鳥取大火

発生日 1952年4月17日(昭和27年) 〜 1952年4月18日
経過 発生から74年4か月
発生場所 鳥取県 鳥取市(吉方・若桜街道・智頭街道一帯)
種別 事故
状態 終結
被害 死者 3人
1952年(昭和27年)4月17日午後2時55分ごろ、鳥取市吉方の市営動源温泉付近から出火した火災は、フェーン現象による南南西の強風にあおられて市街地を焼き払い、翌18日未明に鎮火するまでに約12時間燃え続けた。焼失面積は約44万9千平方メートル、罹災世帯は5,700を超え、鳥取市の中心市街地の大半が失われた。戦後の日本で最大規模の都市大火のひとつとされ、この復興過程で全国初の防火建築帯が指定されるなど、市街地の不燃化と都市計画の転換点となった。
鳥取大火を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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出火と延焼

1952年(昭和27年)4月17日午後2時55分ごろ、鳥取市吉方にあった市営動源温泉付近から火の手が上がった。この日の鳥取市はフェーン現象の影響で異常な高温と乾燥に見舞われており、気温25.3度、湿度28パーセント、平均風速10.8メートル毎秒、最大風速22.5メートル毎秒という、火災にとって最悪の条件がそろっていた。 炎は南南西の強風にあおられて北東方向へ走り、若桜街道・智頭街道といった市の目抜き通りを次々に舐めていった。市街地は木造家屋が密集し、防火帯となるような空地も広い街路もほとんどなかった。鎮火したのは翌18日の未明で、火は約12時間にわたって燃え続けた。 出火原因は複数の可能性が調べられたものの特定には至らず、関係者はいずれも嫌疑不十分で不起訴となっている。
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被害の規模

総務省消防庁の消防白書は、この大火の焼損棟数を7,240棟、焼損面積を44万9千平方メートル余り、損害額を193億2,400万円余り、死者を3人としている。旧市街地のおよそ3分の2が焼失した計算になる。罹災世帯は5,714、罹災者は2万人を超えた。個人の住家の焼失を5,228戸とし、これに会社・銀行・公共施設などを加えて数える集計もあり、建物の数え方によって数値には差がある。 人的被害は、死者を2人とする資料もある。市街地の広い範囲が焼けた規模に比べれば犠牲者が少なくとどまったのは、発災が日中であり避難する余裕があったためとされる。 市役所・警察署・裁判所といった公共施設や、商店街、学校も焼失した。行政機能そのものが失われたことで、被災直後の救援・記録の両面に支障が生じている。

消防力の限界

当時の鳥取市消防が保有していた自動車ポンプは6台で、うち2台は修理中だった。使える消防力は火勢に対してあまりに小さく、加えて消火用水の確保も難しかった。市街地を流れる小河川と限られた消火栓しか水利がなく、強風下で次々に飛ぶ火の粉に対して先回りすることができなかった。 消防組織法の施行によって自治体消防が発足したのは1948年(昭和23年)である。鳥取大火はその4年後に起きており、地方都市の消防が装備・水利の両面で十分な体制に達していない時期の災害だった。この大火の教訓は、消防力の整備目標や消防水利の基準を考えるうえでの具体的な事例として、その後も参照されている。

復興と全国初の防火建築帯

鳥取市は焼け跡の区画整理に着手し、街路を拡幅して市街地の構造そのものを組み替える方針をとった。現在の鳥取市中心部の広い道路と整然とした街区は、この復興事業によって形づくられたものである。 1952年8月2日、鳥取市の若桜街道筋が全国で初めて防火建築帯に指定された。防火建築帯とは、耐火構造の建築物を帯状に連続して建てることで市街地の延焼を食い止める仕組みで、同年に制定された耐火建築促進法に基づく制度である。鳥取ではこの制度により1955年(昭和30年)までに94棟の耐火建築物が建てられた。 大火からの復興が、そのまま市街地不燃化政策の最初の実地例となった点に、この災害の位置づけがある。

9年の間に二度被災した都市

鳥取市は1943年(昭和18年)9月の鳥取地震で市街地の家屋の大半を失い、その復興が終わらないうちに、9年後の大火で再び中心部を失った。戦時下の地震、戦後の大火という二度の被災が、鳥取市の街並みをほぼ全面的につくり替えることになった。 このため鳥取市には戦前からの町並みがほとんど残っていない。都市計画としては、災害に強い市街地を一から設計できたという側面もあるが、それは二度にわたって市街地を失った結果でもある。防災の教訓を語るとき、鳥取ではこの地震と大火が常に一組で振り返られてきた。

経過

  1. 1952年4月17日
    昭和27年

    事件・事故 鳥取市吉方の市営動源温泉付近から出火

    フェーン現象による最大風速22.5メートル毎秒の強風にあおられ、市街地へ延焼した。

  2. 1952年4月18日
    昭和27年

    その他 約12時間の延焼を経て鎮火

    旧市街地のおよそ3分の2にあたる7,240棟が焼損した。

  3. 1952年8月2日
    昭和27年

    その他 若桜街道筋が全国初の防火建築帯に指定される

    同年制定の耐火建築促進法に基づく指定で、1955年までに94棟の耐火建築物が建てられた。

出典・公的資料

一次資料 1件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

  • 白書・統計資料
    総務省消防庁  2024年1月1日発行
    鳥取大火の死者3人・焼損棟数7,240棟・焼損面積44万9千平方メートル余り・損害額193億2,400万円余りを確認。
  • その他
    鳥取県
    出火場所、当時の気象条件、復興事業の経過を確認。
  • その他
    ウィキペディア日本語版
    罹災世帯数、消防力の状況、防火建築帯指定の日付を確認。

関連する法律用語

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レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。

「鳥取大火」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1952-tottori-great-fire/

関連事件

  • 1943年9月10日 同じ鳥取市が9年の間に経験した二つの災害

    鳥取地震

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更新履歴

  • 2026年8月24日 初版公開

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