十・十空襲 通称: 10・10空襲

発生日 1944年10月10日(昭和19年) 1944年(昭和19年)の事件 / 10月10日に起きた事件
経過 発生から82年
発生場所 沖縄県 那覇市ほか沖縄本島・宮古・八重山・奄美等の南西諸島各地
種別 その他
状態 終結
被害 死者 668人  負傷者 768人
1944年(昭和19年)10月10日、アメリカ海軍機動部隊が沖縄をはじめとする南西諸島各地を9時間にわたり波状的に空襲した「十・十空襲」。延べ1396機の艦載機が爆弾・焼夷弾を投下し、那覇市街地の約9割が焼失した。民間人を含む少なくとも668人が死亡し、768人が負傷したとされる。
十・十空襲を象徴する概念イラスト
※イメージ画像(生成AIによる概念イラストであり、実際の現場・関係者を写したものではありません)
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空襲の経過

1944年(昭和19年)10月10日午前6時40分から午後3時45分まで、アメリカ海軍第38任務部隊の艦載機延べ1396機が、沖縄本島をはじめ慶良間諸島・宮古島・石垣島・久米島・大東島・奄美大島・徳之島など南西諸島の広範囲にわたり、第一次から第五次にかけて波状的な空襲を行った。当時、沖縄本島に配備されていた日本軍の防空戦力は高射砲70門・高射機関砲50門余と戦闘機12機のみで、海軍の警戒レーダーが接近を探知していたにもかかわらず精度の低さから報告が信頼されず、第32軍首脳部が図上演習の準備に追われていたことも重なって、有効な迎撃はほとんどできなかった。飛行場や港湾施設に加え、那覇市の市街地にも爆弾・焼夷弾が投下され、日本国内で初めて焼夷弾による無差別爆撃が実施された。空襲範囲は那覇周辺にとどまらず、慶良間諸島には延べ60機が8回にわたり飛来して漁船などへの機銃掃射を行うなど、南西諸島の広い範囲が攻撃対象となった。
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被害の状況とその後

空襲により那覇市街地の約9割が焼失した。南西諸島全体では、民間人を含む少なくとも668人が死亡し、768人が負傷したとされる。ただし国は空襲被害の実態を把握しておらず、確定した公式統計はない。那覇市については、総務省の資料で死者225人、負傷者358人とされている。病院や学校などの民間施設も攻撃対象となり、都市機能は壊滅的な打撃を受けた。この空襲は、翌1945年3月から始まる沖縄戦の前哨戦として位置づけられ、県都・那覇の壊滅と住民の避難・疎開を加速させる契機となった。

経過

  1. 1944年10月10日
    昭和19年

    事件・事故 南西諸島各地への波状空襲、那覇市街地の9割焼失

出典・公的資料

一次資料 2件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。

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「十・十空襲」事件JP、2026年10月31日閲覧。https://jiken.jp/cases/1944-1010-air-raid/
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更新履歴

  • 2026年9月28日 死傷者数が公式統計ではなく推計であることを明記し、総務省資料に基づく那覇市の死傷者数を補記、出典2件を追加
  • 2026年7月23日 初版公開

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