方城炭鉱ガス爆発事故
| 発生日 | 1914年12月15日(大正3年) |
|---|---|
| 経過 | 発生から111年8か月 |
| 発生場所 | 福岡県 田川郡方城町(現・福智町)方城炭鉱 |
| 種別 | 事故 |
| 状態 | 終結 |
| 被害 | 死者 671人 |
特集
炭鉱事故・産業災害
1914年(大正3年)12月15日午前9時40分頃、福岡県田川郡方城町(現・福智町)の方城炭鉱で発生したガス爆発事故。三菱合資会社が経営していた炭鉱で、坑内に滞留したメタンガスと炭塵に引火し大爆発が起きた。会社発表の死者は671人にのぼり、日本の炭鉱事故史上最悪の惨事とされる。
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方城炭鉱と筑豊の労働環境
方城炭鉱は1902年に開坑し、経営母体の三菱合資会社のもとで1908年に第二坑、1910年に第一坑が完成した主力鉱のひとつだった。出炭量は1908年の12万トンから1913年には26万トンへと急拡大しており、事故発生時は筑豊炭田でも屈指の規模を誇っていた。当時の筑豊の炭鉱では「納屋制度」と呼ばれる労務管理が広く行われ、納屋頭と呼ばれる元請け業者が坑夫の雇用・住居・生活費の前貸しを一元的に握り、逃亡を防ぐための私的制裁も横行する監獄同様の拘束的な労働環境だったとされる。この制度は本事故から8年後の1922年、国会での決議を機に廃止が進み、炭鉱会社が坑夫を直接雇用する体制へと移行していった。
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事故の発生
1914年12月15日午前9時40分、方城炭鉱の坑内で大規模なガス爆発が発生した。爆発音は「雷が地底から吹き上げたような」凄まじいもので、半径8キロ四方にまで響き渡ったと伝えられる。坑口の昇降機は爆風で鉄塔の上まで吹き飛ばされ、坑口からはキノコ雲状の爆煙が立ち上った。対岸にあった三菱金田炭鉱でも爆発の衝撃で落盤が発生し、作業員2人が負傷した。
原因をめぐる調査
事故原因について、経営者の三菱合資会社は当初「原因不明」と発表するにとどめた。これに対し、事故を調査した福岡鉱務署の技師は、坑内の通気扉が開け放たれていたために本来の換気経路が乱れ、メタンガスと炭塵が坑内に滞留していたところへ、気密性の不十分な坑内ランプの火が引火したとの結論を示した。
死者数をめぐる諸説
三菱合資会社が公式に発表した死者数は671人(坑内労働者667人、救援に入った救援隊員4人)で、うち女性が131人、11歳から18歳までの若年労働者が71人含まれていた。一方、当時の新聞各紙は655人から800人まで幅のある数字を報じており、地元では1,000人を超えるとの噂も流れた。当時、炭鉱労働者の多くは納屋に所属しており、名簿への記載漏れや、そもそも名簿を炭鉱側に提出していない納屋もあったことから、実際の犠牲者数は公式発表を上回っていた可能性が指摘されている。方城炭鉱事故の671人という死者数は、後年発生した三井三池三川鉱炭じん爆発事故(1963年、死者458人)など他の国内炭鉱事故と比較しても最多であり、日本の産業事故史上最大の犠牲者数として記録されている。
同時代の鉱山事故との比較
方城炭鉱事故が起きた大正期の日本では、機械化が進む一方で坑内の保安体制が労働者数の急増に追いつかず、各地の炭鉱でガス爆発や落盤事故が相次いでいた。方城炭鉱事故はその中でも際立って被害規模が大きく、事故直後から全国紙で大きく報じられ、炭鉱労働の危険性を広く社会に知らしめる出来事となった。
救助活動の困難
爆発直後、坑内は一酸化炭素で満たされ、当時は酸素マスクなどの救助資機材が存在しなかった。救援隊は夏ミカンを使って一酸化炭素を中和しようと試みるなど、手探りの救助活動を強いられた。決死の覚悟で坑内に入った救援隊9人のうち5人が窒息死し、翌日には近隣の炭鉱からも応援を得て180人以上の救援隊が動員された。
事故後の対応と遺族への影響
事故の規模の大きさを受け、同月22日には天皇の勅使が現地に派遣され、聖旨の伝達とともに2千円の御救恤金が下賜された。事故により784人の孤児と、扶養者を失った51人の高齢者が生じたと記録されている。翌1915年には近隣の神社に犠牲者を弔う招魂碑が建立され、地元の寺院では今日まで毎年、遭難者を追悼する法要が営まれている。
現在への継承
方城炭鉱は1964年に閉山した。現在、事故の記録は福岡県田川市にある田川市石炭・歴史博物館などで、筑豊炭田がたどった歴史の一部として展示・継承されている。事故から百年以上が経過した現在も、地元では毎年12月15日前後に犠牲者を悼む行事が続けられている。
経過
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1914年12月15日
大正3年事件・事故 方城炭鉱でガス爆発が発生
坑内に滞留したメタンガス・炭塵に引火し大爆発。会社発表で671人が死亡した。
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1914年12月22日
大正3年その他 勅使が現地に派遣され見舞金が下賜される
事故の重大さを受け、天皇の勅使が現地入りし、見舞金が下賜された。
出典・公的資料
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その他
フリー百科事典 Wikipedia
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公的発表・広報
日本経済新聞
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その他
田川市
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レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。
「方城炭鉱ガス爆発事故」事件JP、2026年9月8日閲覧。https://jiken.jp/cases/1914-houjo-coal-mine-explosion/
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更新履歴
- 2026年8月18日 初版公開
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