二又トンネル爆発事故

発生日 1945年11月12日(昭和20年)
経過 発生から80年8か月
発生場所 福岡県 田川郡添田村(現・添田町)
種別 事故
状態 終結
被害 死者 147人  負傷者 149人
福岡県のトンネル内に貯蔵されていた旧日本陸軍の火薬を米軍が焼却処分しようとした際に大爆発し、死者147人を出した事故。
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事故の経過

1945年(昭和20年)11月12日、福岡県田川郡添田村(現・添田町)の日田彦山線・二又トンネル内に貯蔵されていた旧日本陸軍の火薬を、進駐していた米軍が焼却処分しようとした。トンネルには500トン以上の火薬が保管されていたが、点火からおよそ2時間後に大爆発が発生した。爆発により吹き飛ばされた大量の土砂・岩石がトンネル付近の落合集落や彦山駅を襲い、家屋135戸が全壊した。
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被害の規模

この爆発により147人が死亡し、149人が負傷する大惨事となった。犠牲者の中には、近くの落合小学校の児童29人が含まれており、地域社会に深い悲しみをもたらした。爆発の威力は大きく、トンネル上部にあった山の形状が変わるほどであったと伝えられている。終戦からわずか3か月後、武装解除・軍需物資の処分という占領期特有の作業の過程で起きた事故であった。

その後の継承

事故後、現地では犠牲者を悼む慰霊碑が建立され、地域の平和学習の場として今日まで語り継がれている。旧日本軍の大量の火薬・弾薬類の処分は全国各地で行われており、その過程での安全管理の難しさを示す事例として、戦争の記憶を伝える資料館などでも紹介されている。

被害の実相

爆発の威力は凄まじく、トンネル上部に存在していた山の形状が変わるほどであったと伝えられている。犠牲者の中には、火薬の存在を知らずに近くで暮らしていた地域住民や、下校中・在校中だった小学生が多く含まれていた。占領期における旧軍の大量の武器・弾薬の処分作業は全国各地で行われていたが、安全対策が不十分なまま進められたことが、この惨事を招いた一因とされている。

占領期の武器処分

終戦直後の日本各地には、旧日本軍が保有していた大量の武器・弾薬が残されており、連合国軍はこれらの回収・処分を急いでいた。二又トンネルの火薬もその対象の一つであったが、大量の火薬を限られた期間で処分しようとした結果、安全確認が不十分なまま作業が進められたことが、惨事につながったとみられている。

経過

  1. 1945年11月12日
    昭和20年

    事件・事故 二又トンネルで米軍の火薬処理中に爆発

    死者147人、負傷者149人を出した。

出典・公的資料

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レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。

「二又トンネル爆発事故」事件データベース jiken.jp、2026年8月3日閲覧。https://jiken.jp/cases/1945-futamata-tunnel-explosion/

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