松尾鉱山落盤事故

発生日 1939年11月10日(昭和14年) 1939年(昭和14年)の事件 / 11月10日に起きた事件
経過 発生から86年11か月
発生場所 岩手県 岩手郡松尾村(現・八幡平市)
種別 事故
状態 終結
被害 死者 85人
  • 炭鉱事故・産業災害硫黄鉱山で発生した落盤事故で、死者・行方不明者85人を出した。
岩手県の松尾鉱山(硫黄鉱山)で発生した落盤事故。死者・行方不明者85人を出した。
松尾鉱山落盤事故を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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事故の経過

1939年(昭和14年)11月10日午後3時ごろ、岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市)の松尾鉱山(硫黄鉱山)で落盤事故が発生した。ちょうど作業員の交代時間にあたっており、坑内には多数の作業員がいたため、一時は約130人が坑内に閉じ込められる事態となった。救助作業が進められる中、坑内で火災が発生して亜硫酸ガスが充満し、救出作業は困難を極めた。最終的に死者・行方不明者は85人にのぼった。
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硫黄鉱山としての松尾鉱山

松尾鉱山は明治期に露頭が発見され、1914年(大正3年)の松尾鉱業設立とともに硫黄の採掘・精錬を本格化させた。昭和10年代には生産量が急増して国内需要の約8割を占め、「東洋一の硫黄鉱山」と呼ばれるまでになり、従業員は1936年(昭和11年)には2,213人に達していた。本事故は、こうして生産が急拡大していた時期に起きた。

その後

松尾鉱山は事故後も操業を続けたが、石油精製の過程で得られる回収硫黄に押されて経営が悪化し、1972年(昭和47年)に鉱業権を放棄して閉山した。鉱山から流れ出る強酸性の鉱毒水は大正後期から問題となっており、昭和初期には北上川流域に被害が及んで賠償要求運動が起きていた。閉山後も大量の強酸性水が赤川を経て北上川を汚濁したため、岩手県が新たな中和処理施設を建設し、1982年(昭和57年)4月から維持管理を続けている。

鉱山町としての松尾鉱山

松尾鉱山の隆盛にあわせ、標高約1,000メートルの採掘地・元山などには新たな街がつくられた。最盛期の昭和20〜30年代には病院や小・中・高校、郵便局などが完備されて「雲上の楽園」と呼ばれ、従業員4,500人、鉱山の人口は13,000人に達した。落盤事故は、そうした最盛期を迎える以前の戦前に発生した惨事であった。

経過

  1. 1939年11月10日
    昭和14年

    事件・事故 松尾鉱山で落盤事故が発生

    死者・行方不明者85人を出した。

出典・公的資料

一次資料 2件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

  • その他
    フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    落盤事故の経過・死者数を確認
  • その他
    フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    発生日・死者数の照合に使用
  • 調査報告書
    岩手県
    岩手県の文化情報アーカイブ。鉱山の沿革、昭和10年代の生産急増と従業員数、最盛期(昭和20〜30年代)の人口、1972年の閉山、戦前からの鉱毒問題を確認(落盤事故自体の記述はない)
  • 調査報告書
    岩手県
    1972年の鉱業権放棄による閉山、強酸性水による北上川の汚濁、中和処理施設の建設と1982年4月からの維持管理を確認

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「松尾鉱山落盤事故」事件JP、2026年11月2日閲覧。https://jiken.jp/cases/1939-matsuo-mine-collapse/
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更新履歴

  • 2026年10月2日 一次資料補強:岩手県の資料を出典に追加。鉱毒水問題が閉山後に始まったとする記述を訂正(大正後期から問題化)、最盛期の時期(1960年代→昭和20〜30年代)と人口を訂正、重複していた段落を整理

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