丹那トンネル熱海口崩落事故 通称: 丹那トンネル崩落事故

発生日 1921年4月1日(大正10年)
経過 発生から105年5か月
発生場所 静岡県 熱海市
種別 事故
状態 終結
被害 死者 16人
1921年(大正10年)4月1日午後4時20分ごろ、静岡県田方郡熱海町(現・熱海市)で建設中だった丹那トンネル熱海口(東口)付近、坑口から約300メートルの地点で崩落が発生した。作業員33名が生き埋めとなり、16名が死亡した。退路を断たれた17名は坑内奥に取り残されたが、7日後の4月8日に生存した状態で救出された。事故現場では地熱による地質変化と断層破砕帯からの湧水が確認されており、事故後は水抜き坑を先進させる排水工法(後の「丹那方式」)が各地のトンネル工事に採用された。トンネル全体の工事は当初計画の7年を大幅に超えて16年を要し、工事期間中の事故による死者は67名にのぼった。丹那トンネルは1934年(昭和9年)12月、熱海線(現・東海道本線)熱海駅-函南駅間として開通した。
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事故の経過

1921年(大正10年)4月1日午後4時20分ごろ、建設中の丹那トンネル熱海口(東口、静岡県田方郡熱海町、現・熱海市)で、坑口から約300メートル入った地点の切羽付近が大音響とともに崩落した。崩落箇所はすでにトンネル断面の大きさまで掘り広げられ、コンクリート巻き立て工事にかかっていた区間だった。崩落地点で作業していた16名はその場で生き埋めとなり全員が死亡した。同時に坑道の奥と坑口との通路がふさがれ、奥で作業していた17名は逃げ場を失って坑内に取り残された。合わせて33名が事故に巻き込まれたことになる。
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救出までの7日間

坑口をふさいだ崩落土砂の除去と、閉じ込められた17名の救出作業が直ちに開始された。坑内では湧水の逃げ場がなくなり水位が上昇する中、取り残された作業員たちは高所に避難して救助を待った。閉じ込められた作業員の一部は、身動きの取れない坑内で日誌や遺書をしたためており、当時の状況を伝える記録として後に紹介されている。事故発生から7日後の4月8日、17名全員が生存した状態で救出され、翌9日午後には収容先の娯楽所に移された。同日以降、現場の作業は死亡した16名の遺体捜索が中心となり、坑内の救護所は10日午前中に撤去された。

事故原因

事故現場は地熱の影響で当時から微温湯程度の温泉が湧出しており、地質が変質していた。切羽には幅約6メートルの断層破砕帯が、トンネル軸に対しておよそ45度の角度で走っていたことも確認されている。1915年(大正4年)に実施されたルート決定後の事前地質調査では、高い地熱により作業環境が悪化する可能性は指摘されていたが、湧水や断層についての指摘はなかった。当時は断層とその背後にある地下水の挙動についての知見が乏しく、事前調査でも断層の存在は十分に把握されていなかった。丹那盆地の地下には大きな断層が複数走っていることが、後のボーリング調査で判明している。

工事とトンネル史への影響

丹那トンネルは当初7年程度での完成が見込まれていたが、断層帯や大量の湧水に阻まれる難工事が続き、完成までに16年を要した。工事期間中には1921年4月の熱海口崩落事故のほか、1924年2月10日に西口(三島口)で16名が死亡する崩壊事故が、1930年11月26日には北伊豆地震によるトンネル内崩落で3名が死亡する事故も発生し、工事全体の事故による死者は67名(熱海口31名、函南口36名)にのぼった。鉄道省が事故の死傷者に対して支弁した療養料・見舞金の総額は1万8,068円に達した。これらの難工事の経験から、坑道に先立って地下水を排出するための水抜き坑を掘り進める工法が確立され、後に他のトンネル工事でも採用された。セメント注入や圧搾空気を用いた掘削なども、この工事で本格的に実用化された。

開通とその後の意義

丹那トンネルは1934年(昭和9年)12月1日、熱海線(現・東海道本線)熱海駅-函南駅間の開通とともに供用が始まった。全長7,804メートルの複線トンネルで、開通により東海道本線の線路延長は御殿場経由の従来ルートより11.81キロメートル短縮され、御殿場経由の路線は御殿場線として分離された。丹那トンネル工事で得られた断層・湧水対策の知見は、事前の地質調査を重視する姿勢とともに、以後の日本のトンネル建設に引き継がれている。2019年(令和元年度)には、丹那トンネルを含む「旧熱海線鉄道施設群」が土木学会選奨土木遺産に選定された。

慰霊と記録

丹那トンネル工事の殉職者を慰霊するため、熱海口の坑口付近に丹那神社が建立された。毎年4月1日には、工事全体で死亡した67名の殉職者を追悼する慰霊祭が営まれている。事故発生当時の現場記録である「丹那隧道東口(熱海口)現場日誌」は熱海市指定有形文化財に指定され、当時の状況を伝える資料として保存されている。

経過

  1. 1921年4月1日
    大正10年

    事件・事故 熱海口で崩落発生

    熱海口(東口)の坑口から約300メートルの地点で崩落が発生し、作業員33名が事故に巻き込まれた。うち16名がその場で死亡した。

  2. 1921年4月8日
    大正10年

    その他 取り残された17名を救出

    崩落により坑内奥に取り残されていた作業員17名が、事故発生から7日後に生存した状態で救出された。

  3. 1933年6月19日
    昭和8年

    その他 本坑が貫通

    熱海口・函南口双方からの掘削が本坑区間で貫通した。

  4. 1934年12月1日
    昭和9年

    その他 丹那トンネルが開通

    熱海線(現・東海道本線)熱海駅-函南駅間が丹那トンネル経由で開通した。

出典・公的資料

一次資料 3件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

  • 調査報告書
    鉄道省熱海建設事務所  1936年3月1日発行
    国立国会図書館デジタルコレクション。工事全体の死者数67名(熱海口31名・函南口36名)や、療養料・見舞金の支弁総額(1万8,068円)を確認。
  • 調査報告書
    鉄道省熱海建設事務所  1933年12月1日発行
    国立国会図書館デジタルコレクション。1933年12月刊。事故の背景となる工事経過を確認。
  • 調査報告書
    放送大学静岡学習センター(百年ゼミ)
    丹那隧道工事誌・丹那トンネルの話等の一次資料をページ番号付きで引用して整理した調査報告。発生日時(4月1日午後4時20分)・被害者数(殉職16名・救出17名、4月8日救出)・断層の位置と幅(約6m、45度)・1915年の事前地質調査の内容を確認。
  • 公的発表・広報
    熱海市
    熱海市指定有形文化財「丹那隧道東口(熱海口)現場日誌」の記述を引用。生き埋め16名・退路遮断17名の内訳、4月9日の生存者移送・遺体捜索専念への切り替えを確認。

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レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。

「丹那トンネル熱海口崩落事故」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1921-tanna-tunnel-collapse/

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更新履歴

  • 2026年8月19日 初版公開

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