ジラード事件
| 発生日 | 1957年1月30日(昭和32年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から69年7か月 1957年11月19日の確定から68年9か月 |
| 発生場所 | 群馬県 群馬郡相馬村(現・北群馬郡榛東村)相馬が原演習場 |
| 種別 | 殺人 |
| 状態 | 判決確定 |
| 被害 | 死者 1人 負傷者 0人 |
1957年(昭和32年)1月30日、群馬県相馬が原演習場で、薬莢拾いのため立ち入った日本人主婦(46歳)が、演習中の在日米陸軍ウィリアム・S・ジラード三等特技兵に銃撃され死亡した。日米地位協定に基づく裁判管轄権をめぐって日米間で外交問題化し、米側が異例の対応として身柄を日本側に引き渡し、日本の裁判所で審理されることになった。前橋地方裁判所は1957年11月19日、傷害致死罪でジラードに懲役3年・執行猶予4年の判決を言い渡し、確定した。1991年には、身柄引き渡しの見返りに量刑を軽くする日米間の申し合わせがあったことが公開文書で明らかになった。
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事件の経過
1957年(昭和32年)1月30日、群馬県群馬郡相馬村(現・榛東村)の在日米軍相馬が原演習場で、薬莢拾いのために演習場内に立ち入っていた近隣の日本人主婦(46歳)に対し、演習に従事していた在日米陸軍のウィリアム・S・ジラード三等特技兵が、空の薬莢ケースを投げつけた後、追い払うつもりで銃を発射した。銃弾は主婦の背中に命中し、まもなく死亡が確認された。
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裁判管轄をめぐる日米の対立
事件当時、日米行政協定(現・日米地位協定)は、公務執行中の米兵の犯罪について米側に第一次裁判権を認めていた。米側は当初、演習中の公務行為であるとして米軍事法廷での裁判を主張したが、日本国内では米兵に対する日本の裁判権を求める世論が高まった。最終的に米側は異例の判断として、本件は公務執行中の行為とは認められないとし、ジラードの身柄を日本側に引き渡すことに同意した。
前橋地裁判決
日本側に起訴されたジラードは、傷害致死罪に問われた。1957年11月19日、前橋地方裁判所はジラードに懲役3年・執行猶予4年の判決を言い渡した。検察・弁護側双方が控訴せず、判決は確定した。ジラードは同年12月、判決確定後に本国へ帰国した。
後年判明した日米間の申し合わせ
1991年、米側の外交文書の公開を通じて、身柄を日本側に引き渡す見返りとして量刑をできるだけ軽くすることを日米間で申し合わせていたことが明らかになった。この経緯は、日米地位協定における裁判権行使のあり方や、米軍関係者による事件・事故をめぐる日米間の非公式な取り決めの問題として、その後も論議の対象となっている。
事件の位置づけ
ジラード事件は、在日米軍関係者による事件に対する日本の裁判権行使のあり方を問う象徴的な事件として記憶されている。同種の問題は沖縄をはじめその後も繰り返し発生しており、日米地位協定の運用改善を求める議論の原点の一つに位置づけられている。事件は当時、国会でも取り上げられて日米地位協定の運用そのものへの関心を高め、後年、公務執行中とそれ以外の場合の裁判権の切り分けや、身柄引き渡しをめぐる日米間の協議のあり方について繰り返し議論される契機の一つとなった。
経過
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1957年1月30日
昭和32年事件・事故 在日米兵が薬莢拾いの日本人主婦を射殺
相馬が原演習場内で、在日米陸軍兵に銃撃され死亡した。
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1957年11月19日
昭和32年判決 前橋地方裁判所が傷害致死罪で懲役3年・執行猶予4年の判決を言い渡し確定
検察・弁護側とも控訴せず判決が確定した。
前橋地方裁判所
出典・公的資料
一次資料 1件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。
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判決文・裁判記録
前橋地方裁判所(東京大学東洋文化研究所「世界と日本」データベース収録) 1957年11月19日発行判決文原文。罪名(傷害致死罪、刑法205条1項)・量刑(懲役3年・執行猶予4年)を確認。学術データベース収録の一次資料。
- その他
関連する法律用語
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レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。
「ジラード事件」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1957-girard-incident/
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更新履歴
- 2026年9月1日 初版公開
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