山陽本線特急列車脱線事故

発生日 1926年9月23日(大正15年)
経過 発生から99年10か月
発生場所 広島県 安芸郡海田町付近(安芸中野駅-海田市駅間)
種別 事故
状態 終結
被害 死者 34人
1926年(大正15年)9月23日未明、山陽本線安芸中野駅-海田市駅間で、豪雨による畑賀川の堤防決壊で築堤が崩壊していた地点に、東京発下関行きの下り特急第1列車が進入して脱線転覆した事故。34人が死亡し、乗客には著名人や外国人も含まれていた。
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事故の経過

1926年(大正15年)9月22日夜、東京駅を出発した下関行きの下り特別急行第1列車(下関駅から関釜連絡船を介して大陸への国際連絡運輸を担う、当時の日本最高級列車)は、蒸気機関車が11両の客車を牽引して山陽本線を西進していた。列車が糸崎駅を出発した後、広島県内では9月11日の豪雨により畑賀川の堤防が決壊しており、安芸中野駅-海田市駅間の築堤が崩壊して線路が浮き上がる事態が生じていた。異常に気づいた消防団員が踏切番に急停車の合図を依頼したが間に合わず、9月23日午前3時30分ごろ、崩壊地点に進入した列車は脱線転覆し、34人が死亡した。
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事故の影響

死亡した34人の中には当時の鹿児島市長・上野篤をはじめとする要人や外国人2人も含まれていた。一方、負傷を免れた乗客には、後に陸軍大臣を務める寺内寿一少将(当時、第一師団司令部付)や、後年小田急電鉄の名誉会長となる安藤楢六がいたことも知られている。日本最高級列車の大惨事として世間に大きな衝撃を与えたこの事故を受け、旧来の木造客車は車体強度が弱く被害を拡大させたことが指摘され、同時期に発生した参宮線の事故とあわせて、翌1927年以降、客車を木造から鋼製へと転換する契機となった。事故後の1929年、この特急第1列車には「富士」の愛称が付けられた。

経過

  1. 1926年9月23日
    大正15年

    事件・事故 特急第1列車、脱線転覆

    34人死亡

  2. 1927年
    昭和2年

    その他 客車の木造から鋼製への転換が始まる

出典・公的資料

一次資料 1件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

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「山陽本線特急列車脱線事故」事件データベース jiken.jp、2026年7月29日閲覧。https://jiken.jp/cases/1926-sanyo-line-express-derailment/

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更新履歴

  • 2026年7月23日 初版公開

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