浜一中大福餅事件 通称: 浜松第一中学校大福餅食中毒事件
| 発生日 | 1936年5月10日(昭和11年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から90年3か月 |
| 発生場所 | 静岡県 浜松市 |
| 種別 | 事故 |
| 状態 | 終結 |
| 被害 | 死者 44人 負傷者 2,116人 |
1936年(昭和11年)5月10日、静岡県立浜松第一中学校(現・浜松北高等学校)で行われた運動会終了後、地元の菓子店「三好野」が製造した大福餅が生徒・教職員とその家族に配布された。その夜から高熱・腹痛・下痢を訴える者が続出し、罹患者は2,000名を超え、44名(諸説あり)が死亡する日本の食中毒史上最悪規模の集団食中毒事件となった。陸軍軍医学校の調査により、原因は大福餅の餡に混入していたゲルトネル菌(サルモネラ菌の一種)と断定された。三好野の店内はネズミが横行する劣悪な衛生環境にあり、餡を製造後3昼夜にわたり放置していたことが感染源とみられている。刑事責任の追及は最終的に立件に至らず、事件は静岡県・浜松市の医療衛生史に刻まれる悲劇として語り継がれている。
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発生の経緯
1936年5月10日、静岡県立浜松第一中学校の運動会が終了し、参加した生徒や教職員、その家族に対して、地元の菓子店「三好野」が製造した大福餅が配布された。当日は特に変わった様子はなかったが、その日の夜から大福餅を食べた人々の間で高熱、腹痛、激しい下痢を訴える者が相次いだ。翌5月11日は休校日にあたっていたが、同日正午までにすでに生徒3名が死亡し、事態の深刻さが明らかになった。5月12日には感染者が約1,000名、死者17名に達し、静岡県・浜松市・地元医師会・陸軍軍医学校などが総力を挙げて対応にあたる非常事態となった。
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被害の拡大
罹患者は最終的に2,116名(生徒883名、生徒の家族1,161名、教職員21名、教職員の家族51名)にのぼったとされる。東京新聞など後年の報道では「約2,200名」とやや幅を持たせて紹介されることもある。死者数についても資料により44名、45名、46名などの差異があるが、学校側の記録に基づき44名(生徒29名、生徒の家族15名)とするのが一般的である。犠牲者の多くが生徒とその家族であり、特に生徒の死亡率が高かった背景として、運動会当日の激しい運動による疲労が体力の消耗につながったとの見方が示されている。当時としては空前の規模の集団食中毒であり、地域社会に強い衝撃を与えた。
原因の究明
事態を受けて陸軍軍医学校の北野政次らが現地に派遣され、原因究明にあたった。調査の結果、死因は大福餅の餡に混入していたゲルトネル菌(現在のサルモネラ菌の一種)による細菌性食中毒と断定された。三好野の店内はネズミが自由に出入りする劣悪な衛生環境にあり、餡を製造してから配達まで3昼夜にわたり台所の片隅に放置していたことが判明した。黒餡を使った大福餅で患者数が多かったことから、ネズミの糞に汚染されていても目立ちにくい黒餡がそのまま使用され、白餡に比べて汚染に気づかれにくかったのではないかとする見方も示されている。
事件当時の食品衛生行政
ゲルトネル菌(サルモネラ属菌)は1888年、ドイツの学者ゲルトネルが、と殺された病牛の肉を食べて急性胃腸炎を発症した患者から分離したのが最初とされ、世界で最初に食中毒菌として認められた細菌である。事件が起きた1936年当時の日本には、食品の製造・販売を包括的に規制する食品衛生法(1947年制定)はまだ存在せず、食品営業の取り締まりは主に地方ごとの条例や警察の衛生行政に委ねられていた。菓子製造業者に対する衛生検査の仕組みも未整備であり、三好野のような小規模な菓子店の衛生管理が外部から十分にチェックされる体制にはなかったことが、被害拡大の背景として指摘されている。
捜査とその後の処遇
捜査の初期段階では、三好野を解雇された元従業員による怨恨からの毒物混入という見方も検討されたが、該当する人物は捜査の結果、事件への関与が否定され釈放された。5月19日には、菌の混入経路をめぐる疑義が残るとして三好野の関係者も釈放されており、最終的に刑事事件としての立件・処罰には至らなかった。当時の食品衛生に関する規制は現在に比べて未整備であり、菓子製造業者の衛生管理を直接取り締まる法的な枠組みも十分に機能していなかったことが、責任追及を難しくした一因とみられる。
食品衛生への教訓
浜一中大福餅事件は、当時としては最大規模の食中毒事件として全国的に報じられ、菓子製造業をはじめとする食品業者の衛生管理のあり方に一石を投じた。県・市・医師会・軍医学校が連携して被害拡大の防止と原因究明にあたった対応は、後の食中毒対策における官民連携のモデルケースとしても位置づけられている。「大福餅事件を忘れるな」という言葉が、地域社会で食品衛生への警戒を促す合言葉として語り継がれることになった。
現在に語り継がれる記憶
事件から90年近くを経た現在も、後身校である浜松北高等学校と浜松市保健所では、この事件を教訓として語り継ぐ取り組みが続けられている。学校の同窓会事務局の職員が、犠牲者を悼む慰霊碑の清掃を続けているほか、地元紙などでも節目の年に事件の経緯が改めて報じられている。日本の食品衛生史における代表的な集団食中毒事件として、現在も学術的な検証の対象となっている。
経過
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1936年5月10日
昭和11年事件・事故 運動会後に配布された大福餅で発症者が続出
運動会終了後に配布された大福餅を食べた生徒・教職員とその家族の間で、その夜から高熱・腹痛・下痢の症状が相次いだ。
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1936年5月11日
昭和11年その他 生徒3名が死亡、事態が深刻化
休校日となったこの日の正午までに生徒3名が死亡し、被害の深刻さが明らかになった。
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1936年5月19日
昭和11年その他 三好野関係者を釈放、立件見送り
菌の混入経路をめぐる疑義が残るとして、菓子店「三好野」の関係者が釈放され、刑事事件としての立件には至らなかった。
出典・公的資料
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公的発表・広報
東京新聞デジタル 2025年5月10日発行発生日・被害規模(2〜79歳の2,200人に症状)・現在に語り継ぐ浜松北高等学校同窓会や浜松市保健所の取り組みを確認
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その他
国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)書誌情報本事件が日本の食中毒菌研究(サルモネラ学)の発展に与えた影響を扱う学術文献が存在することを確認(書誌情報レベル)
- その他
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レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。
「浜一中大福餅事件」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1936-hamaicchu-daifukumochi-incident/
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更新履歴
- 2026年8月20日 初版公開
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