事件一覧
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404 件が見つかりました
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洞爺丸事故
1954年(昭和29年)9月26日夜、台風15号(洞爺丸台風)による強風の中、青函連絡船「洞爺丸」が北海道・函館港沖の七重浜沖合で転覆・沈没した事故。乗員乗客1314人のうち1155人が死亡・行方不明となり、日本海難史上最悪の惨事となった。この事故を契機に、本州と北海道を結ぶ青函トンネルの建設構想が具体化した。
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メイストーム海難事故
1954年(昭和29年)5月9日から10日にかけて急速に発達した低気圧により北海道近海で暴風が発生し、サケ・マス漁の漁船が多数遭難、361人が死亡・行方不明となった海難事故。
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青森県新和村一家7人殺害事件
1953年(昭和28年)12月12日未明、青森県中津軽郡新和村小友(現・弘前市)のりんご農家で、実家を追われ困窮していた三男の男性(当時24歳)が猟銃で父・長兄夫婦・祖母・伯母・甥姪ら7人を射殺した事件。直後に発生した火災で幼い姪1人も焼死し、死者は計8人にのぼった。刑事裁判では犯行当時の心神喪失が認定され、殺人罪は無罪が確定した。
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徳島ラジオ商殺し事件
徳島市のラジオ商店主が殺害され、店主の内縁の妻が誤って有罪とされたが、死後の再審で日本初の無罪が確定した事件。
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昭和28年7月南紀豪雨
1953年7月17日深夜から18日朝にかけ、梅雨前線の停滞により和歌山県北部・中部の山間部で24時間降水量が500mmを超える豪雨となった。有田川・日高川など県内の河川が氾濫・決壊し、有田川上流の花園村では大規模な地すべりで集落が被害を受けた。気象庁の災害調査報告によれば死者713人・行方不明411人・負傷者5,819人にのぼり、当時の県人口の約4分の1が被災した。
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昭和28年西日本水害
1953年(昭和28年)6月25日から29日にかけて、梅雨前線による記録的豪雨が九州北部を中心に西日本を襲い、死者759人・行方不明者242人を出した大水害。熊本市街地の広範囲が浸水するなど、戦後最悪級の被害となった。
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吹田・枚方事件
1952年(昭和27年)6月24日から25日にかけて、朝鮮戦争開戦2周年を機に、大阪府吹田市では労働者・学生・在日朝鮮人らが国鉄吹田操車場に突入して警察官と衝突し(吹田事件)、同時期に枚方市では旧陸軍工廠の施設が爆破される事件が発生した(枚方事件)。血のメーデー事件・大須事件と並ぶ戦後三大騒擾事件の一つとされる。吹田事件では111人が騒擾罪などで起訴されたが、1972年3月17日の最高裁判決で騒擾罪の不成立が確定した。
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菅生事件
1952年(昭和27年)6月2日、大分県の菅生村駐在所が爆破され、居合わせた共産党員5人が逮捕・起訴された事件。後に、警察官による自作自演の謀略事件であったことが判明し、被告らの無罪が確定した。
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辰野事件
1952年(昭和27年)4月30日未明、長野県上伊那郡の辰野警察署や伊那税務署など複数の官公庁施設が、ダイナマイトや火炎瓶で相次いで襲撃された。長野県警察は日本共産党員13人を逮捕・起訴し、1960年の第一審・長野地方裁判所飯田支部は全員を有罪としたが、1972年12月1日、東京高等裁判所は証拠不十分として逆転無罪を言い渡し、検察も上告を断念して無罪が確定した。発生から確定まで20年7か月を要した、戦後の冤罪事件の一つとされる。
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鳥取大火
1952年(昭和27年)4月17日午後2時55分ごろ、鳥取市吉方の市営動源温泉付近から出火した火災は、フェーン現象による南南西の強風にあおられて市街地を焼き払い、翌18日未明に鎮火するまでに約12時間燃え続けた。焼失面積は約44万9千平方メートル、罹災世帯は5,700を超え、鳥取市の中心市街地の大半が失われた。戦後の日本で最大規模の都市大火のひとつとされ、この復興過程で全国初の防火建築帯が指定されるなど、市街地の不燃化と都市計画の転換点となった。
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十勝沖地震
1952年(昭和27年)3月4日午前10時22分頃、北海道十勝沖を震源とするマグニチュード8.2の地震が発生した。日高・十勝・釧路地方を中心に被害が及び、津波は厚岸で6.5メートルに達した。死者28人・行方不明5人、住宅全壊815戸にのぼる、戦後の北海道における最大級の地震災害となった。
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東大ポポロ事件
1952年(昭和27年)2月20日、東京大学本郷キャンパスで開催された劇団「ポポロ」による演劇発表会に、私服警察官4人が観客として潜入していたことが発覚し、東京大学の学生が警察官に暴行を加えた。学生の行為が正当防衛にあたるかが争われ、最高裁判所大法廷は1963年、大学における学問の自由・大学の自治の憲法上の意義を示す判断を示した。
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白鳥事件
1952年(昭和27年)1月21日夜、札幌市中央区の路上で、自転車で帰宅途中の札幌市警察本部警備課長・白鳥一雄警部(36歳)が背後から拳銃で撃たれ死亡した。警察は日本共産党による組織的犯行とみて捜査し、同年10月、党札幌市委員会委員長の男を共謀共同正犯として逮捕・起訴した。実行犯とされる党員は国外へ逃亡し逮捕を免れたまま、男は1963年に懲役20年の有罪が最高裁で確定した。1975年、再審請求を棄却した最高裁決定(通称「白鳥決定」)は、再審にも「疑わしきは被告人の利益に」の原則が適用されると初めて明示し、その後の再審制度の運用に大きな影響を与えた。
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愛媛県国鉄バス火災事故
愛媛県で秋祭りに向かう乗客を乗せた国鉄バスが車内に持ち込まれた映画用フィルムの引火により炎上し、死者32人を出した事故。
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ルース台風
1951年(昭和26年)10月14日、中心気圧935hPaという統計開始以降4番目の低さで鹿児島県串木野市付近に上陸した台風。速い速度で九州を縦断し、死者572人・行方不明者371人・負傷者2644人、損壊家屋7万2664棟という甚大な被害を全国にもたらした。
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大原劇場火災
1951年(昭和26年)5月19日午後2時50分ごろ、北海道厚岸郡浜中村(現・浜中町)にあった映画館「大原劇場」で火災が発生した。住宅を改造した収容人数約200名の急ごしらえの施設で、上映中のフィルムから映写室内で出火し、火元の映写室が出入口の近くにあったことに加え、非常口にかんぬきがかけられていたため、多くの観客が避難できなかった。小・中学生を含む42名が死亡する惨事となり、劇場主・映写技師・引率教員ら7名が業務上過失致死傷などの容疑で書類送検された。地元では犠牲者を悼む慰霊塔が建立され、現在も追悼が続けられている。
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国鉄桜木町電車火災事故
1951年(昭和26年)4月24日、横浜市中区の国鉄京浜東北線桜木町駅構内で、架線工事のミスにより垂れ下がった架線に電車のパンタグラフが接触して短絡し、先頭車両が全焼した事故。死者106人、負傷者92人にのぼり、戦後の国鉄が起こした重大事故の一つに数えられる。当時の63系電車は中段が固定された3段窓で乗客が窓から脱出できず、非常用ドアコックの位置も乗客に周知されていなかったため、多くの乗客が炎上する車内に閉じ込められた。架線工事の担当作業員や運転士らが業務上過失致死罪などで禁錮刑の実刑判決を受けたほか、この事故を契機に非常用ドアコックの設置・表示の義務化、3段窓の廃止、車両の不燃化など、鉄道車両の安全基準が大きく見直された。
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日大ギャング事件
1950年(昭和25年)9月22日、東京都千代田区で、日本大学の給料運搬車に同乗した運転手の少年が、同乗の職員をナイフで脅して現金190万円を奪い、日大教授の娘の少女と逃走した強盗事件。少年が逮捕時に発した「オー・ミステーク」という言葉が流行語となり、戦後の若者犯罪を象徴する事件として文化人による論評も相次いだ。
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金閣寺放火事件
1950年(昭和25年)7月2日未明、京都市の鹿苑寺(金閣寺)で、同寺の徒弟僧(当時21歳)が国宝の舎利殿(金閣)に放火し全焼させた事件。人的被害はなかったが、足利義満坐像など国宝の寺宝も焼失した。三島由紀夫の小説「金閣寺」のモチーフになったことでも知られる。
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北海道拓殖銀行美深支店強盗殺人事件
1950年(昭和25年)4月2日未明、北海道中川郡美深町の北海道拓殖銀行美深支店に賊が侵入し、支店長夫妻・行員夫妻・支店長の娘2人の計6人に麻酔薬とみられる薬品を注射して眠らせたうえ、刃物で頸動脈などを切断して殺害し、現金108万円を奪った事件。幼児を含む多数の犠牲者と、麻酔薬の使用や頸動脈の切断という冷酷な手口から、2年前に東京で12人が毒殺された帝銀事件になぞらえて「第2の帝銀事件」と呼ばれた。捜査線上には延べ3千人が浮かんだが真犯人は特定できず、1965年4月2日、事件発生から15年で公訴時効が成立し、未解決事件となった。
出典: https://jiken.jp/cases/?page=17(2026-09-15 取得)/ 事件JP