事件一覧
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508 件が見つかりました
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虎ノ門事件
1923年(大正12年)12月27日、東京府東京市麹町区虎ノ門外(現・東京都港区虎ノ門)で、摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)が第48回帝国議会の開院式に向かう途中、無政府主義者の男から狙撃された暗殺未遂事件。親王に負傷はなく、同乗していた東宮侍従長が顔に軽傷を負った。犯人は現場で群衆と警官に取り押さえられ、大逆罪で起訴された。判決からわずか2日後に死刑が執行され、事件の責任を取り内閣は総辞職した。関東大震災後の社会不安を背景に頻発したテロ事件の一つとされる。
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関東大震災
1923年(大正12年)9月1日午前11時58分、神奈川県西部を震源とするマグニチュード7.9の地震(大正関東地震)が発生し、東京・横浜を中心に関東地方南部に壊滅的な被害をもたらした。昼食時と重なったことで火災が同時多発し、特に東京の下町では火災旋風により多数の犠牲者を出した。死者・行方不明者は推定10万5千人余にのぼり、日本の自然災害史上最大級の被害となった。9月1日は「防災の日」に定められている。
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北陸線列車雪崩直撃事故
1922年(大正11年)2月3日午後8時頃、新潟県西頸城郡(現・糸魚川市)の北陸本線親不知駅~青海駅間、勝山トンネル西口付近で大規模な雪崩が発生し、走行中の列車を直撃した。乗客・除雪作業員ら90人が死亡し、日本の雪崩関連鉄道事故として最悪の被害となった。
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原敬暗殺事件
1921年(大正10年)11月4日、東京駅の乗車口(現在の丸の内南口)で、内閣総理大臣・原敬が、鉄道省山手線大塚駅の転轍手・中岡艮一(当時18歳)に短刀で刺殺された事件。現職の内閣総理大臣が暗殺されたのは憲政史上初めてで、原の死去により立憲政友会内閣は総辞職し、後継には高橋是清が就いた。中岡は殺人罪で起訴され死刑を求刑されたが、東京地裁で無期懲役の判決を受け、控訴審・上告審でも維持されて確定した。その後3度の恩赦を受け、1934年(昭和9年)に出所している。
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安田善次郎暗殺事件
1921年(大正10年)9月28日、神奈川県大磯町の別邸で、安田財閥の創設者・安田善次郎が、右翼活動家の朝日平吾に刺殺された事件。朝日は犯行後、その場で自殺した。この事件は、同年11月の原敬首相暗殺をはじめ、昭和初期にかけて相次いだテロ・クーデター事件の先駆けとされる。
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丹那トンネル熱海口崩落事故
1921年(大正10年)4月1日午後4時20分ごろ、静岡県田方郡熱海町(現・熱海市)で建設中だった丹那トンネル熱海口(東口)付近、坑口から約300メートルの地点で崩落が発生した。作業員33名が生き埋めとなり、16名が死亡した。退路を断たれた17名は坑内奥に取り残されたが、7日後の4月8日に生存した状態で救出された。事故現場では地熱による地質変化と断層破砕帯からの湧水が確認されており、事故後は水抜き坑を先進させる排水工法(後の「丹那方式」)が各地のトンネル工事に採用された。トンネル全体の工事は当初計画の7年を大幅に超えて16年を要し、工事期間中の事故による死者は67名にのぼった。丹那トンネルは1934年(昭和9年)12月、熱海線(現・東海道本線)熱海駅-函南駅間として開通した。
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第一次大本事件
1921年(大正10年)2月12日、宗教団体「大本」の本部(京都府綾部市)に警察官約200人が家宅捜索に入り、教主・出口王仁三郎ら幹部を不敬罪・新聞紙法違反の容疑で検挙した。大本の教義が皇室の権威を脅かすとみなされたことが背景にあり、王仁三郎は保釈後の一審で懲役5年の判決を受けたが、大審院に係属中の1927年、大正天皇の大喪に伴う恩赦により裁判手続が打ち切られた。
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米騒動
1918年(大正7年)7月、富山県の魚津町(現・魚津市)で、米の県外移出に反対する住民の行動が起きた。米価の急騰に苦しむ人々の動きは富山湾沿岸から全国へ波及し、8月中旬に頂点を迎える。政府の集計では1道3府37県の369か所で騒じょうが発生し、鎮圧のため3府23県に軍隊が出動した。検挙者は2万5千人を超え、7,786人が起訴されている。政府は新聞に対して事件の報道を禁じたが混乱は収まらず、9月に寺内正毅内閣が総辞職して、初の本格的な政党内閣である原敬内閣の成立につながった。
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方城炭鉱ガス爆発事故
1914年(大正3年)12月15日午前9時40分頃、福岡県田川郡方城町(現・福智町)の方城炭鉱で発生したガス爆発事故。三菱合資会社が経営していた炭鉱で、坑内に滞留したメタンガスと炭塵に引火し大爆発が起きた。会社発表の死者は671人にのぼり、日本の炭鉱事故史上最悪の惨事とされる。
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桜島の大正大噴火
1914年(大正3年)1月12日午前10時過ぎ、鹿児島県の桜島の西山腹と東山腹で大噴火が始まった。同日夕方には錦江湾内を震源とするM7.1の地震も発生。大量の軽石・火山灰の噴出に続いて溶岩の流出が始まり、1月30日頃には溶岩が瀬戸海峡を埋めて桜島は大隅半島と陸続きになった。死者35人・行方不明者23人・負傷者112人(鹿児島県の記録)。島内の全戸数の62%が被災した。20世紀の日本で最大規模の火山噴火とされる。
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岩内沖合漁船遭難事件
1912年(明治45年)5月4日、北海道岩内町沖合でニシン漁の最中に暴風雨に見舞われ、出漁していた漁船100余隻が遭難し、136人が死亡した海難事故。
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鹿島灘漁船遭難事故
1910年(明治43年)3月12日、猛烈な暴風雨により、千葉県銚子沖から茨城県鹿嶋沖にかけての鹿島灘で操業中だった漁船100隻以上が遭難し、900人以上が死亡した。利根川河口付近は古くから海の難所として知られ、この事故を契機に銚子港では堤防・運河の建設や漁港整備が進められた。
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大之浦炭鉱爆発事故
福岡県の筑豊炭田・大之浦炭鉱(桐野坑)で発生したガス炭じん爆発事故。『鉱山保安年報』に基づく集計では死者256人(243人・259人とする資料もある)。
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出歯亀事件
1908年(明治41年)3月22日夜、東京府豊多摩郡大久保村(現・新宿区大久保)で、銭湯帰りの女性が何者かに暴行され殺害された。女湯を覗く常習者だった池田亀太郎が犯人として逮捕され、無期徒刑の判決を受けた。出っ歯が特徴だった池田の通称「出歯亀」は、後に覗き見をする者を指す一般名詞として定着した。
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八甲田雪中行軍遭難事件
1902年(明治35年)1月23日、青森の歩兵第五聯隊第二大隊の210人が、雪中に青森から田代を経て三本木平野へ進出できるかを調べるため、八甲田山麓の田代に向けて一泊の行軍に出発し、猛吹雪と記録的な寒波の中で道を失って遭難した事件。210人のうち199人が死亡し、生存者は11人だった。気象庁の記録では、同じ寒波のさなかの1月25日に旭川で国内の観測史上最低の氷点下41.0度が観測されている。陸軍の報告書『遭難始末』は悪天候を大きな原因として記録したが、近年の研究では、政治的な意図で事実が隠されたことも指摘されている。
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別子大水害
1899年(明治32年)8月28日、愛媛県の別子銅山を襲った台風による集中豪雨で大規模な土石流が発生し、山中だけで513人が死亡した。鉱山開発に伴う森林伐採・煙害による山地の荒廃が被害を拡大させた典型例とされる。
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庄内地震
1894年(明治27年)10月22日、山形県庄内平野を震源に発生したマグニチュード7.0の内陸直下型地震。震源が極めて浅かったため被害が甚大で、死者726人、負傷者1060人、全壊家屋約3858棟に達し、酒田市では大火も発生して市街地の約8割が焼失した。
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千島艦事件
1892年(明治25年)11月30日、フランスで建造され回航中だった日本海軍の砲艦「千島」が、瀬戸内海の愛媛県沖でイギリスのP&O汽船会社所有の商船ラヴェンナ号と衝突し沈没、乗組員74名が死亡した。日本政府はイギリス領事裁判所にP&Oを相手取り損害賠償訴訟を起こし、上海高等領事裁判所やイギリス枢密院まで争われた末、1895年9月に和解が成立した。日本政府が外国法廷の訴訟当事者となった最初の事件であり、領事裁判権撤廃を求める世論にも影響を与えた。
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濃尾地震
1891年(明治24年)10月28日午前6時38分、岐阜県・愛知県を震源に発生したマグニチュード8.0の内陸直下型地震。日本の観測史上最大級の内陸地震とされ、死者7273人、負傷者1万7175人、全壊家屋14万2177戸に達した。震災予防調査会の設立や耐震構造研究の本格化など、後の地震学・建築行政に大きな影響を与えた。
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大津事件
1891年(明治24年)5月11日、日本を訪問中のロシア帝国皇太子ニコライが、滋賀県大津町で警備の巡査に切りつけられ負傷した事件。司法権の独立をめぐる近代日本法学史上の重要な先例となった。
出典: https://jiken.jp/cases/?page=25(2026-10-30 取得)/ 事件JP