松山城筒井門等焼失事故
| 発生日 | 1949年2月27日(昭和24年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から77年6か月 |
| 発生場所 | 愛媛県 松山市(松山城) |
| 種別 | 事故 |
| 状態 | 終結 |
| 被害 | 死者 0人 |
1949年(昭和24年)2月27日、愛媛県松山市の松山城で火災が発生し、本丸に通じる筒井門とその東続櫓・西続櫓の3棟(いずれも当時の国宝)が焼失した。出火原因は、城内にいた精神疾患の患者がたき火をしたことによるとされ、天守など他の建造物は焼失を免れた。焼失した3棟はその後、旧国宝の指定を解除された。
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火災の発生
1949年2月27日、愛媛県松山市の松山城で火災が発生した。出火原因は、城内にいた精神疾患のある人物がたき火をしたことによるとされる。火災により、本丸に通じる筒井門と、その両脇にある東続櫓・西続櫓の計3棟が焼失した。天守をはじめとする他の建造物は焼失を免れた。当時、城郭建築の多くは防火設備が乏しく、木造建築特有の延焼リスクを抱えていたため、本件のような不慮の出火は各地の史跡・文化財に共通するリスクとして認識されていた。
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筒井門の来歴
筒井門は、松山城本丸への主要な通路にあたる高麗門で、脇に構える東続櫓・西続櫓とともに、城の防御の要となる区画を形成していた。江戸時代から残る建築として1935年に当時の国宝(旧国宝)に指定されており、松山城の中でも歴史的価値が高い建造物群の一つだった。出火時、城内には管理人等が常駐していたとみられるが、たき火の発見・消火が間に合わず、木造建築である筒井門・続櫓は短時間で焼失した。城の中枢部にあたる天守群への延焼は食い止められ、被害は一部の門・櫓に限定された。
文化財指定への影響
焼失した筒井門・東続櫓・西続櫓の3棟は、いずれも当時の(旧)国宝に指定されていたが、焼失により指定が解除された。焼失を免れた天守など21棟の建造物は、1950年に施行された文化財保護法のもとで、国の重要文化財に指定された。
松山城の歴史的背景
松山城は江戸時代初期に築かれた平山城で、天守をはじめとする多くの建造物が現存する城として知られる。本件は近代以降の松山城にとって最大級の被害をもたらした火災であり、後年、焼失した建造物の一部は復元されている。現在の松山城では、天守をはじめとする現存建造物が国の重要文化財として維持管理されており、焼失した筒井門周辺の一部施設は、観光振興の観点から復元整備が行われている。松山城は現在、松山市を代表する観光地として多くの来訪者を集めており、本件は城の長い歴史の中の一エピソードとして紹介されている。
戦後復興期の文化財保護行政
本件が発生した1949年は、前年の1949年1月に法隆寺金堂が焼損した火災(法隆寺金堂壁画焼失事件)の直後にあたり、文化財の防火対策が全国的な課題として意識され始めていた時期だった。松山城の火災はこうした最中に発生しており、翌1950年の文化財保護法制定・施行の流れの中で、被害を免れた建造物が改めて重要文化財に指定される契機の一つとなった。
同じ松山城で起きた別の火災との違い
松山城では、本件の16年前にあたる1933年(昭和8年)7月にも、連続放火を重ねていた放火犯によって小天守・隅櫓などが焼失する火災が発生している(松山城放火事件)。本件は、その1933年の事件とは無関係の、精神疾患のある人物のたき火が原因となった別個の火災である。
記録の性質について
本件は、放火や事故のように加害者と被害者が明確に対立する事件ではなく、精神疾患のある人物による不慮の失火という性質を持つ。本サイトでは、行為者を特定・断定する表現を避け、公表されている限られた情報の範囲で、被害の事実関係を中心に記録している。
経過
-
1949年2月27日
昭和24年事件・事故 松山城で火災が発生し筒井門等が焼失
精神疾患のある人物のたき火が原因で、筒井門など3棟が焼失した。
出典・公的資料
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その他
フリー百科事典 Wikipedia
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公的発表・広報
東京新聞 TOKYO Web
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レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。
「松山城筒井門等焼失事故」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1949-matsuyama-castle-tsutsuimon-fire/
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更新履歴
- 2026年8月19日 初版公開
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