子交換器停止事件
1980年(昭和55年)10月3日、神戸市の元町電話局で電電公社(現NTT)の電子交換機が故障し、市中心部で電話約2万本が8時間31分にわたって不通となった事件。夕方の帰宅ラッシュ時に緊急通報を含む通信が広範囲で途絶し、「電電公社始まって以来最悪の故障」と評された。
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富士見産婦人科病院事件
1980年(昭和55年)9月10日、埼玉県所沢市の富士見産婦人科病院の理事長が医師法違反などの容疑で逮捕された事件。医師免許を持たない理事長が超音波検査を行って誤った診断を下し、それに基づいて病院の医師らが手術の必要のない女性患者の子宮や卵巣を摘出していたことが発覚し、社会問題化した。刑事・民事の裁判を経て、2005年に院長と医師らに医師法上の行政処分が下された。
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新宿西口バス放火事件
1980年(昭和55年)8月19日午後9時ごろ、東京都新宿区の新宿駅西口バスターミナルで、発車直前の路線バス車内に男(当時38歳)がガソリンをまいて放火し、乗客ら6人が焼死、14人が重軽傷を負った事件。男は事件直前、通行人に注意された際「世間をあっと言わせてやる」と口にしていたとされる。
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静岡駅前地下街爆発事故
1980年(昭和55年)8月16日、静岡市の静岡駅前地下街で、湧水処理槽にたまったメタンガスへの引火をきっかけに2度の爆発が発生し、15人が死亡、223人が重軽傷を負った。事故後、地下街のガス保安基準が全国的に強化された。
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司ちゃん誘拐殺人事件
1980年(昭和55年)8月2日、山梨県東八代郡一宮町(現・笛吹市)で男児(当時5歳)が身代金目的で誘拐され、2日後の8月4日に殺害された事件。犯人の男は死刑判決を受けたが、控訴審で無期懲役に減刑され確定した。
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富山・長野連続女性誘拐殺人事件
1980年2月から3月にかけて、富山市で女子高校生(当時18歳)が、その8日後に長野市で女子会社員(当時20歳)が誘拐され、睡眠薬で昏睡させられたうえで殺害された身代金目的の誘拐殺人事件。長野の事件では家族に3,000万円の身代金が要求された。犯行は富山・岐阜・長野の3県と、身代金の受け渡し場所が指定された群馬県に及んだ。3月30日に女と男が逮捕されたが、裁判では女の単独犯行と認定され、男は無罪となった。女は1998年に最高裁で上告を棄却され、死刑が確定した。
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昭和54年台風20号
1979年(昭和54年)10月19日、和歌山県白浜町付近に上陸した台風20号。発達の過程で中心気圧870ヘクトパスカルという当時の世界観測史上最低記録をつけた台風で、上陸後も西日本を中心に暴風と豪雨をもたらし、全国で死者110人・行方不明者5人・負傷者543人という被害を記録した。
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長岡京ワラビ採り殺人事件
1979年(昭和54年)5月23日、京都府長岡京市内のスーパーマーケットでパート勤務していた主婦2人が、仕事の後に近くの山の竹林へワラビ採りに向かったまま行方不明となった。2日後の5月25日、山中で2人の遺体が発見された。1人は絞殺、もう1人は刺殺されており、いずれも全身に多数の殴打痕が残る凄惨な犯行だった。被害者の1人が身につけていたレシートの裏には、鉛筆で「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」と走り書きされており、犯行直前まで抵抗していたことをうかがわせた。京都府警察は複数の重要参考人を捜査したが犯人の特定に至らず、1994年5月24日に公訴時効が成立し、事件は未解決のまま今日に至っている。
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1978年宮城県沖地震
1978年6月12日17時14分、宮城県沖を震源として発生したマグニチュード7.4の地震。仙台市などで震度5を観測し、仙台市を中心とする都市部で建物の倒壊が相次いだ。死者28人のうち18人は、ブロック塀や石塀、石の門柱などの倒壊によるものだった。電気・ガス・水道も止まり、人口50万人以上の近代都市が初めて経験した都市型災害といわれる。この地震で家屋の倒壊が相次いだことは、1981年の建築基準法施行令の改正による「新耐震基準」につながった。
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横田めぐみさん拉致事件
新潟市で下校途中の中学1年生・横田めぐみさん(当時13歳)が消息を絶ち、後に北朝鮮による拉致と判明した事件。
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神社本庁爆破事件
1977年(昭和52年)10月27日、東京都渋谷区の神社本庁ビル1階ロビーで爆弾が爆発し、職員ら6人が負傷した事件。神社本庁が神道政治連盟を通じて政治活動を進めていることに反発した新左翼活動家の男による犯行で、男は同年1月の梨木神社爆破事件など一連の爆弾事件も起こしていた。
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東山事件
1977年(昭和52年)5月8日、新東京国際空港(成田空港)の建設に反対する運動の支援者が、機動隊との衝突の際に催涙ガス弾の直撃を受け、2日後に死亡した事件。
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酒田大火
1976年(昭和51年)10月29日夕方、山形県酒田市中心部の映画館から出火し、台風並みの強風にあおられて延焼が拡大した大火。鎮火まで約12時間を要し、1774棟が焼失、死者1人・負傷者1003人、被害額は405億円に達した。戦後日本で4番目の規模とされる大火となった。
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安八水害(長良川堤防決壊)
1976年(昭和51年)9月12日午前10時28分ごろ、岐阜県安八郡安八町大森で長良川の右岸堤防が決壊した。台風17号と停滞前線がもたらした1週間近い長雨で水位が上がり続けたためで、決壊口は当初の約20メートルから約80メートルへと広がった。濁流は安八町から下流の墨俣町へ流れ込み、両町を中心に岐阜県内で床上浸水2万4千棟余りという被害を出した。住民は堤防の管理に瑕疵があったとして国を訴え、一審は住民側が勝訴したが、控訴審・上告審では退けられ、1994年に住民側敗訴が確定した。河川管理の責任の範囲を問う代表的な訴訟のひとつである。
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昭和51年台風17号(徳島県の記録的豪雨)
1976年(昭和51年)9月、台風17号は九州の南西海上でほぼ停滞したまま前線を刺激し続け、9月8日から14日にかけて全国に長時間の大雨をもたらした。動きの遅さから「のろま台風」と呼ばれる。とりわけ徳島県那賀郡木頭村日早(現・那賀町)では総雨量2,781ミリという、日本の気象記録でも有数の降水量を観測した。徳島県内では死者10人・行方不明1人・負傷者14人の被害が生じている。全国の死者は161人、行方不明10人にのぼり、岐阜県では長良川の堤防が決壊して安八町が水没した。
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ロッキード事件
1976年2月、米上院チャーチ委員会でロッキード社による対日工作が発覚し、同年7月27日、東京地方検察庁特捜部は外国為替及び外国貿易管理法違反の容疑で田中角栄前首相を逮捕した。田中は全日空へのトライスター機売り込みに絡み丸紅を通じて5億円を受け取ったとされ、8月に受託収賄罪等で起訴された。1983年、東京地方裁判所は懲役4年の実刑判決を言い渡したが、田中は上告審係属中の1993年に死去し公訴棄却となった。共犯とされた秘書や丸紅側の被告については、1995年に最高裁判所で有罪が確定した。
出典: https://jiken.jp/cases/?page=17(2026-10-31 取得)/ 事件JP