大牟田爆発赤痢事件
| 発生日 | 1937年9月25日(昭和12年) 1937年(昭和12年)の事件 / 9月25日に起きた事件 |
|---|---|
| 経過 | 発生から89年1か月 |
| 発生場所 | 福岡県 大牟田市 |
| 種別 | 事故 |
| 状態 | 終結 |
| 被害 | 死者 712人 |
1937年(昭和12年)9月25日、福岡県大牟田市内で市民が相次いで赤痢様の症状を訴え、最終的に712人が死亡した事件。公式には上水道の汚染が原因とされたが、同日夜に市内の化学工業所で発生した爆発事故との関連を指摘する見方もあり、原因をめぐる論争は国会でも取り上げられた。
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事件の経過
1937年(昭和12年)9月25日夕方、福岡県大牟田市内で、市民が相次いで高熱・嘔吐・下痢などの症状を訴えて病院に殺到する事態が発生した。当時人口約11万人の大牟田市で、症状を訴えた者は資料により7800人から1万2332人、あるいは約2万5000人にのぼったとされ、最終的に712人が死亡する惨事となった。同日午後6時ごろと翌26日午前0時20分ごろの2度にわたり、市内の三井三池染料工業所(現・三井化学)で爆発が発生していたことが後年の研究で指摘されており、この爆発と症状拡大との関連が長年の論争の的となっている。厚生省(現厚生労働省)はのちに本事件を、水道汚染による伝染病集団発生の代表例として「世界史上例のない集団赤痢事件」と公式記録に残した。
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原因をめぐる公式見解と対立する見方
内務省・陸軍省・福岡県・大牟田市、および九州帝国大学・長崎医科大学・熊本医科大学など複数機関による調査の結果、原因は市の上水道の貯水井戸(第三源井)を管理していた番人一家の幼児(赤痢菌保菌者)のおむつを洗った汚水が、井戸の破損箇所から浸入したためと公式に断定された。この結論を受け、大牟田市長・助役とともに水道課長が引責辞任した。もっとも、水道水そのものから赤痢菌は検出されておらず、辞任した水道課長自身が独自に調査し、発生当日に爆発事故があった化学工業所周辺に患者が集中していたことを突き止めたと伝えられる。1938年1月17日の大牟田市議会では水道原因説そのものへの疑義が示され、同年11月29日の福岡県議会でも同様の議論があったことが記録されている。事件から36年以上を経た1974年にも、政府に事実関係をただす質問主意書が参議院に提出されるなど、原因をめぐる論争は長期にわたって続いた。当時の大牟田市は、三井三池炭鉱や関連の化学工業が集積する国内有数の工業都市であり、事件が発生したのは日中戦争が始まった1937年の同年秋にあたる。軍需関連の情報統制が強まりつつあった時期という時代背景も、原因究明や当時の報道を難しくした一因として後年の研究者から指摘されている。死者712人という規模は、厚生省が「世界史上例のない集団赤痢事件」として公式記録に残した通り、単一の感染症集団発生による被害として極めて大きいものだった。
経過
-
1937年9月25日
昭和12年事件・事故 市内で赤痢様の症状を訴える市民が急増
同日夜と翌未明の2度、市内の化学工業所で爆発が発生していたことが後年指摘されている
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1937年10月
昭和12年その他 10月までに死者712人に達する
厚生省はのちに「世界史上例のない集団赤痢事件」と公式記録に残した
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1938年1月17日
昭和13年その他 大牟田市議会で水道原因説をめぐる議論、水道課長らが引責辞任
出典・参考資料
この事件については、判決文・調査報告書などの一次資料をまだ確認できていません。以下は報道・文献などの参考資料です(出典の方針)。
- その他
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さらに調べるには
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「大牟田爆発赤痢事件」事件JP、2026年10月30日閲覧。https://jiken.jp/cases/1937-omuta-explosion-dysentery-incident/
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更新履歴
- 2026年7月30日 初版公開
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