徳島大空襲
| 発生日 | 1945年7月4日(昭和20年) 1945年(昭和20年)の事件 / 7月4日に起きた事件 |
|---|---|
| 経過 | 発生から81年3か月 |
| 発生場所 | 徳島県 徳島市 |
| 種別 | その他 |
| 状態 | 終結 |
| 被害 | 死者 1,000人 負傷者 2,000人 |
1945年(昭和20年)7月4日未明、アメリカ軍のB29爆撃機が徳島市を焼夷弾で攻撃した空襲。徳島市は6月1日から7月24日までに7回の爆撃を受けたが、なかでもこの7月4日の空襲の被害が最も大きく、徳島市によると市内(当時)の62%が焦土となり、死者約1,000人、重軽傷者約2,000人を出した。官公庁や学校、工場などのほとんどが焼失した。毎年7月4日には、遺族会による徳島戦災死没者追悼式が開かれている。
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空襲への備え
総務省の資料によると、アメリカ軍は1945年2月ごろから地方の中小都市を攻撃の対象とし、5月ごろからは全国の中小都市が焼夷弾による無差別爆撃にさらされるようになった。これに先立つ1942年8月、内務省は1戸に1か所の簡易な待避所を作るよう奨励し、翌年には防空退避施設の整備を強化するよう通牒を出した。徳島市は、家庭用の待避所にふたを付けるための木材などを配給し、眉山の山頂に防空監視所を置き、警防分団ごとに高い建物を利用して望楼を設けた。1944年にサイパン島が陥落して本土が爆撃の圏内に入ると、徳島でも県庁や市役所など重要な建物の周囲の建物が強制的に取り壊された。
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7月4日未明の空襲
徳島市が1969年にまとめた『写真で見る徳島市百年』によると、徳島市が初めてB29の攻撃を受けたのは1945年6月1日で、沖洲町と末広町に小型の焼夷弾が落とされた。以後、7月24日までに7回の爆撃が繰り返されたが、7月4日の空襲が最もひどく、約100機のB29によって、一夜にして市街の70%が灰になったと記している。徳島市は、7月3日から4日にかけての空襲としている。同じ夜には、高松、高知、姫路もアメリカ軍の攻撃を受けた。
被害の状況
徳島市の広報誌は、この空襲で市内(当時)の62%が焦土となり、死者約1,000人、重軽傷者約2,000人の大きな被害を受けたと伝えている。『写真で見る徳島市百年』は、死者約1,000人、重軽傷者2,000人、罹災世帯1万7,183、罹災人口7万295人とし、官公庁や学校、工場、会社などのほとんどが灰になったと記している。一方、1955年に建てられた慰霊塔の碑文は、市内で命を失った人を1,700人余りとし、市外や県外、外地で同じころ犠牲になった県人も250人余りいたと刻んでいる。死者の数は資料によって異なる。大空襲の後も、終戦の8月15日まで艦載機による機銃掃射が連日繰り返された。
慰霊と追悼
空襲から10年後の1955年7月4日、遺族の有志が、徳島中央公園の東二の丸天守跡に徳島戦災犠牲者慰霊塔を建てた。碑文は、それまで犠牲者の霊を弔うことがきわめて少なかったことを遺族会が遺憾として、戦禍10周年を期して塔を建てたと記している。徳島戦災死没者追悼式は、徳島戦災遺族会の主催で毎年7月4日に開かれている。徳島市は、空襲で亡くなった人の情報を集めており、国籍や住所を問わず、軍人・軍属を除く犠牲者の名簿を作っている。
一般戦災者への援護
空襲で亡くなった一般の市民や負傷した人への援護は、国会でたびたび議論になってきた。1978年4月の参議院社会労働委員会で、厚生省の援護局長は、徳島市が1977年度に、市の戦災死没者の遺族に3,500円の弔慰一時金を支給したことを承知していると答弁した。1985年6月の同委員会でも援護局長は、死没者については徳島市をはじめ5つの市が見舞金などを支給していると説明している。徳島市は、一般戦災者に独自の措置をとった自治体の例として国会で繰り返し紹介された。
記憶の継承
徳島市は、昭和20年の徳島での空襲体験談59点を冊子『語り継ごう 徳島大空襲』にまとめ、2011年3月に発行して、市のホームページでも公開している。市の広報誌は毎年7月、空襲の被害を伝えるとともに体験談の一部を紹介し、戦争の悲惨さと平和の尊さを次の世代に語り継ぐよう呼びかけている。空襲の夜に一部が被災しながら残った市内の三河家住宅は、国の登録有形文化財になっている。
経過
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1945年6月1日
昭和20年事件・事故 徳島市が初めてB29の攻撃を受ける
沖洲町と末広町に小型焼夷弾
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1945年7月4日
昭和20年事件・事故 徳島大空襲で市内の6〜7割が焼失
未明、約100機のB29による焼夷弾攻撃
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1945年7月24日
昭和20年事件・事故 徳島市への7回目の爆撃
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1955年7月4日
昭和30年その他 遺族有志が徳島戦災犠牲者慰霊塔を建てる
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1978年4月18日
昭和53年その他 国会で徳島市の戦災死没者遺族への弔慰金が取り上げられる
1977年度に3,500円を支給
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2011年3月
平成23年その他 体験談集『語り継ごう 徳島大空襲』を発行
59点を収録
出典・公的資料
一次資料 6件 判決文・白書・調査報告書・法令など、原典にあたれる資料を掲載しています。
- 調査報告書
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調査報告書
徳島市 1969年10月1日発行6月1日の初空襲、7回の爆撃、約100機、市街の70%焼失、死者約1,000名・重軽傷者2,000名・罹災世帯17,183・罹災人口70,295名、機銃掃射を確認
- 公的発表・広報
- 調査報告書
- 調査報告書
- 公的発表・広報
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その他
国立国会図書館 国会会議録検索システム 1978年4月18日発行徳島市が1977年度に戦災死没者の遺族に弔慰一時金3,500円を支給したことを確認
- その他
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調査報告書
国立国会図書館(米国国立公文書館所蔵資料) 1945年7月1日発行高松・高知・姫路・徳島への同じ夜の作戦任務報告書であることを確認
- 調査報告書
さらに調べるには
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「徳島大空襲」事件JP、2026年10月27日閲覧。https://jiken.jp/cases/1945-tokushima-air-raid/
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更新履歴
- 2026年10月15日 初版公開
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