鳥取地震 通称: 昭和18年鳥取地震

発生日 1943年9月10日(昭和18年) 1943年(昭和18年)の事件 / 9月10日に起きた事件
経過 発生から83年1か月
発生場所 鳥取県 鳥取市・気高郡・岩美郡ほか
種別 災害
状態 終結
被害 死者 1,083人  負傷者 3,259人
1943年(昭和18年)9月10日午後5時36分ごろ、鳥取市の直下ごく浅い場所を震源とするマグニチュード7.2の地震が発生した。鳥取市の市街地では木造家屋の倒壊が相次ぎ、気象庁の資料による死者は1,083人にのぼった。震源が浅い内陸直下型の地震で、地表には鹿野断層・吉岡断層と呼ばれる断層のずれが現れ、日本の活断層研究にとって重要な観測例となった。太平洋戦争のさなかに発生したため被害の詳細は報道管制のもとに置かれ、翌1944年の東南海地震、1945年の三河地震とともに、戦時下に相次いだ大地震のひとつに数えられる。
鳥取地震を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
スポンサーリンク

地震の発生

1943年(昭和18年)9月10日午後5時36分ごろ、鳥取市の直下で地震が発生した。気象庁が整理した震源要素は北緯35度28.3分・東経134度11.0分、震源の深さはごく浅く、規模はマグニチュード7.2である。当時の観測では鳥取測候所で最大震度6が記録され、岡山や萩でも震度5を観測した。この地震の約半年前の3月4日と5日にも、ほぼ同じ場所でマグニチュード6.2の地震が起きていた。震度階級はその後改められており、現在の基準に照らすと鳥取平野の広い範囲で震度7に相当する揺れが生じていたと考えられている。 震源が地表のごく近くにあったため、強い揺れが及んだ範囲そのものは限られていた。しかし鳥取市とその周辺には軟らかい堆積層が厚く積もっており、揺れが増幅されて木造家屋を倒壊させた。日本海側の内陸で起きる直下型地震の典型的な現れ方であり、震源が浅いために被害が一点に集中する構図をとった。
スポンサーリンク

被害の状況

気象庁が整理した被害数値は、死者1,083人、住家全壊7,485戸である。一方で死者を1,210人、全壊を13,295棟とする集計もあり、資料によって幅がある。負傷者は、気象台の資料で重傷669人・軽傷2,590人(計3,259人)とされている(うち鳥取市は重傷544人・軽傷1,988人)。鳥取県の『鳥取県震災小誌』(1944年)は重軽傷者を3,860人としており、集計の時点や範囲によって数値に幅がある。 被害は鳥取市の市街地に極端に集中した。当時の市街地は狭い街路に木造家屋が密集し、筋かいや金物による補強もほとんど施されていなかった。夕食の支度にかかる時刻の発災であったため各所で火の手が上がったが、全焼は気象台の資料で251棟(『鳥取県震災小誌』では289棟)にとどまっている。同じ鳥取市が9年後に経験する鳥取大火が市街地の大半を焼いたことと比べると、この地震では延焼が広がらずに済んだ。 鳥取市の周辺では、気高郡・岩美郡の農村部でも家屋の倒壊が相次いだ。震源が浅く揺れが限定的だったことは、被害が県外にほとんど及ばなかったことにも表れている。

地表に現れた断層

この地震では、震源域の地表に断層のずれがはっきりと現れた。気高郡鹿野町(現・鳥取市)から鳥取市上原地区にかけて長さ約8キロメートルにわたって延びた「鹿野断層」と、その北側に並行して現れた「吉岡断層」である。いずれも上下のずれとともに東西方向の横ずれを示し、鹿野断層では最大で約1.5メートルの横ずれが生じた。田畑の畦や道路が食い違い、そのずれの量を測ることで地下の断層運動を推定できる状態になっていた。 地表地震断層がこれほど明瞭に記録された例は多くない。戦時下ではあったが地震研究者による現地調査が行われ、変位量の測量と記載が残された。この記録は、地震を起こす活断層という考え方が日本で定着していく過程で参照され続けた。震源が浅い内陸地震では地表に断層が現れうるという事実を、実測をもって示した事例である。

戦時下の報道管制

地震が起きた1943年9月は、太平洋戦争の戦局が悪化していた時期に当たる。生産や国民の士気への影響を避けるため、災害に関する報道は厳しく制限された。被害の規模が国民に広く伝えられることはなく、救援も戦時体制の制約のもとで行われた。 同じ状況は、この地震に続く二つの大地震でも繰り返された。1944年12月7日の東南海地震、1945年1月13日の三河地震はいずれも千人を超える犠牲者を出したが、報道は限定的なものにとどまった。鳥取地震を含むこの三つは、戦時下に相次いだ大地震としてまとめて語られる。被害の記録が戦後になって整理し直された経緯は、現在も資料間で数値に幅がある一因となっている。

震災が残したもの

鳥取市は戦時下で資材も人手も乏しいなかで復興に取りかかったが、市街地の再建が進まないうちに終戦を迎え、さらに1952年(昭和27年)4月には鳥取大火に見舞われる。地震と大火という二つの災害を9年の間に経験したことが、その後の鳥取市の都市計画を方向づけた。街路を広げ、市街地を不燃化するという発想は、この二度の被災の経験に根ざしている。 耐震の面では、木造家屋の倒壊が犠牲の大半を生んだという事実が、戦後の建築行政に引き継がれた。1950年(昭和25年)に建築基準法が制定され、木造建築物の構造耐力についての基準が定められている。また、地表に現れた鹿野断層・吉岡断層は現在も活断層として調査の対象であり、鳥取県の地震被害想定の基礎資料に用いられている。

経過

  1. 1943年9月10日
    昭和18年

    事件・事故 鳥取市の直下でマグニチュード7.2の地震が発生

    気象庁の資料による死者は1,083人。鳥取市の市街地に被害が集中し、地表には鹿野断層・吉岡断層が現れた。

出典・公的資料

一次資料 2件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

  • 調査報告書
    気象庁 鳥取地方気象台
    震源・規模・各地の震度、地区別の被害表(死者1,083、重傷669、軽傷2,590、全壊7,485、全焼251)、鹿野-吉岡断層の出現、3月のM6.2の地震を確認
  • 調査報告書
    気象庁
    死者1,083人・住家全壊7,485戸という被害数値を確認。
  • その他
    ウィキペディア日本語版
    地表地震断層の出現と、資料間で被害数値に幅があることを確認。裏取りの起点として使用した。

さらに調べるには

資料の探し方や引用の書き方は調べ学習・レポートでの使い方にまとめています。

日頃の備え

大きな地震では、電気・水道・物流が数日以上止まることがあります。最低3日分、できれば1週間分の備えが勧められています。

PR以下は広告(アフィリエイトリンク)です。購入されると本サイトに紹介料が支払われることがあります。

この記事を引用する

レポート・記事などで本ページを参照する際は、以下の表記をご利用ください。一次資料までたどる方法は調べ学習・レポートでの使い方をご覧ください。

「鳥取地震」事件JP、2026年10月27日閲覧。https://jiken.jp/cases/1943-tottori-earthquake/
スポンサーリンク

更新履歴

  • 2026年9月28日 気象台の資料に基づき、負傷者数(範囲の異なる数値の混在)と全焼棟数の出典、吉岡断層の位置を訂正し、前震にあたる3月の地震を補記
  • 2026年8月24日 初版公開

本ページは公的資料に基づいて作成しています。情報の誤りにお気づきの場合や、掲載内容の削除・訂正のご依頼は お問い合わせ・削除依頼よりご連絡ください。