事件一覧
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508 件が見つかりました
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免田事件
1948年(昭和23年)12月29日深夜から30日未明にかけて、熊本県人吉市の祈祷師夫婦宅に押し入り、夫婦を殺害し娘2人に重傷を負わせ、現金を奪った強盗殺人事件。近隣の男性・免田栄が逮捕され自白により死刑が確定したが、6次にわたる再審請求の末、1983年に再審無罪が確定した。死刑確定者が再審で無罪となった日本初の事例として知られる。
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昭和電工事件
1948年(昭和23年)、化学メーカー・昭和電工の社長・日野原節三が、復興金融金庫からの融資獲得などをめぐって政官界に賄賂を贈ったとされる贈収賄事件。同年6月に日野原が逮捕されたのを皮切りに、9月には大蔵省主計局長の福田赳夫らが、10月には前副総理の西尾末広が逮捕され、芦田均内閣は総辞職に追い込まれた。12月には芦田本人も逮捕され、逮捕者は64人に及んだ。裁判では日野原ら一部が執行猶予付きの有罪となったが、芦田・西尾・福田を含む多くの政官界人は無罪となった。
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万代橋事件
1948年(昭和23年)8月23日、新潟市の萬代橋で花火大会を見物していた観衆が欄干に殺到し、欄干が約40メートルにわたり崩落した。約100人が信濃川に転落し、11人が死亡、29人が重軽傷を負った。
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福井地震
1948年6月28日16時13分、福井平野の直下の浅い所を震源として発生したマグニチュード7.1の地震。当時の震度階級で最大の震度6を観測し、福井市では総戸数の8割を超える家屋が全壊、震源に近い集落では全壊率がほぼ100%に達した。地震直後には福井市内の各所から火が出て、多くの家屋が焼失した。死者は福井・石川両県で3,769人にのぼった。この地震の壊滅的な被害を受けて、気象庁は翌1949年に震度階級に「震度7」を加えた。
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庭坂事件
1948年(昭和23年)4月27日未明、福島県庭坂村(現・福島市)の奥羽本線赤岩-庭坂間で、青森発上野行きの上り急行旅客列車が脱線転覆し、機関士・機関助士と、たまたま便乗していた技工の3人が死亡した。現場ではレールの継目板や犬釘が抜き取られており人為的な線路破壊が疑われたが、犯人は特定されないまま迷宮入りとなった。手口は翌年発生した松川事件と酷似しており、両事件の関連を指摘する研究もある。
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八高線列車脱線転覆事故
1947年(昭和22年)2月25日午前7時50分頃、国鉄八高線東飯能駅~高麗川駅間で、買い出し客で満員となっていた列車が急カーブを曲がりきれず後部4両が脱線し、約5メートル下の築堤下に転落した。死者184人を出し、日本の鉄道事故史上最悪クラスの惨事となった。木造客車の脆弱性が被害拡大の一因とされ、事故後、木造客車の淘汰が進められた。
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昭和南海地震
1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分ごろ、和歌山県南方沖(潮岬南方沖)の南海トラフ沿い、深さ約24キロメートルを震源とするマグニチュード8.0の地震が発生した。四国から近畿・中部にかけて広い範囲が揺れ、土佐湾沿岸を中心に津波が襲来。気象庁の資料によれば全国の死者・行方不明者は1,443人にのぼり、うち高知県の死者・行方不明者は679人と最も多かった。高知平野では地盤沈下により約15平方キロメートルの田園が海面下に没し、水が引くまで半月を要した。終戦の翌年、復興途上の西日本を襲った震災である。
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住友財閥令嬢誘拐事件
1946年(昭和21年)9月17日、横浜市戸塚区で、住友財閥16代当主の長女(当時12歳)が下校途中に何者かに連れ去られた事件。犯人は当時22歳の男で、身代金目的ではなく「良家の娘と一緒にいたい」という動機から複数の少女を狙って犯行を重ねていた常習犯だった。6日後の9月23日、岐阜県恵那郡付知町で男が逮捕され、少女は無事保護された。男は同年10月31日に横浜地方裁判所で懲役10年の判決を受けた。
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渋谷事件
1946年(昭和21年)7月19日夜、東京都渋谷区の渋谷警察署前で、警察官・暴力団関係者の連合隊と、武装した在日台湾人グループとの間で銃撃戦が発生した。警察官1人と在日台湾人が死亡し、双方あわせて多数の負傷者を出した。同年12月、占領目的阻害罪により関係者に有罪判決が言い渡された。
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二又トンネル爆発事故
福岡県のトンネル内に貯蔵されていた旧日本陸軍の火薬を米軍が焼却処分しようとした際に大爆発し、死者147人を出した事故。
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徳島大空襲
1945年(昭和20年)7月4日未明、アメリカ軍のB29爆撃機が徳島市を焼夷弾で攻撃した空襲。徳島市は6月1日から7月24日までに7回の爆撃を受けたが、なかでもこの7月4日の空襲の被害が最も大きく、徳島市によると市内(当時)の62%が焦土となり、死者約1,000人、重軽傷者約2,000人を出した。官公庁や学校、工場などのほとんどが焼失した。毎年7月4日には、遺族会による徳島戦災死没者追悼式が開かれている。
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高松空襲
1945年(昭和20年)7月4日未明、アメリカ軍のB29爆撃機116機が香川県高松市を焼夷弾で攻撃した空襲。午前2時56分から4時42分までの106分間に、高性能爆弾24トンと焼夷弾809トンが投下され、市街地の約80%が焼失した。総務省と高松市によると、死者1,359人、負傷者1,034人、行方不明者186人、罹災者8万6,400人にのぼった。同じ夜には徳島や高知、姫路も空襲を受けた。
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緒方竹虎襲撃事件
1945年(昭和20年)2月24日、東京・霞が関の大政翼賛会本部会議室で、国務大臣・緒方竹虎が短刀を持った男に襲撃された。男は皇民化教育の影響を受けた朝鮮出身者で、弱体化した小磯内閣の打倒を狙ったとされる。緒方の側近に取り押さえられ未遂に終わったが、事件の刑事手続は長期化し、1998年、東京地方裁判所は公訴時効の完成を理由に免訴を言い渡した。
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三河地震
1945年(昭和20年)1月13日午前3時38分、愛知県の三河湾の地下を震源とするマグニチュード6.8の内陸直下型地震が起き、旧幡豆郡・碧海郡(現在の西尾市・安城市・蒲郡市・幸田町など)を中心に死者2,306人(地震調査研究推進本部)、住家全壊7,221棟の被害が出た。37日前の昭和東南海地震で傷んだ家屋が多く、就寝中に倒壊した家屋の下敷きになった人が多かった。疎開先の寺院が倒れ、名古屋から集団疎開していた児童も犠牲になった。戦時下の報道統制のもとで被害の実態は伝えられず、「隠された地震」とも呼ばれる。
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十・十空襲
1944年(昭和19年)10月10日、アメリカ海軍機動部隊が沖縄をはじめとする南西諸島各地を9時間にわたり波状的に空襲した「十・十空襲」。延べ1396機の艦載機が爆弾・焼夷弾を投下し、那覇市街地の約9割が焼失した。民間人を含む少なくとも668人が死亡し、768人が負傷したとされる。
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第六垂水丸遭難事故
1944年(昭和19年)2月6日午前9時50分、鹿児島県の垂水港を出港した定期旅客船「第六垂水丸」(122総トン)が、出港直後に桟橋付近でバランスを崩して転覆・沈没した。戦時下の燃料不足で減便されていた航路に乗客が殺到し、定員を大幅に超える約700人が乗船していたとされ、死者は慰霊碑の記録で547人にのぼる、日本の海難事故史上2番目の規模の惨事となった。
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崑崙丸沈没事件
1943年(昭和18年)10月5日未明、関釜連絡船「崑崙丸」が、山口県下関から朝鮮半島釜山への航海中、福岡県沖ノ島沖でアメリカ海軍潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した事件。衆議院議員2人を含む583人が死亡・行方不明となった。太平洋戦争下、日本の民間船舶が受けた被害の大きさを象徴する事件の一つ。
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鳥取地震
1943年(昭和18年)9月10日午後5時36分ごろ、鳥取市の直下ごく浅い場所を震源とするマグニチュード7.2の地震が発生した。鳥取市の市街地では木造家屋の倒壊が相次ぎ、気象庁の資料による死者は1,083人にのぼった。震源が浅い内陸直下型の地震で、地表には鹿野断層・吉岡断層と呼ばれる断層のずれが現れ、日本の活断層研究にとって重要な観測例となった。太平洋戦争のさなかに発生したため被害の詳細は報道管制のもとに置かれ、翌1944年の東南海地震、1945年の三河地震とともに、戦時下に相次いだ大地震のひとつに数えられる。
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松尾鉱山落盤事故
岩手県の松尾鉱山(硫黄鉱山)で発生した落盤事故。死者・行方不明者85人を出した。
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禁野火薬庫爆発事故
1939年(昭和14年)3月1日午後2時45分頃、大阪府枚方市の陸軍禁野火薬庫で、砲弾解体作業中に発火し大爆発が発生した。爆発は同日19時までに計29回起き、火災は3日正午まで続いた。死者94人、負傷者602人、全半壊家屋821戸という大惨事となり、枚方市は1989年、3月1日を「平和の日」に制定した。
出典: https://jiken.jp/cases/?page=23(2026-10-30 取得)/ 事件JP